2023.5.14

アート・コレクターを辞めるとき。Kanda & Oliveira代表・神田雄亮インタビュー

千葉・西船橋のギャラリー「Kanda & Oliveira」は、神田雄亮とオリヴェラによって設立されたギャラリーだ。オープニングでは不動産業を営む自身の会社・西治のコレクションを発表した同ギャラリーだが、神田は自らコレクターを辞めてギャラリストとなる道を選ぶ。そこにはどのような思いがあったのか。話を聞いた。

聞き手・文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

神田雄亮、Kanda&Oliveiraにて
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アートコレクターへの道

──神田さんがアートのコレクションを始めたきっかけを教えていただけますか。

 私の生まれ育った船橋は西武百貨店やパルコ、西武美術館などセゾン文化の香りが強い街でした。父方・母方両方の身内に画家がいて彼らの作品が家の中にあった環境でしたが、私は美術に強い興味があったわけではありませんでした。中高が東京タワーの下という環境だったので、ファッションや音楽、写真、映画など、90年代の文化全般を全身に浴びることができたのが大きな下地となりました。また、毎日のように『こち亀』を読んでいたことで、アンティークやサブカルなどへも興味が広がっていきました。

 その後クラシックバレエを習っていたこともあり、学生時代に強い興味があったのは身体芸術で、コンテンポラリーダンスをよく観ていました。法学部へ入学したのに、途中から文学部の演劇や舞踊、映画の授業ばかり受講していました。

──そんな神田さんですが、その後、加藤泉、塩田千春、宮永愛子、マーク・マンダース、ライアン・マッギンレーといった国内外の作家の重要な作品を購入し、相当なコレクションを形成していきました。

 コレクションを始めたのは2013年くらいです。たった10年前ですが、当時の日本では現代アートコレクターはいまほど多くはなかったと思います。高橋龍太郎さんや田口宏・美和さん親子といった国内トップクラスのコレクターによるコレクションを見て衝撃を受けたことも大きく、そういった人たちに少しずつ近づけるよう意識して集めるようになりました。

 また、海外に足を運ぶようになったことで、よりコレクションは加速し、また変化していきました。主にヨーロッパの美術館やフェア、ギャラリーを朝から晩までまわっていましたが、アートを取り囲む状況の成熟具合で大きな違いを見せつけられて、知れば知るほどショックを受ける日々でした。

 ただ、次第に金銭的な限界も感じるようになり、2018年頃からはコレクションに通底するテーマに絞って集めるように変わっていきました。それで、マーク・マンダースや塩田千春といった作家の作品を入手するようになりました。

「NISHIJI COLLECTION」展示風景より、左から宮永愛子《life》(2018)、塩田千春《Skin》(2020)、ライアン・マッギンレー《Taylor (Black & Blue)》(2012)

Kanda & Oliveiraが目指すべきところ

──Kanda & Oliveiraは当初、コレクションを見せるギャラリーとして開館しましたし、開館記念展の「NISHIJI COLLECTION」もコレクション展でした。ギャラリーを開設するに至ったきっかけを教えてください。

 正確には、建築工事の途中まではコレクション展示のビューイングルームとして考えていて、建築工事の途中からギャラリーを開こうと考えを変えたのです。恥ずかしながら建築に際して、私自身に空間の利用形態についてしっかりした案があったわけではないのです。実家の敷地にギャラリースペースのある事務所兼住宅というぼんやりとした案がスタートでした。

 この建物を設計したKOMPASの小室舞さん(出会った当時ヘルツォーク・ド・ムーロンに勤務して香港のM+プロジェクトを率いていた)との出会いによって、人生を変えられてしまいました(笑)。私がぼんやりとしか考えていなかったところに、ギャラリーを開くしかないような空間が先回りで考えられていたのです。そこで、オリヴェラを誘ってギャラリー立ち上げの準備を開始しました。ただ、いまになって思い返すと、コレクション展を最初に行ったことで、ビューイングルームなのかギャラリーなのかわかりづらいメッセージを外に送ってしまった部分があったと反省しています。

「Kanda & Oliveira」の外観

──しかし、次第にギャラリーの方針は作家の展覧会を実施し販売するという方向性へと変わっていきました。

 作家から作品を預かりそれを展示して販売するということを始めてみたら、バトンをつないでいく役割にやりがいを見出しました。ただいっぽうで、コレクターとしての立場も持っているとブレーキとアクセルを一緒に踏んでいることになるとも思ったのです。

 例えば、自分が企画した展覧会の作品で欲しいものがあると、当然コレクターという立場ではそれを買いたくなりますよね。でも、それをやってしまうとギャラリーをやっている意味がなくなってしまう。コレクターが欲しいと思っている作品を、私が押さえてしまうことにもなるわけで、これはもうギャラリーの役割を放棄していることになります。仕事として正反対のことをしているという矛盾が生まれる。

 こういった問題は作家にも透けて見えてしまっていたようで、心配されてしまうこともありました。本気で作家のキャリアを考える気があるのかどうか、と。当然ですよね。そこでコレクターを辞めることを決意しました。

──でも、作品の購入を止める、ということではないんですよね。

 購入そのものを止めるのではありません。展覧会に必要となる作品をほかのギャラリーやオークションで買うこともあります。展覧会の文脈づくりです。ただ、それらをギャラリーがずっと持つのではなく、次の方へとセットでバトンを渡していくことを前提としています。最近だと、あの場所やあの方にぴったりだなと、バトンを渡す先が少しずつ思い浮かぶようにもなってきました。コレクターを辞めた以上、今までのコレクションも次の方へとバトンを渡そうと、ようやく決心がつきました。

───自身の生活も大きく変わる決断だったのではないでしょうか。

 待っているだけでは何も起こらないので、自分から外部との関係を率先して構築していかなければいけませんよね。そうなると、みなさん私個人を見て判断をするので、自分からメディアに出て発信していくことも必要です。私自身はメディアに対してはかなりの苦手意識をもっていたのですが、180度転換する覚悟を決めました。

神田雄亮、Kanda&Oliveiraにて

作家といかに歩むのか