10月11日まで開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2020」。国内外から67組のアーティストが参加する同国際展は、新型コロナウイルスの影響が色濃いなかで準備を進め、7月17日の開幕に成功した。企画統括を務めるキュレーターの木村絵理子に、コロナ禍でいかに大規模国際展が開かれたのか、そして伝えていきたいことは何かを聞いた。
──今年1月から2月にかけて国内では新型コロナウイルスによる懸念が前面化し、社会的に危機感が漂い始めました。当時の準備状況を教えていただけますか?
アーティスティック・ディレクターを務めるラクス・メディア・コレクティヴ(以下ラクス)は1月の終わりまで来日しており、一部のアーティストは2月末まで横浜に滞在し、制作やリサーチを断続的に行っていました。
2月中には会場の展示プランが最終決定し、4月に予定していた記者会見のタイミングでアーティストやラクスも再び来日する予定で準備をしていました。また、4月後半から始まる海外からの大型作品の船便輸送のために、輸送会社を決めたり、5月上旬からの会場設営に向けて施工会社との契約も進めていました。
──2月26日、新型コロナウイルスの影響により国立博物館が27日以降の休館を決めました。この決定を境に、ほかの公立・私立美術館も次々と休館を発表していきましたが、トリエンナーレの組織委員会はどの段階で開催の方針を決定したのでしょうか?
毎年3月末に組織委員会の年次総会が開かれるのですが、その開催が3月25日でした。海外のロックダウンの状況等もあり、緊急事態宣言の発令も予想できる状況でしたが、収束後に速やかに開催できるよう、スタッフの安全対策に十分注意しながら開催準備を進めていきました。
こうしたなか、5月25日の緊急事態宣言解除を受けて、組織委員会で改めて開催に向けた準備状況や新型コロナウイルス感染対策の実施について確認をし、6月の開催と会期の変更について決定しました。
──リスクも大きいなか、主催者側が決定の判断を下した理由は何だったのでしょうか?
様々な工夫と万全の対策により開催を実現させ、アーティストの活動基盤を守るとともに、これからの国際展のありかたを世界に示すことが大切だというのが一番の理由です。中止にするリスクのほうが、実行するリスクよりも大きいということもありました。7月に開幕を控えた大規模な国際展だったので、すでに展示構成やアーティストのプランも固まり、作品借用の交渉もほとんど終わっていました。
また、今回は、美術館からの借用がほとんどなかったことも特徴でした。もし美術館からの借用など、アーティスト・主催者以外の第三者との交渉が多い内容であれば、実現は難しい判断になったと思います。今回はアーティストと主催者間で速やかに意思決定ができ、緊急事態宣言が発令された後も物流やそれぞれの国の状況を確認するなか、比較的早い段階で6割ほどの作品は確実に揃うだろうという見通しが立てられていたので、例え開催後に完成するものがあっても展覧会を成立させられると判断しました。結果的には、輸送の遅れが発生した1作家を除いて、当初予定していたアーティストの作品が開幕に間に合いました。
そしてラクスの、地域の拡がりや多様性を重視してアーティストを選定するという方針が、良い方向に働いた面もあります。欧米では厳しい行動制限を行う国も多かったのですが、非欧米圏にはその限りではない国も多かったので、その多様性に助けられたとも感じています。
──開催決定にあたって、参加アーティストの反応はどのようなものだったのでしょうか?
やはり感謝してもらえることが印象的でした。世界中で様々な展覧会がキャンセルとなり、それぞれのスケジュールが定まらず、不安を感じていたアーティストも多かったので、予定通りの開催を決めたヨコハマトリエンナーレへの感謝の声が聞かれました。
──開催を決定してから、スケジュールや展示プランはどのように変更しましたか?
まずは関係者や出品アーティストに、再び世の中が動き始めることを期待して予定通り準備を進めることを伝え、全員から賛同を得ました。また、スポンサー企業にも方針を伝え、入場者数の減少やプレスを呼んだレセプションが開催できないであろうことを説明し、こちらも了承を得ることができました。
同時に、輸送会社に海外や国内の物流の状況を、施工会社に人員・資材が調達可能かどうかを相談しました。物流は止まっておらず、むしろ輸送量が増えて混み合っているという状況だったので早めに動く必要があり、アーティストには前倒しで作品をピックアップさせてもらいたいとお願いすることもありました。
会場の施工にあたっては1箇所で作業するスタッフの数を限定し、現場に出勤する職員の数も必要最低限の人数で進めました。いっぽうで無理なく作業を進められるように、施工期間は通常の倍の時間を設けることになりました。加えて、会場運営にあたっての感染拡大防止対策を万全にするため、開幕オープニングも2週間延期しました。
──オンラインでの作業環境を準備するのは大変でしたか?
ラクスがインドを拠点にしていることもあって、もともとオンラインベースで実務的なミーティングを行っていましたので、急激に仕事のスタイルを変えたということはありませんでした。また、昨年の段階でオンラインチケットの導入方針も決まっていたので、日時指定券の発行にもスムーズに移行できました。
──準備を進めるなかでもっとも難しかったことは何だったでしょう?
記者会見やインタビューといった人を集めた広報活動ができず、また世の中の風潮としても、多くの来場者を広く募ることが難しい状況でした。また、事前予約のシステムを多くの人にわかりやすく説明することも苦労しましたね。
──コロナ禍という状況で開催したからこそ良かったことや、気がついたことがあれば教えて下さい。
入場者数を制限したことにより、会場内で作品を鑑賞する環境に余裕が生まれたということは結果として良かったことでした。
大規模な展覧会は入場者数を求められ、数字によって興行を比較されることも多いので、よほどの混雑にならない限り人数制限することはなく、どうしても展示環境の余裕を保つことが難しくなります。
今回はコロナの影響で入場者数を限定したことで、奇しくもゆったりとした鑑賞環境をつくることができ、危険回避のためだけではなく鑑賞体験の質を向上するための入場方法を考えるきっかけになっていくのではないかと思います。
──アーティスティック・ディレクターのラクスは、今回の開催をどのように受け止めているのでしょうか?
いまも毎日のようにやり取りをしています。現在、とくに力をいれているのは開催の記録で、開催された状況のすべてを網羅できるような図録を年内に刊行することを目指していて、会場に来られなかった人にもヨコハマトリエンナーレ2020が何だったのかを伝えられるようにしていきたいと考えています。当のラクス自身が現地に足を運べていないわけなので、会期終了後も言語化して伝えていきたいという思いは強いです。
──今後、コロナ下で開催を実現した国際展のレガシーとして、伝えていきたいことを教えて下さい
活動を止めないことが重要だと思います。今回は幸いにもお客さんを迎えることができましたが、開催できない可能性も充分にありました。しかし、かたちはどうあれ何かしらの方法で作品を届けていくことは、文化的活動の担い手の使命だと思います。アーティストだけでなくその活動を支える立場の人間も、つくることをやめないで活動を続けていくことが大事だと思っています。
とくに日本では経済的な効果が国際展の数値目標として挙げられるなか、今回のトリエンナーレは文化のために活動するという原点に立ち返ることができた国際展だったとも言えるのではないでしょうか。数値化されない部分で文化や芸術がどのような価値を持つのか、来ていただいた方はもちろん、来られなかった方にもオンラインや図録、その他の記録などを通じて、問い続けていくことが重要だと思っています。