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2020.2.16

「ミュージアム・エデュケーター」があいトリで果たした役割。会田大也に聞く「ラーニング」の重要性

日本では数少ない「ミュージアム・エデュケーター」として活動する会田大也。「あいちトリエンナーレ2019」では、ラーニング・プログラムのみならず、「表現の不自由展・その後」の展示再開に向けた動きでもその力を発揮した。会田が語る「ミュージアム・エデュケーター」の重要性とは?

聞き手・構成=杉原環樹

会田大也
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ボランティアたちと共有した時間の厚み

 ──日本の美術館では、教育普及活動は学芸員の一業務とされるのが通例です。そのなかで、会田さんはこの領域を専任とする数少ない「ミュージアム・エデュケーター」として、主に山口情報芸術センター(YCAM)で活動されてきました。ラーニング全般のキュレーターを務めた「あいちトリエンナーレ2019」(以下、あいトリ)には、どのような経緯で参加されたのでしょう?

 実際に「あいちトリエンナーレ2019」にお声がけいただいたのは、2017年の秋です。じつを言うとひとつ前の「あいちトリエンナーレ2016」にも参加を要請されたのですが、お断りをしています。当時僕は開館から11年関わったYCAMを離れ、東京大学の特任助教となったばかりで、お誘いいただいた教授への恩にも報いたかった。芸術祭の教育プログラムをやるからには遠隔での仕事でなく、地元に移り住み取り組むべきだと考えていたので、東大に移ったばかりのその時期は残念ながら辞退したのです。ですが、17年にふたたび誘っていただきました。契約年数を全うし、大学を離れるタイミングも近かったので、お請けすることができました。その後、2018年度は東京から通いながらプレイベントなどを行い、2019年の春から秋までは現地に引っ越してトリエンナーレに集中できる環境に身を置きました。

 ──先走って言ってしまうと、今回のあいトリにおいてラーニングの役割はとても大きかったのではないかと考えています。というのも、例の展示中止騒動の背景には、政治・社会的な要因以外に、そもそも「現代アートはわからないもの」という一般的な感覚があると思えるからです。ラーニングがその「溝」に関わる領域であることは言うまでもありません。開催前のお話から聞きたいのですが、今回ラーニングを担当するにあたり、どのような点に力を入れようとしたのでしょうか?

 あいトリの教育プログラムは、過去三回とも充実したものだったと認識しています。そうしたなかで僕が今回イメージしていたのは、例えばミュンスター彫刻プロジェクトのように、学生からお年寄りまで、誰もがアートについて考えたことを話せる場所がある、というような風景でした。あいトリでもそんな風景が見られたら…...と想像していました。

「表現の不自由展・その後」再開直前のあいちトリエンナーレ2019会場

 具体策のひとつが、ボランティアの研修制度の改革です。あいトリには市民のボランティア組織があるのですが、あるときその登録者数が1200人近いと聞いて、「すごい。その数であれば何かが変わるかもしれない」と思ったんです。自由になる自分の時間を割いてアートに関わり、貢献したいという人がそれだけの数いるという事実そのものが、大きな可能性だと感じました。

 キュレーターやアーティストの多くは、芸術祭が終われば現地を離れるいっぽうで、地元に残るのは、ボランティアなんです。だから、その人たちに何が残せるか。大きな予算もつけるわけですし、何か人に残ることをやりたいと考え、研修の回数をそれまでの実績と比べて大きく増やし、対話型鑑賞の専門家の平野智紀さんを特別講師として呼ぶなどして、トレーニングの内容を充実させました。

 ──今回、研修は望めば何回でも受けられたと聞きました。

 そうですね。これまでと同様に今回も、全ボランティアのなかから、ボランティアツアーを担う「ガイドボランティア」さんを選出しています。その過程ではアートの知識を問う試験などもあり、試験を通過した方にガイドをお願いしています。従来は最初に試験があり、その結果に従って、その後の研修内容が異なっていました。ただ今回のあいトリでは、その試験の時期を可能な限り後ろ倒しにし、試験を受ける前でもある程度専門的な対話型鑑賞のレクチャーやロールプレイを通じた実践研修を受講できるよう変更しました。回数については、希望をすべて叶えられたわけではありませんが、同じ研修を複数受けることも可能でした。

 というのも、ボランティア募集が始まる前に、ボランティア経験者のかたとお話しする機会があって、そのなかで「私はガイドボランティアではなかったので......」といった謙遜と自虐の混じった雰囲気を感じました。なのでもっと専門的な研修を希望する人が、なるべく受講できるようにすることは重要なのだと感じたのです。

 ──より多くの人がガイドボランティアになれる機会を得られるように、制度を変えた、と。

 もちろん、そうするとコストがかかります。会場や講師の数も増えるし、僕自身一日に講義を3回行う日もあった。普通、それは大変だからやらないんですが、コストをかけたとしてもボランティア経験者のなかに知識のみならず、あいトリを自分ごととして捉えてくれるオーナーシップも育つだろうと思い、事務局と折衝して回数を増やしてもらいました。

アート・プレイグラウンド しらせる OUTREACH Photo by Yasuko Okamura (C)あいちトリエンナーレ実行委員会

 ──育成の場にとてもコストがかかっているんですね。

 人的リソースも割きましたし、多くの人に協力してもらいましたけど、だいぶ充実していたと言えると思います。実際、回を重ねて学べば、単に一度レクチャーで聞くのとは違い、相互に対話型鑑賞のロールプレイなども経験を積めて、理解度はぜんぜん違うんですよね

 ──現実問題として、芸術祭のボランティア募集には「人手の確保」の側面もあると思います。しかし開催前に多くの時間を共有することで、その方たちの関わるモチベーションも変わりそうです。

 おっしゃる通りで、ボランティアを無料の労働力だととらえる風潮は好きではありません。自分ならそう扱われたくない。僕が思うのは、トリエンナーレにもファンがいて、なかでも一番ディープでコアなファンがボランティアだということ。ある意味、トップ・プライオリティなのです。その人たちが楽しんでいる状態がつくれていれば、イベントとして成功に近づくことできる。なので、可能なかぎり力を注ぎました。

アート・プレイグラウンド もてなす INTERACT (C) あいちトリエンナーレ実行委員会

作品と人々をつなぐ、場所やキャプションの設計

──今回のあいトリの各会場には、「アート・プレイグラウンド」というスペースがありました。「あそぶ」「はなす」「つくる」「もてなす」「しらせる」という5個のテーマで、来場者が創造性を発揮できるスペースです。あのコンセプトはどのように考えられたのでしょうか?

 僕の関わってきたメディア・アートの領域に限らず、直接的なインタラクションを観客に求める作品は増えているように感じます。そこで重要なのは、能動的に作品を見たり、いろいろ試したりできる面白い人を増やすことで、そのための「かかわりしろ」をつくること。つまり、観客をただの受け手ではなく、能動的にアクティビティを掴みにくる人たちだという風にとらえる。地域フェスティバルという側面も持つあいトリでは、これを機に初めて美術館を訪れる人も多いわけで、そんな人たちが美術館でアートに積極的に関わり、話をし、ものをつくるのが当たり前という地域になったら面白いと考えました。

アート・プレイグラウンド はなす TALK Photo by Yasuko Okamura (C)あいちトリエンナーレ実行委員会

──たしかに、芸術祭に限らず通常の美術館の展示においても、鑑賞後に感想を言い合える場はそれほど多くありません。普段、モヤモヤした気持ちを抱えたまま美術館を後にする人は多そうですね。

 何かモノを見て考えたら、それを他人に言うことで整理できるはずです。面白いかつまらないかという二者択一の判断の内実は、話すことで初めて構造化される。でも、基本的に日本の美術教育では、「鑑賞」とは「自己の内なる声との対話」になりがちです。本当はもっと他者と会話をしていいはずで、そこが分かれ目なのかなと思っていました。

──また、アート・プレイグラウンドには、大人向けになりがちな芸術祭において、子供の受け皿となる側面もあったと思います。そのあたりはどう考えていましたか?

 僕は、「本質であれば子供も大人も楽しい」という考え方を持っています。なので、アート・プレイグラウンドの対象は全年齢にして、とくに理由がない限り年齢制限はしてません。子供向けにフォーカスするのではなく、子供も参加できるものを目指したわけです。

 なぜ、子供も参加できることが重要かと言うと、子供は、「王様は裸だ」と忖度なしに言える鋭さを持っているからです。この一種の野性性、獰猛さはアーティストにも通じますよね。つまり「アートを子供へわかりやすく解説をしよう」という姿勢ではなく、むしろ鋭さを持っている子供の視点が、アートの現場にとって必要だと考えているのです。

 アート・プレイグラウンドでは、来場者の創造性を際立たせたいと思っていました。そこで、例えば愛知県美術館にあった「あそぶ」の会場では、観客用の通路を高い位置につくり、遊んでいる参加者との間に「見る・見られる」の関係をつくりました。建築家の遠藤幹子さんとも検討を繰り返し、コンセプチュアルな空間としても設計しているんです。

アート・プレイグラウンド あそぶ PLAY Photo by Yasuko Okamura (C)あいちトリエンナーレ実行委員会

──作品のキャプションにも会田さんが関わったとか。

 キャプションは、8割程度を僕が書いています。もちろん、作家によっては自分で書きたい人やキュレーターが書いた方がいい作品もあったので、それらは相談しながら進めました。

──あいトリを訪れた読者はわかると思いますが、非常にわかりやすい解説でしたね。

 僕は、本来は解説を読みながら作品を見るのは、視点が固定されるので苦手です。でも、現代美術の場合、最初の取っ掛かりがないと「何これ?」で思考停止してしまうこともある。とくにあいトリのようにアートファン以外も多く来る場所では、テキストを掲示するメリットのほうが大きいな、と。そして、書くんだったら、読み手に優しいものにしたいと思いました。

 キュレーターが書く解説というのは、美術史にきちんとコミットする意識が強いために、ときに素人の目線からは難解になることもあります。決して、初心者フレンドリーではない。津田大介芸術監督はそれを冗談交じりで「ポエム」と呼んでいましたが、彼は出自がライターなので、素人がどう読むかということにすごく意識的なんですね。それは僕も共感するところです。解説が難解であるがために、逆にアートへの乖離が進むのは本末転倒です。

 じゃあ、どうするか。作品を見て全員が共有できる「fact」を入口にしました。対話型鑑賞の世界では「fact」と「truth」と言うのですが、目に見える事実は事実としてまず共有したうえで、それを鑑賞者のなかでどう解釈できるのかという「truth」へと積み上げていく。そのプロセスをテキストの構造に適用しました。

会田大也

──それこそ解説が難解なものだったら、例の騒動はより深刻だったかもしれませんね。読めばなんとなくでも理解できる、アートの世界は理解不能ではないと実感できることが重要だった。

 分断の距離を埋めるとき、その目立たない機能がつなぎ止めた部分はあるかもしれませんが、あの状況に対して影響が大きいかどうかは、正直わかりません。

騒動が起きた後に。1ヶ月半の試行錯誤

──「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動が起きた際の率直な思いを聞かせてください。

 騒動が始まったあと、電話が鳴り止まない状況は僕も目撃していました。なので、いったん中止しなければいけないという津田さんたちの判断は、合理的なものだと思いました。

 同時に、もちろん、どう再開できるのかについても考えました。具体的には、公務員法や県の内規で電話を受けた際の決まりがどうなっているかということで、名前を名乗らないといけないのかとか、そういうことを調べたりしていました。

 また、複数のアーティストが展示を閉じることも起きました。これは、彼や彼女たちの普段の表現や、国際的なアートの世界では当然と見られる動きだと思います。作家のことを考えるアートキュレーターの立場であれば、「仕方ない」と受け止め動けたと思う。

閉ざされたタニア・ブルゲラの展示室

 でも、僕は作家だけではなく、来場者にも近い立場なので、「なぜそこで観客がわりを食うのか」ということには、正直、納得できなかった。展示中止か続行かの決定権はアーティストが持っていることは理解していても、状況に働きかける力の弱い観客という立場の人がわりを食っている事実に構造的な力の非対称性を感じていたことは事実です。その板挟みで、すごく苦しかった。ただ、いまから考えれば、ボイコットのようなアクションをしなかったら展示再開は叶わなかったかもしれないので、いまでも何が正解かは僕の中では答えが見い出せていません。

──会田さんとしては、打つ手がなかなか見出せない状況ですよね。

 そうですね。その試行錯誤の状態が、1ヶ月半ほど続きました。

 また、キュレーター側がステートメントを出さないことに対しての批判もありました。これに関しては、会議でステートメントを出したほうがいいという意見もあったのですが、僕はそれに反対していました。タイミングが遅すぎたこともあるし、全員がそれぞれの動きをしていて意思を統一できなかったこともあります。それぞれの正義を表明しあうだけではコミュニケーションとは言えないし、ステートメントを出すのではないやりかたはないものかと、ずっと考えていた状態でした。

──いっぽうで、騒動を受け、会場にいるボランティアが危険な目に遭う可能性もあったと思います。その際、かりにボランティアが一斉に辞めるようなことがあれば、芸術祭の運営自体が危うかったと思うのですが、彼・彼女たちとはどんなコミュニケーションをしたのでしょうか?

 ボランティアを守ることは何よりも重要です。ボランティア運営の実務は、地元の人材派遣の会社が行っていたので、その会社を通じてメールを一斉送信してもらっていました。

 考えなければいけなかったのは、情報が欲しい大勢のマスコミに対して、ボランティアがターゲットになってはいけないということです。ボランティアの登録者の約1200人のなかには、実際には一度も研修に来なかった人もいましたし、意思疎通を全員と確認するのは困難です。内部に不信感が広がる可能性も考えつつ、かと言って報道されていない情報を伝えれば、誰かの口から漏れた情報で、ボランティア自体がマスコミから追及を受けてしまう可能性もある。それは、絶対に防ぎたい事態でした。

会田大也

 だから、申し訳ないけれど、「報道されていること以上のことは知らない」とお答えください、とボランティアの皆さんにはお願いしました。また、現場でもしも危険なことがあったら、こういう手続きをしてくださいという連絡をしていました。個人の能力ではなく、できるだけ仕組みとして伝達共有できるように事務局含めて善処したつもりです。同時に、ストレスフルな状況だったので、辞めたくなったら無理せずにお休みしてください、何かボランティアとして辛いことがあったら言ってくださいね、というような連絡をしていました。

──実際には、辞めた人はいたのですか?

 何十人もいたわけではありませんが、数はゼロではないです。個人的にキツくなったり、自分のなかで気持ちが切れてしまったので離脱するという人はいました。事実として全員が全員、ハッピーエンドだったとは思いません。いっぽうで、終了後に、研修であれだけ親身にやってくれたから苦しい時期も耐えられたと、わざわざ言いに来てくれる方も少なくなかった。事前の結束や、僕らが伝えたアートへの向き合い方を信用してくれたということは、あったんじゃないかなと思います。個人的にはそうしたことは美談にしたいとは思っていません。あんな危険な状況にならないほうが、よいに決まっていますから。

あいトリ閉幕時の様子。多くのボランティアも集まった

──とは言え、ただの「人手」として、マニュアル通りの対応を求められるだけの立場なら、そんな厄介な場所に誰も関わりたくはない。事前に共有した時間の厚みが、すごく糧になったんでしょうね。

 ボランティア活動を地元の誇りのように思ってくれている人が一人でも増えたら嬉しい。あいトリの現場は、僕個人としてはあの事前の研修の時間のなかにあったのかもしれない、とも思います。

 何より津田監督自身が、とにかくボランティアに直接会うことを大切にしていました。初期のボランティア研修で、集合が朝9時だったときがあったんですね。その際、津田さんは東京からわざわざ新幹線で来て、10分間だけ挨拶してすぐ東京に戻り、別の仕事をこなしたあと、夕方にもう一度愛知に来た。たぶんそんなことを津田さんはどの取材でも自ら語っていないと思いますが、彼のような忙しい人がボランティアに直接挨拶するためだけにやってきたことに僕はすごく感銘を受けたし、真摯にボランティアに向き合おうとする姿勢が伝わりました。その姿勢に僕自身も感化されたのかもしれません。

津田大介

不自由展の「見せ方」をどう考えるか

──騒動後には、出品作家の加藤翼さんと毒山凡太朗さんによる自主スペース「サナトリウム」も立ち上がりました。あの場所も、市民が騒動を考えるための学びの場と言えます。

 サナトリウムには僕も一度ゲストで呼んでいただきました。とても応援したい活動だった。教育と言うと一般的には専門家が担う印象があると思いますが、本来は誰がやってもいいんです。

 例えば学校で命の大切さを授業で習った子が、帰りにタバコ屋のおっちゃんから「虫も殺したことが無いのに、命の大切さなんてわかんねえよ」と言われる。そこには一種の矛盾があるけれど、子供はどちらが正しいのか迷いつつも自分の頭で考えます。学習者の能力を信用していれば、多少矛盾したことを言ってもすべて教育になる。そういう意味で、僕は公式のラーニングプログラムの外側にもっと教育プログラムが生まれていいと思うし、社会全体で担うものだと考えています。サナトリウムをはじめとする活動はそのひとつだと思います。

サナトリウムでは会期中に公開イベントが複数開催された

 いっぽう、我々はアート・プレイグラウンドを毎日運営していたので、まずはそのレギュラーな活動を丁寧に遂行できるようにと考えていました。状況に応じて、自由や表現について考えるトークを追加するなどもしましたが、概ね当初の計画通り運営した。あそこまでの騒動は想定しなかったけど、もともと多少の炎上は予期していたからこそ、あらかじめ「話せる場所」も準備していたわけです。だけど、騒動後にアート・プレイグラウンドに来て、コソッと「不自由展の話はここではしちゃいけないんですよね?」と聞いてくる人もいた。自主的に自粛してしまう人が何人かいて、戦争の起こる前のような、そういう自粛ムードの病が広がる瞬間ってあるんだというのはリアルに感じました。

──展示再開が決定したあとの会田さんの動きを教えてください。

 まずはあの「抽選システム」ですね。ただ再開するだけで何も対策をしなかったとしたら、容易に想像できるのは、前日からの泊まり込み組や、特定の団体が空間を占有してしまうような事態で、それに対応するのは現場的に厳しかった。そこで、早い者勝ちにならない公平な仕組みを考え、裁判傍聴の抽選の仕組みなどを調べました。手に巻いたテープがそのままチケットになり、何度もクジを引けない仕組みなどを参考にしました。あとは知人のプログラマーに抽選と表示のシステムを組んでもらい、テープの業者を探して......というのを数日で何とかやったという感じですね。一回あたり最大1258名もの希望者が殺到する抽選でも、仕組みとしては破綻せずに回せました。現場で各役割で活躍したスタッフには頭が下がります。

再開当日(10月8日)の抽選の様子。当選者を知らせるディスプレイの隣には会田の姿があった

──「不自由展を評価しようにも、見られないのだからできない」という声もありました。見る人の数を制限することに対しては、すごく悩まれたのではないでしょうか。

 もちろんです。可能な限り見てもらいたい。けれど、狭い展示室にすべての希望者を何百人も入れたら、「鑑賞した」ことになるのかという問題もある。万が一何かトラブルが起きたら、再び中止せざるを得ない。再開したものを再中止することほど象徴的なショックはありません。再開するなら最後まで走りきることが必須......など考えることは多くあった。そう思うとやはり人数制限は付けざるを得ない。見る時間をしっかり確保して、見ることができた人に十分見たという状態で帰ってもらうことのほうが大事だったと思っています。

──再中止を防ぐために、展示室内の伝え方のデザインはどのように変更しましたか。

 そもそもの原因のひとつとして、会場内の作品のうちSNS投稿禁止とされていた作品が、何者かによってネットにアップロードされてしまったことがありました。再開に向けて愛知県知事も含めて検討していくなかで、再開に際して最初はカメラ付き携帯なども持ち込み禁止にしたほうがよいなどの案も出ましたが、協議を重ね、「持ち込みはOK」ただし「撮影は当初は禁止」「荷物の持ち込みを制限し、金属探知器などのセキュリティチェックも行う」などの手続きを条件として整えていきました。

 10月8日の再開以降、会場の様子などをよく見て検討しながら、徐々に「撮影可能だが、トリエンナーレ期間中はSNS投稿は禁止」などとルールを緩めていきました。なるべく制限を設けたくない、表現の不自由展実行委員会側と、最初はまずは制限を厳しくしたうえで再開したいという知事らの意向をすり合わせていくプロセスにも僕は加わったのですが、コミュニケーション上の誤解やすれ違いなどもあり、薄氷を渡るようなやり取りを仲介し、何とか再開できるよう協力しました。あまり経験できない貴重な役割でしたが、自ら望んでやりたい役割ではありませんね。

 あと誤解ということで言えば、今回いろんな論点があるなかで、検閲や表現の自由をめぐる基本的な知識も一般には共有されていないことがわかった。そこでは基礎的な用語の啓蒙が必要で、本当は時間をかけてディスカッションをしたいところですが、現実的な制限があるので、検証委員会の中間報告も参考にしながら論点マップという全体の見取り図を作り、来場者にはそれを見たうえで展示室に入ってもらうかたちにしました。

論点マップ

 ほかにも、大浦信行さんの作品の一部分だけが切り取られる問題が多かったので、その作品についてはみんなで上映を見るという仕組みにしたり、日に1度だけではありますが、特別回を設けて、小グループに分かれてのディスカッションをする機会もつくりました。また、(《平和の少女像》作者の)キム夫妻が登壇するトークイベントの司会も引き受けました。見る前の論点マップのインプットと、現場でのディスカッション、そしてトークイベントを教育プログラムとして追加したというかたちです。

再開後の「表現の不自由展・その後」の様子

──「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の報告書では、中止前の不自由展における伝え方、つまりキュレーションの問題も指摘されました。会田さんは中止前の展示について、伝え方が十分だったと思いますか。

 「十分」というのを何点にするのかにもよりますが、例えば65点あれば十分とすれば、それは超えていたと思います。中止前でも、パネルの説明を読み込めば、それなりに意図がわかるものにはなっていた。不自由展の実行委員会は展示のプロではありませんが、そのあたりはトリエンナーレ側のキュレーターもサポートに入り、対処していました。当時のキュレーションに瑕疵があったかと言われると、完璧ではないにせよ、ことさらひどいものではなかったと思います。

 ただ、これだけの注目が集まったという現時点の視点から振り返って、もっとやりかたがあったのではないかという批判があるなら、それは甘んじて受けるしかないとは思います。展示室全体のテーマは、表現の不自由の問題全般を考えてみようという趣旨であったのにも関わらず、あそこまで報道が《平和の少女像》のことだけを取り上げるとは正直言って予測してなかった。政府による輸出規制の発表など、日韓の緊張が高まった社会的な背景は、トリエンナーレの準備段階では予測できませんでした。オープン前日の記者会見の際、少女像のことしか質問がこないんですね。それを見て、こんなに話題になってしまうのかと思った。翌日の報道で炎上するだろうとは想像しました。そのときにあの展示方法はどうなのかと聞かれたら、「あのままじゃマズいかも」と答えたかもしれないですね。

再開後の「表現の不自由展・その後」より、《平和の少女像》

 作品の配置や説明の仕方、あとは、過去の検閲問題を扱いながら、性的に規制された表現は取り上げられていない年表のある種の偏りとか。いま考えればツッコミどころはあると思っていて、百点満点の展示だったかと言うとそうではないとは思います。ただ、それはいまだから言えることで、全体の見取り図マップも後から追加したけど、炎上がなければやる必要もなかった。ラーニング担当として個別の展示に細かく口出しするのは通常やりませんので、事前にはそうしたこと自体考えていなかったというのが正直なところです。

教育の場を遍在させる、という解決策

──いっぽうで、今回の騒動はキュレーションの問題ではなくて、日本社会にもとからあった歴史認識や差別の問題が露呈したものだという声もあります。会田さんとしては、今回の騒動を受け、社会と芸術の関係についてどんな問題点が浮上したと考えていますか。

 僕の立場から言わせてもらえば、やっぱり日本は「美しいものが美術である」という刷り込みが強い国だな、とは思いました。義務教育で美術に触れる生徒たちは、場合によっては美術作品が人の心を傷つけることもあるし、その傷からの回復自体に価値があるということは習わない。現代美術も教科書に載ってはいるけど、それが持つアクチュアルな毒や野蛮さには触れていないわけですね。

 とは言え、それを義務教育の美術の先生にやれというのは酷だと思うんですよ。美術の授業を担当する先生が、みんな現代アートのスペシャリストなわけではない。これは非難ではなく、もっと素朴に絵が好きだから美術の先生になったという人も多いと思います。ただいっぽうで、子供の考えていることって、もっとシリアスで、哲学的で、切れ味の鋭いものだとも思います。中学生くらいにもなれば、「なんで人間は存在しているのか?」とか「なぜ自殺してはいけないのか?」などと考えるでしょう。そういう問いに対して、毒や野蛮さを含む現代美術の表現は、ある種の応答ができる懐の深さを持っている。

 だから、現状に対して何ができるのかと言うと、僕は、学校教育そのものを変えるのではなく、学校の外にもっと教育の場をいっぱいつくればいいと思っているんです。これは、今回の騒動以前から個人的にずっと思っていることです。美術手帖のようなメディアの場でもいいし、私塾でもいいかもしれない。あるいは、アーティストがもっとアートのフィールド以外の仕事をするというのでもいいと思うんですね。アートの効用は美しいものを見て癒されるといっただけではなく、もっとシリアスな現実との対峙を、表現を通じて見るものに突きつけ、社会を相対化するもの。そのこと自体を普及していく必要を感じました。

会田大也

──学校の内外に関わらず、美術の教育が今後より重要になることは間違いないでしょうね。

 だって、太宰治は広く評価されていますが、太宰は作品も本人も、現代の感覚ではとくに「美しいだけのもの」ではないですよね(笑)。むしろ陰鬱で、ダメな人の話でしょう。でも、その作品は人の心の闇をのぞき見させて、その闇が読者の内にもあることを内省させる。アートだけがことさらに美しいもの、華やかなもの、癒しを与えるものだけだと思われてしまうのはもったいない。

 いま僕は博士論文を書いているのですが、そこでワークショップの評価について考える際、グレゴリー・ベイトソンの論理階型理論に登場する「ダブルバインド」に触れているんです。かいつまんで言うと、ある矛盾の状態に置かれたとき、ときに一種のジャンプ、つまり創造性が生まれるということ。さっきの「命の大切さ」の話もそうなですが、ワークショップでも、単純に事前の想定通りに進めばいいのではなくて、ときに矛盾や渾沌に直面し、そこから飛躍することが大切になります。

 僕が学校の外の教育が大切と言うのもこれと通じていて、例えば学校や職場ではこう言われているけれども、アートの世界ではこう言われるという、矛盾を孕む複数の価値基準を行ったり来たりすることが重要だと思うんです。そういう矛盾に向き合うトレーニングができていたら、今回のあいトリのような事態からも抜け出しやすくなるんじゃないか。どんな解釈も正解や間違いと分かりやすくくっきり分けられるものではなく、鑑賞者から様々な意見が出てそれらを見比べること自体にアートの価値がある。こうした経験を積むうえでアートというフィールドはとてもいい場所だと思う。

 逆に言うと、アートに触れることは覚悟がいることでもあるわけです。今回のあいトリも、必ずしも素朴に「楽しい」作品ばかりではなかった。でも、その芸術祭に、67万人を超える来場者があった。地元の人たちの声としても、これまでで一番真面目に考えた展覧会だったと言ってくれる人も少なくなかった。真正面から受け止めてくれる来場者の姿勢や覚悟も強く感じられたので、ちゃんと響くかたちで「情の時代」というメッセージを届けられたんだなという手応えがありました。ミュージアム・エデュケーションという「答えの無い教育」が僕の活動しているフィールドですが、今回のあいトリのような場でこそ、その真価が問われたと感じています。