フィンランドの国民的ブランド「マリメッコ」。その伝説的デザイナーで、旅を愛したというマイヤ・イソラ(1927〜2001)に焦点を当て、その人生や作品を、アーカイブ映像とともに振り返るドキュメンタリー映画『マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン』が3月3日より日本で初公開される。本作の監督を務めたレーナ・キルペライネンに、公開に至るまでの軌跡と見どころについて話を聞いた。
旅を愛し、しなやかにたくましく生きたひとりのデザイナーの人生を描く
──なぜいま、マイヤ・イソラというデザイナーに着目し、ドキュメンタリー映画を手がけたのですか?
レーナ・キルペライネン監督(以下、キルペライネン) 私の母が亡くなったことがきっかけのひとつです。母の死から4ヶ月後くらいに、知人の持っているアート系の蔵書を一部もらい受けました。ただ結構な量があったので、メルヤ(本作品のプロデューサー)を呼んで、分けようとしたんです。そのとき2人が同時に手を伸ばしたのがマイヤ・イソラの作品集でした。一緒に中身を見たのですが、そこには、画家としての作品や商業デザイナーとしてのパターンが収められていることに加えて、マイヤの「人生」や「アート」「マリメッコ」のすべてが詰まっていました。そのとき、メルヤが「これ、映画にするべきじゃない?」と私に言ってくれて。メルヤの言葉から亡くなった母もマイヤのデザインが好きだったということを思い出し、ドキュメンタリーの製作を決めました。
──作中では、マイヤが娘・クリスティーナに宛てた手紙やマイヤの日記が、語りの中心となっている点が印象的でした。それらにはどのような意図が込められているのでしょうか。
キルペライネン クリスティーナでもほかの人の声でもなく、マイヤ自身がこの物語を皆さんにお伝えしているかたちをつくりたかったのです。映画のなかでマイヤが手紙や日記を書いているかのような語りを聞くと、まるで本人が話してるように感じると思います。マイヤは2001年に亡くなっていますが、我々と同様、まさにそこに生きてるかのように感じるのではないかと思います。
──作中にはマイヤの作品をアニメーション化したカットや、心情表現がクリップ映像を用いて表現されており、映画全体がスクラップブックのようであると感じました。これらのアートディレクションについて、監督のこだわりはどのようなものでしょうか。
キルペライネン 私は映画監督である以前にビジュアリストでもあります。当初は写真の仕事を経験し、現在は撮影監督になりました。アーティスト、いわゆる写真家としても活動をしています。この作品をつくり始めたとき、マイヤの人生におけるすべての色彩を用いて、そのパーソナルな部分が感じられるように仕立てようと考えました。
アニメーションの表現を用いた理由は、マイヤがどうやってそれをつくり出したのかという過程を表現したいと考えたためです。もちろんパターン自体は「静」であるのですが、彼女が絵を描いたり、切ったり、そういう制作や思考の「動」をアニメーションで表現することで、マイヤが私たち同様に生きているかのような感覚になる。つまり、クリエイションの瞬間のプロセスを見せることは同時に、その人生の瞬間を見せることでもあるのです。
──おっしゃるとおり、マイヤの語りと実際に描いてるようなアニメーションが組みあわさることで、すぐそこに存在しているようなライブ感がありました。
キルペライネン ドキュメンタリー作家としても重要だったのが、いかにこのアーカイブ、いわゆる記録映像を活用するかということだったんですよね。マイヤの日常の絵はそんなに残ってなくて、どうしても記録映像を探すというのもなかなか大変でした。
それから記録映像に関しては当時、マイヤが生きていた空間をなるべく伝えられるようなものを探す努力をしました。そうすることで、マイヤの視点でこの世界が語られるのではないかと思いました。
──実際、日記や文通の手紙、記録映像はどのくらい残っていましたか?
キルペライネン これらのアーカイブ自体はかなり残っていて、とくに写真に関しては、良質で使用しやすいものが多くありました。ドキュメンタリーとしてしっかりとその一部になってくれる材料になりましたし、よりリアルに伝える役割を担ってくれました。
人として、女性としての「自由」との葛藤
──作中では、デザイナーとしてのマイヤのみならず、その生き方にもフォーカスされていました。例えば、人として、女性としての自由に葛藤するようなシーンもあったかと思います。マイヤの人生におけるこれらのエピソードについて、監督はどのように受け取り、作品に反映させていったのでしょうか。
キルペライネン じつは私もマイヤと同じことをいつも考えていました。私自身も、マイヤのように出会いと別れを繰り返した経験があります。自分のクリエイションと恋愛、そういうものとのバランスって本当に難しいんですよね。いまのパートナーとは非常にうまくいっており、とても自由でいることができるのですが、自分にとってもこのバランスはとても大きなテーマであると感じます。
──ありがとうございます。非常に重要なメッセージだと思いました。この映画を撮影をし終えて、監督自身マイヤへの印象の変化や、同じアーティストとして影響を受けたことはありますか。
キルペライネン (マイヤのアーカイブから)たくさんの手紙や日記を選んでいく作業があったわけです。映画のなかで何を使うのかはもちろん、「自身の表現として何を選ぶか」ということでもありました。つまり、マイヤの手紙や日記のなかに自分の声を見つける作業でもあり、それらに触れてより自身を強くしてくれたと感じています。
結局、たくさんあるアーカイブから何を使用するかは、自分のものの見方が反映されることでもあります。この工程を経て、自分というひとりの人間がより補完されたようにも思います。
ちょうど母が亡くなった悲しみを経験している時期であったため、救われた部分もありました。そして、強くなることができました。その経験から、この映画では愛と悲しみを感じることができると思います。撮影が終わって、やはり手紙や日記のなかから自身の感情に1番響くものを選んでいたのだと気がつきました。私にとってもパーソナルな部分に触れている作品になっています。
──日本での上映にあたって、一言メッセージがあればお願いします。
キルペライネン 作品を楽しんでください。映画は人それぞれに見方があるものです。自分の人生経験や自分を通して見ることによって、自分だけの理解をすることができる。つくり手として唯一言えるのは「Enjoy the film」という言葉です。
取材協力=Hyvää Matkaa!(ヒュバ・マトカ)