あいちトリエンナーレ2019 情の時代、展評。
たくさんの人が行動を起こし、多くの言葉を費やしている。まずそれらを読んでほしい(*1)。何よりもまず、河村市長や官房長官らの言動、電凸という手段でもって他者を一方的に攻撃すること、そして、文化庁による不明瞭な手続きのもとでの助成金の不交付決定は、それぞれ全力で非難しなければならない。こうした不正がなし崩し的に許容されてしまうような社会に自分たちが生きている、という現実を変えなければならない。誰かが自由を侵害されたり、抑圧されたまま見て見ぬふりをされたり、踏むべき手順や守るべき原理が軽視されることを当たり前にしてはいけない。もう当たり前になっている、のだとしたら、いまこの瞬間からでも、当たり前にしてはいけない。
そのうえで、いまここで筆者が書こうとしているものは、たんなる展評であり、展評でしかない。むしろ、たんなる展評である、という地点を目指して書かれている。そこまで立ち還ってなお、展評を執筆することには希望が宿っている、と筆者は信じる。これは芸術という自律した領域を社会から切り離して堅守しようという話ではいっさいない。動くし、批評も書く。どっちも、やる。もちろん、強がりじゃないといえば嘘になる。この2ヶ月とてもつらくて、頭がフリーズして、ネガティブな感情に何度も飲み込まれたし、いまでも結構きつい。現場でずっと闘っている人たちや具体的に傷つけられた人たちの壮絶な経験を想像したら、こんな弱音は吐くべきではないかもしれない。しかしそういう心理状態だと告白したうえで、書くべきことを書きたいと思う。そして、全作品再展示が叶ったことに、そのために尽力したすべての方々に、最大限の敬意を捧げる。
「あいちトリエンナーレ2019 情の時代」のレビューを書く。
事態はめまぐるしく、急速に、かつ複合的に進行していく。「あいちトリエンナーレに行った?」という質問のあとに「行ったよ」と答えると、必ずもう一往復、質問が発生する──「どのタイミングで行った?」
だからいくつかの方針を立てる。方針は相互に関係し合っているが取り急ぎ列挙する。まず、変わらず会場にあり続けている作品たちを優先して書く。これはボイコットをした作家を批判するという意図ではまったくない。そうしたネガティブな方針ではなくて、一貫して変わらず会場にあり続けた作品たちの存在は、会期中誰もが見ることができている作品、という別種の性質を帯びている、という点にポジティブに注目したいがためだ。換言すれば、変わらず展示され続けている、見た目には変化のない作品たちは、にもかかわらず、会期中に大きく変容している。
次に、この展覧会の最終的な感想を「情の時代」へと帰着させることはしない。「今回の事態は、まさに情の時代だった」という結論は、社会ですでに勃発している事態を(つまり展覧会を経由しなくてもわかることを)展覧会を経由したからこそわかった、と主張しているのに等しい。そうした安易な批評は、具体的な作品や展覧会という形式、あるいは鑑賞すること一般、ひいては津田大介芸術監督の実践さえも著しく毀損している。
3つ目。「表現の不自由展・その後」をめぐるキュレーション(の不在)分析をもって展評としない。これについては少し長くなるが迂回しておかねばならない。どうすれば「表現の不自由展・その後」を問題なく公開できたのかという問い(技術的な分析)を展評において検討することは、様々な問題を矮小化させる。コミュニケーション不足があったのではないか、より優れた展示空間を構築可能だったのではないか、というキュレーションの技術をめぐる批判はいくらでも可能であり、それはしかし暫定的かつ狭量な「アート関係者の安心の確保」として機能している(これは自信をもって言える、なぜなら筆者が当初まさにそういう思考モードになっていたから)。この安心の延長には次のような思考回路が隠れている。もっとうまいキュレーションをすれば炎上は起こらなかった、自分ならもう少しマシなキュレーションが(構想)できた、だから自分は今回の件と無関係だ(責任はない)、だからそもそもにおいて存在している社会の諸問題、不公正、暴力に対して向き合うことを回避できる。
また、キュレーションのハイコンテクスト化、つまり、より複合的に、複雑に、言説を生成させることで、検閲あるいは炎上を回避できるという技術についても、それを最大限肯定したうえで(この技術を磨くことはとても重要な創造的実践だ)、本稿ではそれを展覧会の評価につなげることはしない。具体的に想像すべき別なる鑑賞者がいる、ということを強調したいからだ。さらに長くなるが書く。
木下千花『溝口健二論 映画の美学と政治学』(法政大学出版局、2016)には、検閲をめぐる固定観念を打ち破る圧巻の章がある。大正期以降において最重要な「検閲」対象は映画であり、そこでは非常に高度な闘いが行われていた。検閲のもつ暴力性や理不尽さから、私たちは漠然と、検閲を行う者たちは、無理解と偏見のもとで、一方的かつ恣意的に検閲を行っていたという印象を持っていないだろうか。言い換えれば「無教養な鑑賞者」として検閲官を見なしていないだろうか。しかし本書は(少なくとも戦争末期までは)その真逆の状況であったことを論証している。「毎週五.五日(土曜日は午前のみ)、一日七時間前後、集中して映画を分析し、空き時間には業界誌・一般誌・新聞の通信欄・批評欄に目を通し、原作になりそうな小説を読み漁り、結果的に短編も含めれば年に数百本の映画を熟視していた現場の検閲官たちは、実務経験をとおして「映画がわかる」という強い自信を培っていた」(p.238)。「内務省時代の映画検閲は少人数エキスパートによる恒常的な激務によってかろうじて成り立っており、外国語映画をこなせない検閲官がいては回らなかったと考えられる」(p.234)。彼らは大衆よりもはるかにハイコンテクストな読解が可能な「ガチ勢」であり、こういってよければつくり手にとって「理想の鑑賞者」とさえ言いうる側面を有していた。彼らは作品についてよく理解したうえで、検閲を(基準を曖昧にしながら)行使してくるのである。
キュレーターに求められているのは(より正確に書けば、ハイコンテクスト化の技術を磨く際に忘れてはならないのは)、人々を不安にさせないという、より根源的な技術だ。「もやもやしている」人々が、未整理かつ不安定な気持ちのまま、会場に足を運んでいる。その鑑賞者たちに対して、展覧会の意志をはっきり明示すること。展覧会が両論併記的、折衷的になることで、「もやもや」だけが共振し増幅するということがいちばんやるせない。
個別の作品に入る前に、最後にもうふたつ、言及したい。アーティストの男女比を是正するという実践は本当に素晴らしいものであったということ(この実践が今回のトリエンナーレの質を低下させたと感じた鑑賞者はほとんどいないと思う)、それからワークショップの素敵さである。名古屋市美で見かけた、子供向けのワークショップは、「誰かが必要としているものやあいちトリエンナーレのどこかで使うものを日々つくってい」るものだった。参加者はなんども通って完成させることもできるし、どうしても途中で帰らないといけない場合は、誰かにその続きを託しても良い。逆に言えば、誰かのつくりかけを引き継いで完成させることもできれば、部分的に参加することもできる。「時間制限」が制作それ自体の方向性を規定してしまい、「時間内にある程度の完成度で誰でもつくることができるもの」が採用されがちなワークショップの弱点を、仕組みレベルで乗り越えていた。
筆者は悔しいことにパフォーミングアーツを見ることが叶わず、展覧会しか鑑賞できていない。その上で書くが、今回のトリエンナーレには、本来のポテンシャルを十分に発揮できたとは言い難い作家や作品が目立った、というのが偽らざる感想である。音という視覚化しえないものの彫刻化を試みるアマンダ・マルティネスや、移動や流通の政治性を露わにするワリード・べシュティ、市民や行政との持続的な協働によって作品を生み出すアイシェ・エルクメンらは、いずれも優れたアーティストであるし、それぞれの実践は「情の時代」のコンテクストにもバッチリハマるだろう(だからその選定にまったく疑問はない)。にも関わらず、それぞれの作品に内在する固有の問題系、政治性が、十分な広さと深さを有せていない。展覧会のなかに作品が着地できておらず、思考を進める手前で失速してしまう。ウーゴ・ロンディノーネ《孤独のボキャブラリー》の解説のとある一文は、この展覧会と作品との間に奇妙な「隙間」が生じている理由の一端を物語っているように筆者には思える。
「この作品はロマン派やシュルレアリスムなどの美術史の文脈に加え、ポップカルチャーの動向、道化やマイムの来歴も参照しています」。
このピエロたちが、なぜこのような多種多様な「孤独の振る舞い」のポーズをとっているのか、この解説を読んで「わかった」と思う鑑賞者の数は決して多くないだろう。だらしなく、無表情に、プライベートな空間であるという設定のもとで孤独なポーズをとるピエロたちの存在と、彼らとセルフィーを撮ってSNSへとアップすることとのあいだには明確なコントラストが生じている(し、そこに展示の意義がある)。「作品を撮影してSNSにアップすること」が鑑賞行為として推奨されている「あいちトリエンナーレ」において、このピエロたちを「人体彫刻」だとまっすぐ受け止めた上で、台座がないことや私的な身振りに着目すれば、豊田会場にて、台座の政治性を問い、公共彫刻をあえて不在にしてみせた小田原のどかの作品ともクリアな対比を生むはずだ。この解説文が説明しようとしているのは、「美術史の文脈に加え、ポップカルチャーの動向、伝統的な文化、特定の場での制度や慣習も参照している」ことが現代美術の一傾向なのだ、ということにすぎない。
筆者が愛知県美の会場を訪れたとき、多くの鑑賞者たちは、抗議および連帯の意志を表明するために掲示された様々なテクストを熱心に読んでいた。そのため、熟読の姿勢が鑑賞という行為のなかに含まれていて、掲示物がない作品を鑑賞する際にも、鑑賞者たちが作品と対峙する際の物理的な距離が普段よりも近くになっているほどだった。だが通常はそうならない。そこまで誰もが熱心に隅から隅までテクストを読む、ということは普通ない。もしそれが仮にナチュラルに達成されていたとしたら(あるいは当然すべてのテキストを読むだろうという前提で作品や展覧会を構成しようとしているならば)、その展覧会はとても居心地の悪いものになっているはずだ。
ホー・ツーニェンの《旅館アポリア》は、今回のあいちトリエンナーレにおけるコミッションワーク(新作)を見渡しても、高嶺格と並んで双璧をなすものであった。その映像インスタレーションは、喜楽亭という場へと個々につながる歴史的事象や表象を積み上げていく優れたものであった。だが筆者はここで、各事象がしっかりと噛み合う、実直な足し算によって生み出される作品の質よりも、弓指寛治の《輝けるこども》や永田康祐《Translation Zone》を、たとえ荒削りであっても評価したいと思う。
弓指寛治の《輝けるこども》は、展示空間を順番に進んでいくことで、実際に起きた自動車事故について思考する作品である。弓指の特異な才は、「空間で語る」ことができる点にある。彼は、異なる立場の(被害者と加害者という点では両極端な立場とも言える)人々の観た風景をシームレスにつなげてみせる。とりわけ最後の出口に至る細長い通路は、自動車が背面から描かれた何枚もの暖簾を潜りながら抜け出る構成になっており、暖簾をかき分け足早に抜け出ようとすればするほど、それは「運転する側」の視点や内面と重なり合う。ドン・デリーロの小説『堕ちてゆく男』(2009)の終盤に、ツインタワーに突っ込むテロリストの視点と、ツインタワーに勤務する男の視点がシームレスにつながり、入れ替わる際の卓越した描写と勝るとも劣らない効果を、限定的ではあるが、実現しえていた。
英単語帳のように、異なる体系に属するもの同士を1対1で置き換えることができるという「適切な翻訳」のイメージとは大きく異なって、私たちの社会がいかに「なんとか無理やり訳していく」試行錯誤の連続であるのかを、料理という身近な題材で示そうとする永田康祐《Translation Zone》もまた、展覧会全体を見渡しても存在感を発揮していた。注意しなければならないのは、社会がいま「翻訳地帯 Translation Zone」という「状況」にあることを適切に作品内に持ち込んでいる(=直訳・概説に成功している)という理由で本作を評価してはいけないという点だ。この作品が(作品内で語られる情報量の多さと複雑さとは裏腹に)しどろもどろになりながらなんとか示そうとしている美点は、完全に素材が揃わなくとも、人はありもので料理をし続けるだろうし、誤訳に溢れながらも言葉を発し、誰かに何かを伝えようとし続けるだろうという前向きな姿勢、つくることへの貪欲さなのである。不完全性や複雑さ、表象の不可能性を示すことではなく(そうした姿勢が誠実であることは間違いないのだが)、そこから踏み込んで、それでもなおつくりたいものが、語りたいことがあるのだ、という意志を明確に示すこと。この態度は、ボイコットをしてもなお伝えたいことがあるのだという意志と決して対立しない。
桝本佳子の陶芸作品は、すぐ隣にモニカ・メイヤー《The Clothesline》が設置されていたことで独特の鑑賞体験が可能になっていたことにもふれておきたい。本展は、政治的不公正に疑義を呈し、社会的連帯を志向する作品がとても象徴的に展示されているいっぽうで、一見すると制作の技巧的な部分に重点が置かれた作品も多く見られた。モニカ・メイヤーは前者に、桝本佳子はどちらかといえば後者に属するように思われるのだが、モニカと並んだことで桝本の作品がそれ自体で非政治的であったり、見劣りするということはなかった。むしろモニカとの展示上の物理的な近接が思いがけず思考の連鎖を生んでいたことは意外な喜びであった。筆者が鑑賞した際、モニカのピンクの紙は床にぶちまけられており、抗議と連帯の意志が表明されていたが、彼女たちの作品はそれぞれ、不協和音を起こすことなく両立していたし、モニカの扱う手法や素材感の違いを通過して、桝本の陶芸のつるりとした質感や柔らかな色味、モチーフの突飛さと、本来模様であるはずの存在が陶芸品それ自体を侵食するダイナミズム、そして宮川香山を彷彿とさせる工芸の営みの継承と刷新の気概をじっくりと観ることができた。
さて、田中功起が展示に改変を加えた際に書いた「不安についての短い手紙」という文章に、印象的な一文がある。それはさりげなく( )でくくられているがゆえに、余計に筆者の脳裏に残った。彼は相互の対話の重要性を訴えながらこう書きつけている。
「運営する側、参加する側、現場スタッフ、ガード、キュレーター、ボランティア、ディレクター、エデュケーター、アシスタント・キュレーター、アーティスト(他にも誰か抜けているかもしれない)」。
「私たち」という主語から抜け落ちてしまっている存在。いまパッと思い出すことができない人たち。ここにいない人、いることができない人たち。自分は内側にいて、マジョリティの側で、でも、その「外側」がある、ということを自覚し続けること。ここには田中の一貫した真摯な姿勢が窺える。この「他にも誰か抜けているかもしれない」という、外部を注視し続ける倫理的態度とちょうど対になるような台詞を、筆者は「あいちトリエンナーレ」から具体的に思い出すことができる。真っ暗な部屋のなかで、キュンチョメが繰り返し叫ぶその質問は、トランスジェンダーやXジェンダーの人たちが自分の名前を変えたというコンテクストを超えて、「あいちトリエンナーレ」全体に響き渡っているように思われた。彼らの作品もまた、傑作だ、と言えるものではないかもしれないが、作品のもつ前向きさに、わりと素朴にやられた自分がいる。いま目の前にいる人の決断を、変化を、しっかり受け止めること。「声枯れるまで」キュンチョメは叫ぶ。
「あなたの名前はなんですか」
*1──明戸隆浩「あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理」https://news.yahoo.co.jp/byline/akedotakahiro/20190805-00137053/、時系列のまとめについては以下が詳しい。http://kasuho.hatenablog.com/entry/2019/08/17/182115