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伊藤若冲を見いだしたその慧眼の根源とは。美術史家・小林忠に聞くジョー・プライスの思い出

2023年4月、アメリカの日本美術コレクター、ジョー・プライスが亡くなった。伊藤若冲のブームのきっかけともなった世界的なコレクターはどんな人物だったのか。プライスと生前交流のあった美術史家・小林忠に、ギャラリストであり現代美術コレクターとして活躍するコバヤシマヒロが話を聞いた。

聞き手=コバヤシマヒロ 構成=坂本裕子 撮影=手塚なつめ

小林忠

 いまや日本美術のなかで、もっとも人気が高いと言える伊藤若冲(1716~1800)。2016年に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」では、入館まで5時間を超える待ち時間の長蛇の列をつくっていたことも記憶に新しいだろう。

 江戸時代の京に生まれ、画を描くことが好きで最終的には家業の青物問屋を弟に譲って画業に専念したこの絵師は、卓越した写生にもとづいた濃密な彩色画と、巧みな筆致や「筋目描き」といわれる独自の技法を編み出した水墨画を残し、白黒の反転した木版画「拓版画」を開拓したことでも知られる。しかしながら、生前の評価は高かったものの、明治以降、研究者や一部の好事家を除き忘れられた存在になっていた。

 再評価の機運が高まったのは、1970年に美術史家・辻惟雄(つじ・のぶお)が著書『奇想の系譜』(美術出版社)において、岩佐又兵衛や曽我蕭白らとともに歴史に埋もれた江戸時代の絵師たちのひとりとして取り上げたことがきっかけだった。1971年には東京国立博物館で特別展観「若冲」展が開催されている。

 しかし、若冲の名が世に広く知られたのは2006年のこと。東京国立博物館を皮切りに、京都国立博物館、九州国立博物館を巡回した「プライスコレクション『若冲と江戸絵画』展」においてだろう。アメリカ人コレクター、ジョー・プライスが収集した若冲が人気に火をつけたのだ。

 若冲の魅力を見いだしたジョー・プライスは2023年4月に世を去った。コレクションを日本に帰すという彼の願いは、その一部を出光美術館が入手したことで叶えられ、1月から3月にかけて披露する展覧会として特別展「江戸絵画の華」も開催された。

 ひたすらに若冲を愛し、江戸絵画を好んだこの類まれなコレクター、ジョー・プライスとはどんな人物だったのか。1971年の展覧会「若冲」を企画し、以後プライスと親しく交流し、その自邸をたびたび訪れていた美術史家・小林忠にプライスの思い出を聞いた。

ジョー・プライスとの出会い

 小林の研究室となっているマンションの一室を訪れると、1冊の薄い図録から話が始まった。

特別展観「若冲」の図録

──これが、小林さんが手がけた最初の若冲の展覧会である、1971年の特別展観「若冲」の図録ですね。

小林 私は当時30歳で、2年前に東京国立博物館(以下、東博)に正式採用されていました。若冲の落款をタイトルロゴに使ったのですが、当時はみんな「若冲」が読めなくて、チケットにもルビをふっていたんですね。実際に「『わかおき』って何ですか」という問い合わせが来たりしました。いま思うと「伊藤若冲」くらいにしておけばよかったかもしれません。

 予算は100万円、現在の物価に置き換えると1000万円程度でしょうか。展覧会開催にはとても足りなくて、この図録も1000部しか刷れなかったんです。プライスさんが「小林が展覧会をやるなら、すべての作品を無償で、運送費もタダで運んでやる」と言ってくださり、それによって実現できた展覧会でしたね。プライスさんは図録も300部を購入してくれました。

 学生時代、辻先輩(編集部注:辻惟雄)が「京都や東京で若冲の作品を探しているアメリカ人がいる。わずか数百万で作品を買っていってしまうから、買われる前に作品をよく見ておけ」と、東京大学の美術史研究室に2点の若冲画を架けてくれました。当時からプライスさんの動きに辻さんは注目されていたんです。

 絵画収集のために度々訪日していたプライスさんは、『奇想の系譜』で若冲を取り上げていた辻先輩のもとも訪ねており、その関係からプライスさんを紹介してもらい、関係が始まったんです。

特別展観「若冲」の図録を読む小林忠

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