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2021.5.21

「写真家・森山大道」をいかに未来へと伝えるか。映画監督・岩間玄と造本家・町口覚が語る

ドキュメンタリー映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』が、コロナ禍による公開延期を経てついに公開された。本作は、現在の森山大道、そしてその壮大な作品のデータを整理し写真集を現代に甦らせる編集チームの試みと、それを映像で追う映画チームの挑戦をパラレルで追った意欲作だ。監督を務めた岩間玄と、造本家・町口覚の両者が、森山大道について語り尽くす。

聞き手・文=鈴木沓子

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ
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 「(展示作品は)もう勝手に捨てるなり、処分してください」──。写真家の森山大道には、45年前、自身の個展を終えた後、ギャラリー側にあっさりこう告げたという逸話がある。

 常々「写真はコピーである」と言い、オリジナルプリントに固執しない写真家は、つねにいまこの瞬間の現実と向き合って、82歳になったいまも路上で撮影を続けている。半世紀以上撮り続けた作品群は膨大な数となり、ネガフィルムやオリジナルプリントが散逸するなか、撮影データを含めたアーカイヴ作業は追いついてはいないのが実情だ。そのいっぽうで、近年国際的な評価がますます高まっている。

 2018年にフランス政府から芸術文化勲章「シュヴァリエ」を授与され、2019年には“写真のノーベル賞”と呼ばれる「ハッセルブラッド賞」を授賞。今後、森山大道の壮大な作品群をいかに未来へつなげていくのかは、大きな課題のひとつだ。

 ドキュメンタリー映画『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』の基軸は、創業時から森山大道の写真集を手掛け、膨大な過去作品を整理しながら《森山大道写真集成シリーズ》の刊行を数年に渡って続けている出版社・月曜社の長期的な取り組みである。

 映画がフォーカスする1冊が、シリーズ第1冊目で森山大道のデビュー作にあたる『にっぽん劇場写真帖』。絶版になっていた幻の写真集の刊行を目指す編集チームと、現在の森山大道をパラレルで追う軌跡のなかから、浮かび上がるひとつの問い。それは、「過去にこだわらず現在と対峙し続けるその作家性を尊重しつつ、いかに時代や国境を越えて作品を残し伝えていくべきなのか」──。

 いまから四半世紀前に森山大道のテレビドキュメンタリー番組を制作した経験を持つ監督の岩間玄、そして半世紀前の写真集を現在に甦らせた造本家の町口覚に、それぞれ映画と写真集という媒体を通じて、どのように「写真家・森山大道」に挑んだのか、その経緯を聞いた。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

──この映画は、写真集刊行の編集チームと本作の映画チームが、それぞれどのように森山さんとその作品を海外や次世代へと伝えるかという格闘のドキュメンタリーだと思いました。まずは映画の基軸である写真集《森山大道写真集成シリーズ》(月曜社)とは、どんな試みなのかという点から、お話を伺わせてください。このシリーズは、初版当時の画像サイズのままトリプルトーンで印刷しているものの、いわゆる「復刻版」ではなく「決定版」なのですよね? その違いについて、教えていただけますか。

町口 そもそも『にっぽん劇場写真帖』の初版は1968年に刊行された写真集なので、復刻させようと思っても、使用されていた紙も廃盤ですし、印刷方式(初版はモノクログラビア印刷方式)もほとんど残されていません。それを考えると造本家としては「復刻」だなんて……。だから、大道さんの再刊に対する判断を基準に、いま現場にいる製紙・製版・印刷・製本の先鋭たちを集め、神林(豊)さん(月曜社代表で担当編集者)と協働すれば、初版を活かしながらも、現在の技術でしかつくれない写真集を刊行することができると思い「決定版」としたんです。

町口覚

 この写真集成シリーズを刊行することになったきっかけは、東京工芸大学が所蔵する大道さんのヴィンテージプリント900点のアーカイヴ・プロジェクト(2004年にモダンプリント30点が追加され、全930点が所蔵されている)がもとになっています。現在その中から選ばれた作品が展示されている写真展が(「森山大道 写真展『衝撃的、たわむれ』写大ギャラリー森山大道アーカイヴより」)開催されていますが、なぜ工芸大が大道さんのヴィンテージプリントを所蔵しているのかというと、その経緯が大道さんらしいんですよ。

 1976年に大道さんが写大ギャラリーで個展をした後、大道さんがギャラリー側に「(展示作品は)もう勝手に捨てるなり、処分してください」と言ったそうです。それを聞いた当時の写大ギャラリー館長で大道さんの師匠にあたる細江英公さんは「森山君、写真家たるもの、プリントはしっかりと保存しなくちゃだめだ」とたしなめたそうです。結局、細江さんが「君がそんなに粗末に扱うんだったら、うちの大学で買って所蔵するから」と言って、900点ものプリントが東京工芸大学に所蔵された。結果的に、大道さんが1960年~1976年の16年間に撮ってプリントした、いまでいうヴィンテージプリントがどさっと残されたんです。

初版当時の画像サイズのまま再現し、トリプルトーン印刷で新生させた 『にっぽん劇場写真帖』決定版

岩間 大変貴重だし、奇跡的なことですよね。大道さんって、過去の作品に全く拘泥しないし「ネガはない」とか平気でおっしゃる方ですから、オリジナルプリントは残っていても、年代や撮影場所などのデータは揃っているわけじゃなかったんですよね。決定版を刊行するために、町口さんたちは、まるで探偵か刑事みたいに膨大なデータを検証して、大道さんに聞き取り調査をしていましたよね。初夏くらいに、「じゃあ第1回目の取り調べを始めます」といって、1ページ目から1点1点順番に、撮影はいつですか、場所はどこですが、機材は何ですかって。それを横から見ていて「これ全部やるの?」って驚きましたよ。

岩間玄

「アーカイヴしないと、本当に作品って残っていかない」

──“過去”や“オリジナルプリント”にこだわらない森山さんの作家性は、日本の写真文化が背景にあることの影響も大きいのでしょうか。欧米には以前からオリジナルプリントを大事にするプリント文化が定着していたと思いますが、60~80年代の日本の写真家にとって主な作品発表の場は『カメラ毎日』や『アサヒカメラ』といった写真雑誌だったと思います。

町口 僕は、この写真集成シリーズの編集作業を通じて、大道さんの膨大なプリント群のほとんどが、雑誌や写真集などの印刷媒体に発表するためにプリントされたものだということを目の当たりにし、改めてその重要性を認識しました。森山大道は、そうした雑誌文化のなかから生まれてきた写真家なんだな、と。

 ただ、シリーズ1作目の『にっぽん劇場写真帖』は、ほとんどのネガフィルムやプリントが残されていなかったので、原本である写真集を分解し、それを現在の技術でスキャニングをして印刷原稿にし、当時の印刷時のトラブル(ピンホールなどの印刷時の汚れなど)を1点1点検証し、修正していきました。そして過去の資料を調べ上げて、大道さん本人に、いつ、どこで、どのように撮影したのか裏を取っていくという作業を半年くらいやったのかな。大道さんから「いやぁ、そこまで覚えてないよ」と言われても「でも、この写真とこの写真は同じ場所で撮ってませんか? 写ってるものが少し違うから撮った時間はあいているようだけど、この場所に何回か行ってません?」って、過去の資料を突き付けたり、「この天井桟敷(寺山修司が主宰していた劇団)のメンバーと写っている女性と、この写真の女性は同一人物じゃないですか?」というように作業を進めていきました。その過程は岩間さんに撮られて映画に出てきますけど。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

岩間 僕はそこがおもしろかった。さすがに半世紀前の話は覚えていないでしょうと思いましたが、写真を見せながら、あらゆるデータで記憶をゆさぶると不思議と思い出してくるんですよね。「これはテレビで横尾忠則さんの特集をやっていてね、夜中にブラウン管を撮ったんだよね」「じゃあ何年だったか覚えてます?」「あ、この奥の花輪の日付がうるう年になってるっていうことは……」という感じで。よくみんなで言っていたのは、この証言集だけでも読み応えがある本が1冊できそうだよねって。とくに60年から80年代にかけて激動の時代の生き証人ですから、そうして紡がれた時代背景が自身の写真解説になり、アーカイヴになっていく。僕はそれがすごくおもしろかったし、貴重な現場に立ち会えて嬉しかったですね。でも、パリ・フォトに出展しに行く予定は決まっていたから、「こんな感じで間に合うのかな」とは思っていたけど。

──その“聞き取り調査”は、今回の決定版の編集作業のみならず、森山さんのアーカイヴ・プロジェクトにつながっているわけですよね。

町口 そうですね。この『にっぽん劇場写真帖』を含めた全5冊からなる《森山大道写真集成シリーズ》は、初版当時の画像サイズのまま現在の技術で新生させ、撮影年、撮影場所、撮影機材などのほか、大道さんによる当時の回想や撮影にまつわるコメントも掲載して資料が拡充した決定版で、海外に向けてもその資料を英訳して英語版を刊行しています。

──映画のなかで、岩間監督と森山さんの出会いは、四半世紀前に岩間監督が森山さんのテレビ・ドキュメンタリー番組を制作されたことがきっかけだったと紹介されますが、町口さんと森山さんとの関係性は? 

町口 大道さんとは、2005年に刊行された『あゝ、荒野【新装版】』(PARCO出版)からのお付き合いですが、何冊やっても毎回初戦で挑む気持ちで造本しています。でも森山さんは多くを任せてくださる。「ひとつ、よろしく」って。今回は造本するだけではなく、大道さんに対する聞き取り調査もあったのでプレッシャーは大きかったですけど(笑)。

岩間 神林豊は神林豊で写真が元々持っている力を信じているから、それをいまの世に出したいとなると、全員のハードルが一気に上がる。おもしろかったのは、東京印書館の髙栁昇さんというプリンティング・ディレクターが「復刻版ではないなら、何をつくろうとしているんですか?」という話をするところ。髙栁さんは、印刷業界のプロフェッショナルなので、刊行当時の雰囲気を再現するためには、紙の経年劣化も含めてこういうのはどうかという提案するけど、町口さんは、「いや、ただたんに昔の写真集をそのまま甦らせましたという話ではない」んだと。あの写真集が半世紀経った後に、いまどういうものになるのか刊行物として世に問いたいという思いがあるわけですね。だから、テスト版が上がってきた時に、なんか違うんだよなとなる。おそらく、たんなる復刻として考えたら「実物に似せればいい」という目指すべきゴールのわかりやすいものができあがっていたはずなんですよ。でも、そうじゃないんだと。だから、髙栁さんが町口さんの反応を見て、どうすればいいのか手探りでつくり上げていく行程はクリエイティブだったし、見ていてすごくおもしろかったですね。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

作家性を尊重しながら作品をどう伝えるか

──過去やオリジナルにこだわらない森山さんの過去作の決定版を新生し、なおかつアーカイヴを制作するという作業は、森山さんの哲学や作家性に相反しかねない難しさがあったのではないかと想像しますが……。

町口 大道さんは、これまでずっと「写真はコピーに過ぎない」という考えでやってきて、写真を残すということより、どんどん写真が生まれ変わっていくのを好む人です。だから、いつどこで誰と、どんなカメラで、どんな風に撮ったかを細かく検証すること自体、僕らは最初「こういうことやってもいいのかな?」ってジレンマがありました。でもアーカイヴにしないと、本当に作品って、残っていかない。実際に、大道さんの初期の写真集は絶版になってプレミアがつき、これからの人たちが簡単には手にとって見られなくなってしまっているわけで。それと、大道さんが元気で記憶が確かなうちに……という気持ちはやっぱりありました。一度、コンプリートデータを作れば、何度でも蘇るし、アーカイヴすることは僕らの仕事なんだと。あと、もしそれを他の人がやったら嫉妬するし(笑)、「やるんだったら僕と神林さんでしょう!」っていう気負いもありました。 

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

岩間 森山大道が口癖のように言っているのは、「写真は何度でも甦るんだ」と。その都度、様々なデバイスにいろんなかたちで命を宿していくということですね。だから大道さんは「オリジナルプリントじゃないと俺は写真と認めない」みたいなことは言わないんです。焼いたものはひとつの手掛かりに過ぎない。それが例えば、Aの雑誌に載ったら、それはAという雑誌の中でひとつの命が宿していて、またBという雑誌でまた違うトーンで印刷されても、そうやって新しい命が生まれたということ。そういう哲学が彼の中であるから、オリジナルのネガじゃないと駄目だという話はなくて、写真集から起こしてもらって全然かまわないというスタンスなんです。

町口 そういうことに喜びさえ感じているからね、大道さん。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

──森山さんは、雑誌の特集企画で若手デザイナーに自分の写真を提供し、自由にコラージュしてもらうコラボレーションもされていましたが、写真家としては稀有な存在ですよね。

岩間 「写真は現実というオリジナルのコピーである」という考え方が通底しているよね。写真は世界の断片を記録しているにすぎないし、自分はそうやって断片を黙々と複写していっているにすぎない。それがその都度、いろいろなデバイスを通じて、増殖していくように世の中に出ていく。だから結局、カメラは何でもいいんだよと。「カメラはしょせんコピー機にすぎないんだから、写れば何でもいいんだよ、ピントだって合わなくたっていいんだよ」と。

町口 危険、危険(笑)。大道さんと同じやり方をしても、とてもじゃないけど森山大道にはなれないし、あんな仕事はできないんだから。

岩間 「そうか」と思って真に受けると大やけどする(笑)。でも、だからこそ、僕も撮影に入るときには、構成台本は一切作らずに挑みました。森山大道を撮るには、あらかじめ台本を作って、それに合うシーンを撮るような予定調和はそぐわないって思ったんです。だから不安でしたよ。これ本当に映画になるのかなって。撮影中は、大道さんはコンパクトカメラで街を徘徊して写真を撮って、僕はハンディカムのカメラを持って、その後を小走りで追いかける。誰も映画の撮影だとは思わなかったでしょうね。でも、とにかく現場で起きてることだけに目を凝らそうって決めて、目の前の現実だけを撮影して重ねていくしかないと思いました。だからこそ、町口さんは写真集を作るって言ったら、どんな木から生まれる紙を選んだらいいのかを考えるために、森まで行って木を見るし、印刷所の現場まで足を運ぶんだよね。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ
『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

──映画の冒頭で町口さんが森の中で木の匂いを嗅ぐシーンは、電子書籍の時代に、あらためて「本」は形や匂いがある物質であることを思い起こさせました。

岩間 何をこの映画の背骨にするのか、そのインスピレーションをくれたのは、町口さんなんですよ。一緒に飲みに行ったとき、夜中に町口さんが僕にこう言ったんです。「岩間さん!写真集って、何からできてると思う?」って。僕は「えっ、写真でしょう?」と答えたんですが、「いや、そういう話をしてんじゃないのよ。写真集は紙からできてんですよ!」って言われて、そんなこと考えたこともなかったから、びっくりして。

町口 酔った勢いで絡んでますね(笑)「本は紙からできていて、紙は木から、その木は森に生えている。造本家が本を作るには、どういう紙であり、その元となる木はどういう森に生えているのかまでをイメージできなければ、本なんてつくれないっすよ!」って……。完全に泥酔してますね(笑)。

町口覚

岩間 これが映画の背骨になる!と思って、家に帰って、すぐ構想を書きました。大道さんは造本家である町口さんに「いまの時代に、半世紀前の写真集をどういう風に蘇らせてみせるのかまで含めて、よろしく」ってバトンを渡したわけだから、たんに「表面的にカッコいいイケてるデザインの写真集をつくります」では済まされないということ。21世紀のいま、この写真をどういうかたちで、どんな紙質のうえで、どのように蘇らせるのか、その源流までたどって、ゼロから考えざるをえないっていうのは、よくわかるな。

岩間玄

森山大道が監督に託した謎のメッセージ

──映画のなかで、おふたりのアプローチや試行錯誤の過程そのものが、はからずとも森山大道という写真家の批評になっているかのようでした。それぞれ映画や写真集をつくる過程で、おふたりは、改めて森山作品に出会い直した部分はありましたか。

町口 もちろんありましたね。1960年、大道さんが写真家の岩宮武二さんのスタジオにいた時に、2階のスタジオから撮ったスナップがあることは知らなかったんです。この写真は現存する森山大道の最古の写真だぞ! みたいな発見もありました。その写真は『にっぽん劇場写真帖』に掲載されているんですが、最新刊『森山大道写真集成⑤ 1960-1982 東京工芸大学 写大ギャラリー アーカイヴ』の表紙にしました。そういう検証をずっと繰り返していたら、やっぱり写真の見方が変わりましたね。

『森山大道写真集成⑤ 1960-1982 東京工芸大学 写大ギャラリー アーカイヴ』

岩間 どんなふうに?

町口 大道さんに、色々と話を聞くなかで、それがどんな時代で何を写していたかを知ると、どうしても写真の見方は変わりますね。例えば、窓際に吊るされたシュノーケルとネガフィルムの写真について、「中平(卓馬)と葉山の海に行った帰りに、僕が渋谷の部屋で中平にネガ現像を教えたんだよね」っていう話を聞くと、それなりに写真の見方は変わってくるじゃないですか。森山大道の写真は、何がなんだかわからないけど、ただ感情が突き動かされる感じが僕は良かったんだけど、それを超えて写真の背景や文脈がわかるのもいいんですよ。ただ逸脱した写真を撮っているんじゃなくて、仕組まれた逸脱であることがわかると、やっぱり写真の見方が変わります。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

岩間 そういう意味でいうと、僕は中平さんのことを森山さんに聞くのって、結構勇気がいりました。大道さんもいろんなところでお書きになってるように、「自分にとって唯一無二のライバルであり親友であり、いまでも自分の中でビビットに生き続けているたったひとりの写真家・中平卓馬」なんですよね。中平さんが亡くなって数年経ちますが、中平さんのことはなかなか聞けない。なんていうか、聖域なんですよ、軽々しく立ち入れないというか。でも、今回、神林豊と町口覚がここまで踏み込んで大道さんの記憶を掘る仕事に勇気をもって取り組んでいたし、僕も映画をつくるうえでちゃんと聞かなきゃなと思った。そこで、森山大道にとっての中平卓馬を語ってもらうには、25歳~26歳の頃に過ごした葉山の長者ヶ崎という場所に行かないと駄目だなと思って、恐る恐る大道さんに「長者ヶ崎に行くのってさすがにダメですか?」と振ってみたんです。「いや行ってみようよ。自分もずっと行ってないし、行って自分がどんなこと感じるのか見てみたい」って言ってくれたんです。「でも大道さん、そこで『説明しよう、中平卓馬とは……』って解説するのも野暮だと思うんですよ」と伝えると、大道さんが「うん、そうだね。葉山の海の向こう側にさ、中平を感じられたら、映画の勝ちだよね」って言われて。そのプレッシャーのかけ方……!って、こっちはまた焦るんですけど(笑)。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ

──映画のネタバレになるので詳細は控えますが、ラストは偶然とは思えない素晴らしいショットでした。

岩間 大道さんって半世紀以上、「たまたまそこにあるものを、すでにそこにあるものをコピーしてるにすぎないんだよ」って言うんだけど、やっぱり誰にも真似できないタイミングや光と影のバランスで記録していく力があるから、何となくスタイルを真似してもなかなか森山大道の写真にはならない。それは時代が変わっても、今日もまだ街に出て写真を撮って、翌日また既に撮った街に出かけて撮りに行く。淡々と黙々と愚直に半世紀以上も撮り続けた積み重ねですよね。コロナパンデミックが起きようが起きまいが、やることが変わらない。この映画がコロナ対策のために公開が延期になった時も大道さんは「みんなさ、リモートワークっていうの?テレワークっていうの? すごく大変だよねぇ。ほら、僕の場合は、もうフットワークしかないからさ」なんていうことを冗談めかして言うわけですよ。

町口 そういうことをポロっと言いますね。人たらしですよ(笑)。

岩間 うん、みんな大道さんのこと好きになっちゃう。この人がニコっと笑ってくれたら嬉しいし、そういう仕事しなきゃなって思わせてくれるんですよね。……それから、これは、まだどこにも喋っていない話がなんですけど。じつは、撮影が終わって「岩間さんに全部任せるから」って言われて、編集に入るタイミングで、大道さんから1通の封書が届いたんです。開けると、便箋に縦書きで、こう書いてあったんです。

森山大道が岩間玄に送った手紙 撮影=小岩井ハナ

……って、これだけなんですよ! 僕、考え込んじゃって。あまりにも巨大な謎だったので、大道さんに直接聞いたんです。「これはどう解釈したらいいんですかね」って。「いやいや、それはもうシャレだから。いたずら書きみたいなもんだから」ってはぐらかされるんですよ。そんなわけないじゃないですか。

町口 いわゆるスランプで写真が撮れなくなった時期も、写真のことを深く深く考えてきた人じゃないですか。それを「写真とは想い出です」か……。森山大道ってそういう人ですよね。

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道』より (C)『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』フィルムパートナーズ