──ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2021は日本館だけでなく、海外のパビリオンにも日本からキュレーターが参加しているということで、このような鼎談の機会を設けさせていただきました。まずはそれぞれのテーマとコンセプトをお聞かせいただけますか?
門脇 今回の国際建築展の総合テーマは「How will we live together? (いかにしてともに生きるか)」ですが、このテーマが発表される前に出展者を決めるコンペが行われた国とそうでない国があって、日本とUAEはテーマが出る前、シンガポールは出た後にコンペが行われました。ですから各国館のテーマはある程度は自由に考えてもよい、ということになっています。
日本館展示(主催:国際交流基金)に挑戦した僕たちのチームは、建築展ということもあって「実際に見に行くことにどういう価値があるのか?」ということを最初に考えました。もし模型やパネルの展示であればインターネットで得られる情報とあまり変わりはない。そうではなく、わざわざヴェネチアに行って見る意義のあるものにしようと。もうひとつは、建築は大きいがゆえに廃棄物がたくさん出るので、建築的なスケールを持ちながら、ゴミを出さない展覧会にしたいということです。
そこで考えたのが、日本でゴミになってしまった建物をヴェネチアにまるごと持っていくということです。要するに空き家なのですが、日本は人口が減少して空き家が出ているので、それを持っていこうと。ただそれだけだと、住まわれることもないですし死んだ住宅の展示になってしまう。そこで、むしろ住宅がヴェネチアでいきいきとした感じになるように、現地のコンテクストにあわせて空き家をつくり変えていくことを考えました。しかも、現場で、手で物を触りながら、考えながらやろうと。というのも、どうしても建築家は図面で考えがちで、物の世界と切れているところがあるんですね。とくに近代建築以降は頭で考えることばかりが肥大化してしまった。そういうことにも問題を感じていたので、職人さんとともにつくり、住宅を生きながらえさせるということを考えたんです。
順番としては、そのあとに総合ディレクターのハシム・サルキスによる全体テーマが発表されて、「How will we live together?」という問いに対する答えを考える、ということになりました。そこで、ヴェネチアに持っていく予定だった住宅を調べてみると──60年以上使われていたんですが──その過程でいろんな手が入ってつくり変えられていたことがわかった。その影には家庭の事情や社会情勢(例えば、火災が社会問題になってにシャッターを付ける、というようなこと)も見えます。そういう様々な人間の営為の積み重ねがあっていまの住宅があり、さらにそこに建築家が手を加えるということになると、建築家の創作というのは、過去の様々な出来事を引き継いだものになるのではないか。あるいは、建物自体も様々な人が関わっていまの姿があるということは、建築は本来的に所有不可能性を持っている──誰かがその建築を自分のものだと主張することができない──のではないかという気づきを得ました。建築にはたくさんの人が関わっており、その建築そのものが、多様な人々が一緒にいるためのプラットフォームなのではないか、という発見を展覧会では打ち出そうと思ったんです。
──その住宅はヴェネチアで捨ててしまうと、ただゴミを持っていったということになってしまいますが、そのあたりはどう解決されるのでしょうか?
門脇 コロナ禍で1年の猶予ができたので、各国のキュレーターが散発的に話し合いをするということが起こりました。歴史的に見るとすごく珍しいことなんですね。そのなかで、フィリピン館のキュレーターふたりと知り合って(フィリピン人とノルウェー人なのですが)、展示が終わった後に日本館の住宅をオスロに持っていって、コミュニティ施設として使おうということになりました。こうなってくると、建築がバラバラになりながら時間的・空間的にスプレッドしていくという感じですね。これも我々が事後的に掴んだイメージなのですが、建築というのは時間的・空間的広がりのなかを漂うように存在している。そこにいろんな人の関わりがあるということが見える展示にしようということで進めていきました。
──コロナ禍によって会期が延期されたことがポジティブな動きにつながったと。UAE館はいかがでしょうか?
寺本 我々のテーマは「Wetland」です。コミッショナーであるサラマ・ビント・アル・ナヒヤン財団によるオープンコンペで、僕とビジネスパートナーのワイル・アル・アワールがキュレーターとして選ばれてプロジェクトをスタートしたんですが、「UAE独特のジオグラフィーに見られる材料を建材にできないか探求します」と宣言してからリサーチを始めました。さらに言うと、「Wetland」という題名には、意味のツイストがあります。UAEは「砂漠の国」というイメージがあると思うんですが、じつはラムサール条約で登録されている湿地帯が10ヶ所もあるんですね。「サブカ」という湿地帯が砂漠のなかに出現する現象があって、これは塩分を含んだ地下水が地上に出て蒸発を繰り返すときに地表部で塩が結晶化して塩原が現れる現象なのですが、あまり知られていない。僕らはそこに着目して、ローカルに、ある意味ヴァナキュラーな材料をベースに何かできないかということから考え始めました。ちなみにヴェネツィアそのものも「Wetland」です。
UAEの湾岸地域は「デサリネーション」という海水の淡水化事業が盛んなのですが、リサーチを進めていくなかで、海水を淡水化することで取り出された塩をまた湾岸に戻すことで塩分濃度が急激に上昇してしまっている、という社会問題に着目しました。また建築業界ではポルトランドセメントがその生成過程で多くの二酸化炭素を排出することが問題にもなっている。そこで、UEA館では大気中より濃いCO2濃度の環境に置くと早期に硬化するMgOセメントという「塩のセメント」を使って構築物をつくろうと考えました。淡水化事業からでる濃縮塩水を利用したセメントです。人力で持ち運べるサイズのプレキャストピースをを2500ピースつくり、それを現地で積み上げていくということをメインの展示としました
門脇さんが言っていた通り、僕たちも近代建築への批判を含んでいます。僕らの作品には実際の図面がないんですね。2500ピースを積んでいくのですが、ピースを置くたびに3次元スキャンをします。その3次元情報をもとに、オンラインで繋いだ東京大学の実験室にあるコンピューターで構造解析をして、次にピースを置いてもよい位置といけない位置をヴェネチアの現場に指示するというのを繰り返していきます。「だいたいこんな形態になる」というターゲットはあるのですが、後は現地の人の手でエラーを重ねながら積み重ねていくと。なので、最終形態は厳密に言うと決まっていないという建設の方法を取っています。
──シンガポール館はいかがでしょうか?
宮内 私はシンガポール館で3回目のキュレーションになります。シンガポールの都市再開発局(URA)とデザインシンガポールがコミッショナーとなり、シンガポール国立大学を中心にキュレーターのアイデア公募があり、1回目と2回目は、たまたま私がいたチームが選ばれました。3回目の今回も同じです。連続でキュレーションするというのは若干不自然でもあるのですが、公募でキュレーターのチームが選ばれたという経緯があります。
シンガポールは国を挙げてプロモーションするという力が強いんですね。それはヴェネチア・ビエンナーレの意向とは違っています。建築展はその国の建築家がどう考えているかという、建築家ベースの話なのですが、シンガポールのアプローチはエキスポに近く、政府の意向が反映されている。政府の人間が考えたことが都市計画やまちづくりに反映されていくんです。マスタープランナーがいて、細部にわたるまでトップダウンで街がデザインされていく代表的な都市。ただ今回のシンガポール館のテーマとしては、色々な考え方がじつは点在しているということを反映したキュレーションのアプローチをとっています。門脇さんがおっしゃったように、近代建築というひとつの時代の流れがあるなかで、我々はいかに実際の社会が複雑かということを、レスポンスとして提示しています。
シンガポール館のテーマ「together: architecture of relationship」は、たんなる建物ではなくて、人々の関係性や考え方、歴史、文化、あるいは未来に対する考え方というもの、様々な関係性がヘテロジニアスにあるなかで、それをどう建築できるかというものです。シンガポールのホーカーセンターというコミュニティ食堂のテーブルをモチーフにしつつ、建築家やアーティスト、ライティングプランナー、場合によっては政府やNPOの方など、建築にかかわる様々な人たちに案を出してもらい、そのなかから16個を選んで展示するという形式をとりました。会場には16のテーブルがあって、それぞれがまったく違う建築をやっています。テーブルはそれぞれの方にシンガポールでつくってもってきました。
建築はノンバーバルな情報の宝庫
──コロナ禍における開催となった今回のビエンナーレですが、情報化社会におけるキュレーションの仕方、あるいは展覧会の組み立て方について、どのように工夫してプロジェクトを進めていったのでしょうか。
門脇 日本館はそもそも手で考えることを大事にしたいということで、建築家と大工が一緒にヴェネチアに行き、現地でともに考えたいと思っていたのですが、そこを根本的に変更せざるをえなくなりました。そこで、オンラインで日本と現地をつなぎ、ヴェネチアの職人さんとやり取りすることになったのですが、オンラインでは細かいところはどうしても難しい。実際に見て、監理することができないから、そこで勝負しないような空間の組み立てにしないといけないんですよ。だから現地の職人さんを信頼して、現地の方の創意工夫を吸い上げるようなやり方にしました。このやり方は正直なところもどかしさもありましたが、自分たちのテーマが、過去の人や遠い人たちと一緒いることを想像しながらつくるというものなので、このもどかしさも受け入れざるを得ないのかなと。
今回、現地にはハンドアウトが置いてあって、展覧会の基本的な情報はそれで知ることができます。また、ウェブには雑多なアーカイブを全部残してあって、日本からこの展覧会を見たい人は、空間を体験するのではなくて、情報の厚さを体験できるという構造にしました。いっぽう、展覧会そのものには文字情報などはほとんど展示されていなくて、エモーショナルな体験のみを提供するようにしています。ただし、現地に展示されている木材などの建材にはQRコードが貼ってあって、それを読み込むと3Dデータなどの情報を引き出すことができる。このように、空間的な体験と情報的な体験を交錯させるというのも、コロナ禍後に考えたことです。
寺本 ビエンナーレ全体テーマは「How will we live together?」ですが、それが偶然なのか、予見できていたのかわからないけれど、すごくいまの時代にフィットしていますよね。いかにして共に生きていくのかと。全体テーマが出たのは僕らがプロジェクトを始めた後ですが、他者とのダイアローグみたいなものがやっぱりひとつのキーになるだろうと思いました。
コロナ以前、僕らのパビリオンは没入型の展示にしたかったんです。だからテキストはメインにせず、パノラマ写真で砂漠の状況を見せ、そこから組み上がってできた構造体の中に少人数で佇むことによって、対話が生まれる。ハシム・サルキスが全体テーマを発表したときに言っていたのですが、映画『スターウォーズ』にでてくるモス・アイズリーという街に多様な生きものがみんなで対話しているカフェがあるんですよ。あれがやりたかった。ただこの現況では、そもそも人が集合するものを求めてはいけない。建築はいかに複数人の関係性をつくるかということを考えるものですが、物理的にはそれが奨励されていないわけです。僕らのジェネレーションだとあらゆるIT技術を使いますが、私はやっぱりフィジカルもすごく大事だと考えるほうです。
宮内さんも16のテーブルがあって多様な対話をつくるわけですよね。僕らもそういう意味では、多様性に対する解釈ということについて、つながった気持ちでいます。シンガポールとUAEは国のあり方がかなり近いですよね。僕も宮内さんも、近代的に成り立っている社会のポジティブな部分、いろんな国籍の人が集まって仕事をしているという社会状況を、批判というよりはほかの角度から照射してやっているような気がしました。それが全体テーマにもつながってくるのかなと。
宮内 まさにドバイとシンガポールは都市国家でかなり人工的なので、共感できます。人工的ではあるのだけれども、新しい住まい方や経済、文化などいろいろな社会情勢がすぐに反映される都市です。いろんなものを吸収して、学んで、試してみようという姿勢のある場所なので、キュレーションにもそのメリットをいかさなければいけないなと。
門脇 僕は会話じゃないコミュニケーションを考えてみたいと思っているんです。日本も震災以降、コミュニティやつながりといったことが建築の中心的なテーマになっている。建築家はどうしてもリアリストの面があるから、目の前の人とフィジカルに、バーバルに会話したことを重視しがちなんだけれども、それで切り落とされるものはたくさんあるし、建築はむしろノンバーバルな情報の宝庫です。
今回、一棟の住宅に正面から向きあってみて本当にそう思いました。例えば建築家が描く図面は、建築を抽象化し、色々な情報を捨象して、建物を理解しやすくするためのメディアであるということができる。しかし図面に載せられない情報まで含むと、我々の認知能力では、1軒の住宅さえ把握しきれないんですよ。例えば、柱1本を3Dスキャンすると20GBくらいになる。しかもそれは柱の表面だけの情報量にすぎません。また住宅は普通、重機を使ってガシャっと解体されるけれども、ひとつずつ丁寧に解体していくと、本当にいろんなものがでてきます。新築当時、半年開業して廃業したパーマ屋さんのハサミとか、忘れ去られた看板とか。そういうものすごい情報量に触れたとき、過去の人や当時の社会状況、あるいは高揚する高度経済成長期の感じとか、そういうものと喋っている感じをすごく受けました。近代建築というのは、そういった過去を忘れるための建築なんですね。それが実体験として僕はすごくよくわかって、展示もバーバルに会話するようなものというよりは、過去の片鱗にちょっと触れるというような、そういう体験がつくれればいいなと思っていました。
寺本 面白い。圧倒的な情報量を喋りまくるということなのかなと。
門脇 ウェブサイトもとにかく整理しない。情報をバンバン載せていくというやり方にしました。我々がこれから考えないといけないコミュニケーションというのは、ノンバーバルなコミュニケーションだと思います。そういうことが日本館では浮かび上がってきた。みなさんも同じように感じているんじゃないかなと。
宮内 正直に言うと、建築家は「情報化時代ですよね」と言われるとピキッときて、「いや情報じゃなくてリアルなんだよ」と言いたくなります。いい意味でわりとコンサバなところもあるのかなと。建築家は実際に設計して──それはひとつの情報なんだけれども──それがモノとして具現化されていくという、リアルなプロセスを重んじるところがありますよね。そういうところで門脇さんがおっしゃるようなヴァナキュラーな建築のなかにすごい情報量がある。その情報がいまじゃなくても、1000年後とかにアンジップされる。建築はいま見えるものだけではなく、過去や未来、いろんなものを通して、ある時点でパッと開くようなところがあるので共感できます。
感情や、匂いといった五感はもしかしたら情報化できるかもしれないけれど、同じものをペーストできるかといったらそうではないですよね。あるいは情報化できたけれど、それが昇華されてまったく違うものになっている可能性はある。先ほど寺本さんがおっしゃっていた「没入型の体験」というのが面白いなと思っていて、没入にはARやERを使う場合もありますが、空間に普通にテーブルを置いたときに、みんながそこに来て対話や体験できる、時間を共有できるというのがパビリオンに来た人も面白いと思うんです。来て文字ばっかりだったらつまらないけれど、国際建築展なので、いろんな人がアイデアを交換できるという体験のキュレーションはとてもいいですね。
寺本 そこはたぶんみんな共通していますよね。誰もパネルを読んでくれないって知ってるんだよね(笑)。
門脇 一時期の建築展はリサーチ展ばかりでしたよね。模型だけの展示だと、どうしてもその場所の歴史や文脈が捨象されてしまうから、リサーチ展が復活してきたんだと思いますが、結局リサーチ展もバーバルな情報じゃないですか。つまり言語的に構造化された情報であって、それだけじゃ伝えられないものがあるとみんなが気づきだしている。僕たちのプロジェクトでも、普通の住宅に対して日本建築史に残る立派な建物に使われるような技法を使って過去の変遷を解き明かし、論文にしたりもしているのですが、それはそれ。展示そのものにはあまり関係ないことだと。展示としては五感で感じるということがやはり大事だということに、各国のキュレーターが気づき始めているということが、今年の展覧会ではよくわかると思います。
寺本 これはまずい点もあるんでしょうけど。10分以上ひとつのパビリオンに滞在しないですよね。鑑賞者の反応が反射型になってしまうというのは悲しことだし、そういう状況のなかでどのように他者に伝えていくか、コミュニケーションしていくかというのは、なかなか難しい課題。
門脇 ここ10年くらいのあいだに、SNSでも言語でコミュニケーションするタイプのものは減って、画像や動画を体験するものが増えてきましたよね。そういう意味では、建築展が体験を重視していることは世の中の大きな趨勢と合致してはいるんだけれど、観客の反応が「いいね」だけになってしまうとしたら問題ですね。
宮内 シンガポールは人がとどまらないことがわかっていたので、椅子を40脚ほどとソファーを置きました(笑)。
寺本 僕らも発想は一緒ですよ(笑)。UAE館にとどまってもらうために一番はじめに考えたのは足湯と椅子をセットすること。コンペティティブな状況のなかでのレスポンスですよね。「うちに寄ってって」ってやつです。でもそういうこともコロナで奨励できなくなった。
キュレーションで示す、これからの世界
門脇 オンラインのコミュニケーションもつくりつつ、粘っこい部分をどうやってつくるか。今回は普通の住宅に徹底的に向きあいましたが、それでわかったのは、建築は雑多なものでできているというあたり前のことでした。そのあたり前のことをどのように伝えられるのかが今回もっとも悩んだことでもあります。
寺本 そういう繊細なところとはスケールが違いますが、さっき宮内さんが言っていたシンガポール館は、国全体の表現としてヴェネチアの舞台を利用している。UAEのパビリオンも同じなんですが、ミッションははっきりしていて、UAEのアントールド・ストーリーをインターナショナルなステージに上げて問うと。建築展に限らず美術展も同じコミッショナーなので、地域固有の文化、資産、資源に関して、ローカルなあまり語られていない部分を国際舞台に出すということが、国を知ってもらうことになるということです。その戦略はシンガポールと少し違う気がしますが、門脇さんがおっしゃっていたのがピンとくるのは、近代的に進んでいくときに切り捨てられるものをどうやって示すかということですね。
門脇 ナラティブにはならないジャンクなものたちをどのように扱うかということですよね。構造化からすり抜けてしまうもの、構造化を拒否するようなもの。しかし、そもそもわれわれ建築家は、世界を構造的にとらえようとするようなことばかりやってきたわけで、その過程でこぼれ落ちているものは一切顧みられずに捨てられてきたわけですよ。そうしたものにどうやったら触れられるか、というのは、建築にとってとても重要なテーマだと思うんです。
寺本 日本人が3人、それぞれ違う国の代表としてやっているときに、いましているような議論の内容と、インターナショナルなステージで話すときとの、深化のさせ方が違うのが面白いですよね。国籍というよりは言語の問題でしょうか。
門脇 国際的な舞台できちんと伝えるためには、短くて力強いメッセージを繰り返し出すしかない。
寺本 それが僕のテーマのひとつでもあります。とても繊細な自分の足元にある風土的なイシューを世界の舞台に出すという意気込みでやるんだけれども、この距離感はすごいんですよ。世界全体のイシュー(環境問題や廃棄物問題)は、僕らがいなくてもすでにナラティブが用意されていて、建築はそこを接続することが可能だと思うんです。それぞれが個性的・専門的だからできる。門脇さんは、日本の木造住宅という超専門性を持っているわけですよね。
門脇 もののリサイクル、サーキュラー・エコノミーみたいなことを、どうやって自分がリアリティを持てる側に引き寄せられるかという問題でもあります。まさにおっしゃるとおりですね。
寺本 見せ方がレイヤーによって全然違うのは面白いですね。シンガポール館の話も聞いていると、そのホーカーセンターというみんなが集まるスペースを僕は体験したことがありませんが、そういった地域的な空間から着想を得ているわけですよね。
宮内 そうですね。先ほど寺本さんがおっしゃっていたアントールド・ストーリーというのは素晴らしいなと思って、同じようなアプローチをとっています。ですが、シンガポールでは、文章化したことは政府に一字一句チェックされます。言語のニュアンスまで全部チェックされる。よく見てみると、そこには文章化していない部分はたくさんあるんです。
門脇 リサイクルや環境問題、多民族共生といったテーマは、もちろん政治的なイシューとして語ることもできます。そうしたテーマを、些細で断片的で、しかし身近な体験とどう折り合いをつけるかが、3館に共通するテーマなのかなと思います。
寺本 いま建築に何が可能かという話は、門脇さんがおっしゃった通りです。表現のアウトプットは全然違いますが、そこはやっぱり共通していますね。自分の言葉で強引に言うと、みんなヴァナキュラー。もともとヴァナキュラー建築というのは、過去の(その言葉が)出たばかりのときのイメージは、お金がないからそうなっているとか、汚い、安いというものが一般的なものでした。しかし僕らの世界は違っていて、それを未来に向けてのヒントとして考えているわけです。ヴァナキュラーはノスタルジックな方向もあるんですが、僕は必ず「フューチャー」「ニュー」とセットで語らないといけないと考えています。
門脇 寺本さんが「ヴァナキュラー」と表現されたような話は、我々はもう少し違った言い方で近いことを議論していました。コンテンポラリーアートはオブジェクトをホワイトキューブにおいてコンテクストを剥ぐことで異化させ、そのオブジェクトに意識を向けさせるというやり方を常套手段として持っていますよね。近代建築も基本的にそういうもので、ル・コルビュジエは白いキューブをピロティで浮かせて、建築を異化させたわけです。そうしたやり方に対する異議申し立てとして、バーナード・ルドフスキーが60年代に「ヴァナキュラー」という概念を提出した。しかし、現代ではそうした二項対立を超えたところの話になりつつあるということですよね。
例えば日本の古い住宅というのは親密なものだと思うんです。それをヴェネチアに持っていくと、コンテクストが変わって異化作用が起こるので、一回「不気味なもの」になる。我々がヴェネチアでやったのは、今度はその「不気味なもの」をヴェネチアのコンテクストになじませる、つまり「不気味ではないもの」をつくるという作業なんですが、これはルドフスキーが言うヴァナキュラーとはまたちょっと違いますよね。例えばAmazonで買い物をしたものは、コンテクストを持たないという意味で「不気味なもの」なわけですが、我々がやっているのは、それを使いこなすうちになんとなくその家の一員にさせるみたいな行為なんですよ。たぶん寺本さんが言っている「ニュー・ヴァナキュラー」もそれに近い話じゃないかなと感じます。
寺本 面白い話ですね。不気味なものを、さらにもう1回不気味じゃないほうにするんですよね。それがクエスションなんだね。
門脇 それは新しくつくるものを環境とどうやって馴染ませていくかという創造的な作業であって、みんなそういうことに取り組んでいるんじゃないかなと感じます。それは新しいヴァナキュラーをつくろう、ということとは少し違うように思うんですよね。そういうやり方をしないと、この大量消費社会は乗り越えられないという感覚が僕には多分にあって。ヴァナキュラーという概念で現状を否定するのではなく、現代社会が否応なしに抱え込んでしまっているものを、どうやってその場所に馴染ませながら付き合っていくか、ということです。
寺本 そうですよね。僕らが使ったMgOセメントっていうのは、日本館としては絶対プレゼンテーションできない。UAEの産業廃棄物問題、淡水化事業問題とか、非常に地域的なテーマなんですよね。だから、このMgOセメントが二酸化炭素を吸うからすごくいいです、という話を日本のリプレゼンテーションとしてやることはできないんですよ。
門脇 東北で震災が起きたあとは、僕も含めて日本の建築家たちが被災地にに行って、あちらのヴァナキュラーなものを学んで建築をつくる、ということをさんざん試みました。もちろん、東北の漁村部のような場所ではそういうやり方も有効なのだと思いますが、都市部ではもう少し違ったことを考えないといけないのかなと感じています。
寺本 そうですね。ヴァナキュラーを単独で主張するは危ないということですよね。
門脇 共感する部分は大きいのですが、いま我々が取り組んでいる問題は、ルドフスキーが言った「ヴァナキュラー」とは違った構造を持っているんじゃないかということですね。いっぽうで、ヴァナキュラー建築は無意識の淵から生まれてくるようなところがありますが、現代社会が抱えている無意識の部分にみんなが興味を持っているということは言えるのかもしれない。
寺本 僕らの世代としては、批判するものがより明確になっているというか、環境問題や、もっとブレイクダウンして建築のデザインみたいな話になっても、大きい部分では何が問題かは漠然と共有している。今回の状況でも「How will we live togheter ?」に対しては同じレスポンスになると。ある一体感みたいなものがどんどん醸成されているイメージですね。
門脇 いっぽう、世界中のみんなが同じようなことを考えているのだとすると、それもどうなのかと思う部分はありますね。
宮内 日本館やUAE館もそうだと思いますが、キュレーションがこれからの社会がどうあるべきかというビジョンになっている。何がアントールド・ストーリーなのかという社会的なメッセージが、我々の3つのキュレーションのなかで、メッセージ性としては面白いものになっていると思います。