広告代理店に勤める八千草花音。ロケハンに出かけた後輩から「この人、花音先輩に似てないですか?」というメッセージとともに受け取った画像が、千葉の美術館に展示された零という作家による《晩夏》と題された油絵作品だった。写真と見まがうばかりの細密な描写を特徴とするこのハイパーリアリズム絵画作品が、不思議なほどに花音を魅了する場面から『零の晩夏』の物語が始まる。
「高校、大学と油絵を描いていたんですが、写実表現にはいつも関心がありました」と岩井俊二は語る。「自分の表現の一丁目一番地にあるのが絵画です。何をやるにしても、絵を描く物差しを応用して使っている気がしていて、絵だったらこういうアプローチをするけど映画だったらどうだろう、音楽だったらどうだろう、小説だったらどうだろう、という風にいつも考えています。今回の小説も、『1枚のこの絵をどう読み解きますか?』というスタンスで物語を書き進めました」。
会社でのあらぬ噂をきっかけに退職を決めた花音は、《晩夏》との出会いから、また大学時代まで絵画ひと筋だったこともあって、美術雑誌の編集部に転職する。正社員ではなくまだトライアウトの身として、いい原稿を書けば原稿を買い上げてもらう契約で仕事を始めた。取材を続けるうちに出会ったギャラリストから指名され、ナユタという謎の画家の取材を行うことになる。ナユタも「一度見たものは絵に描ける」超絶技法の画家であり、その取材を手伝ってくれる高校時代の美術部の後輩である加瀬真純もまた、高校時代に県展で優秀賞を受賞する腕前の持ち主でもあった。ハイパーリアリズム絵画作品が物語の軸を担う構成は、三重野慶の作品との出会いがひとつのきっかけになり生まれたのだという。
「初めて出会った三重野さんの作品は、《言葉にする前のそのまま》という川で仰向けに横たわる女の子を描いた作品なんですが、非常に写実的であり、描かれた空気感の鮮烈さに惹かれました。三原色で描かれた絵を見てきた自分には、別次元の五原色ぐらいを使ったのではないかと思うぐらいに色が鮮やかで、その描写にまず驚きました。
この小説を書くときには、全体を通して三重野さんが描く絵のクオリティが頭の中にありました。例えば加瀬という画家の持っている世界が、自分のなかでは三重野ワールドかなと思いながらも、その対照的な位置にナユタという画家のおどろおどろしい世界があって、あとはそれ以外にも、松井冬子さんや諏訪敦さんの画集などを見ながら妄想したりもしていました」。
三重野の超絶にリアルな描写は、油絵具がもつ色の鮮やかさ、塗り重ねたときに生まれる奥深さに裏付けられている。幼稚園の頃から絵が好きで、漫画やイラストなどをずっと描いていたが、高校3年の秋に進学を考え、初めて写実絵画というものを意識したという。「前に描いた絵でできなかったことを次の絵で描いてみようと目標を設定したり、一歩ずつ前に進むようにして」技術を習熟させ、描けるものを増やしていった。画面のなかで重要な役割を果たしている光の描写について、三重野は次のように説明する。
「絵具で描いているので、当然光そのものにはなりません。普段見ている景色よりも絵具で表現できる領域は絶対に狭くなるので、ハレーションが起きている場所を白の絵具で描こうとしても、それ自体を発光させることはできないわけです。それを描くためには、ある意味で嘘をつかないといけないのですが、普段の景色のなかで自分が光をどうやってとらえているか、そこに作家性や個性が生まれるのだと思います」。
光をどのように感じているのかを把握し、その光の解釈を絵具で置き換える作業がアーティストにとっての作品制作であり、それは光だけに限らない。小説『零の晩夏』の装画を手がけた三重野は、表紙の作品について次のように説明する。
「曇ったところにいる女性を描いていますが、曇りの絵は難しいので、そこはひとつの挑戦でした。曇りだと光が少ない分、画面の手前と奥の関係がよく見えてきたり、肌の質感も光が直接当たった場合よりも細かく見えるようになったりします。そこでこの作品では、柔らかい光の中で見えるこのモデルの女性の美しさがもっと見えるように、というテーマを設定して描き始めました」。
冒頭の《晩夏》に始まり、ナユタの絵でモデルとなった女性の悲劇が綴られたり、花音の後輩の加瀬の描画力にも言及されたり、小説において絵の描写は徹底しており、物語の展開にも重要な役割を果たしている。絵が物語とどう結びつくのか。そこには、岩井の絵画鑑賞の楽しみ方も関わっているようだ。
「自分も絵をやっていたので、画面を見て『この辺りから描き始めたんだな』とかある程度はプロセスなどもわかって、それを考えながら見るのを楽しんだりもしますが、それ以上に、絵の背景などを知るとその楽しみ方は倍増するように感じます。前にフィレンツェの美術館に行ったとき、キュレーターに逐一説明してもらいながらまる二日かけて見たのですが、描かれたどの人物がメディチ家の人で、という話を聞いたり、可愛らしい天使だけどじつは天使として最上位にいる高貴な立場で、とか、描かれたストーリー性がさらに鑑賞の楽しみを増やしてくれます」。
いっぽう、三重野は好きな画家の一例としてジョルジュ・ド・ラ・トゥールやフィリッポ・リッピの名前をあげ、鑑賞の楽しみ方を次のように説明する。
「ラ・トゥールの絵でいえば、絵を見るとまず静謐さ、静かな感覚を持ちます。絵が騒がしくない。静かな絵なので、祈りみたいな気持ちをもって描いたのかなとか想像したりするんです。あとは、夜の静かな環境で描いたのではないかと想像し、自分がそこにいたらどういう感じで絵を描くのかと考えもします。
フィリッポ・リッピもやはり静かな絵ですが、その技術というよりも、やはりどういう心の状態で描いたのかを考え、自分が絵を描くときに心をどういう状態にして描くといいのだろうと考えます。絵から感じた感情を頭で考え、絵のどのような要素からその感情が生まれるのかを分析し、自分の絵にどのような要素を取り入れたらいいのだろうと参考にするような感覚です。絵の筆跡や発色を見ながら、そうやって作家の心情を感じ取るのが僕の絵の楽しみ方です」。
小説を書くための準備段階で、岩井は三重野に創作について話を聞き、それ以外にも小説に登場する版画作家のモデルとなる冨田美穂に取材するなど、作家からの声も創作に重要な役割を果たしたという。
「完成した絵って、一枚の絵として止まっているので静かなように見えますが、実際にはつくられる工程において絵描きはひたすら筆を揮い 、饒舌で賑やかなものが頭の中を駆け巡っているはずで、絵にはその賑やかさや忙しなさが内包されていると思うんです。一枚の絵を紐解き、読み解いていくうちに、そうした多彩なエネルギーのような動的なものが感じ取れると思うので、そういうアクティブなものを、絵を通して小説に描きこめないかなというチャレンジはありました」。
絵が謎をもたらし、また同時に、絵が謎と謎を結びつけて解き明かす鍵にもなる。ナユタとは一体何者なのか? 加瀬真純との関係は? 映画監督の岩井俊二が、画家の三重野慶から受けたインスピレーションに端を発する小説『零の晩夏』は、絵画作品の描写を通して読者に謎を問いかける。そのスリリングな展開の視覚的な描写も楽しんでほしい。