──デジタル画像をコラージュのように組み合わせたものを下絵とし、モニター上の画像の質感をそのまま油彩で表現する戸田さん。最近ではシルクスクリーンなどの技法を組み合わせながら、絵画の表現を追求しています。まず、戸田さんがペインターを志し、とくに油彩に取り組むようになった理由を教えていただけますか?
父が版画家で、自宅でいつも制作をしていました。その姿を見て育ってきたので、物心ついたころには、「絵描きになりたい、美大に行きたい」と言ってたようです。印象に残っている展覧会が「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」(東京国立近代美術館、2004)で、おそらく、自分にとっては最初に触れた巨匠と呼ばれる作家の作品でしたね。油彩にこだわったのは、そのときのインパクトの影響があるかもしれないです。
──多摩美術大学の油画専攻に入学後、コンセプトや技法を磨かれたと思うのですが、ウェブ上にある画像を油彩に取り入れたり、人物のまわりに白い線による輪郭のようなものを描く、という現在の作風には、どのようにしてたどり着いたのでしょうか?
多くの美大生がみんなそうだと思うんですけど、大学時代はかなり悩みました。ずっと迷走していた感じで、現在のようなスタイルが定まったのは、卒展に向けての作品です。そして、卒業した2015年に福沢一郎賞を受賞し、シェル美術賞に入選したことは、駆け出しの自分にとって自信につながりました。
自作のコンセプトの方向性を考えるうえで一番の転機となったのは、2015年に母親が亡くなるまで看病し、その過程を見ていたことです。制作に影響を与えたのは、喪失感とか悲しみといったセンシティブな部分ではなく、それまで母親であった人が死に向かっていくなかで、いままで見えていなかった部分が見えてきたことでした。僕の知らなかった、母の色々な人格が見えるような経験だったんです。僕の作品に描かれている特徴的な白い線は、人物の周りにダブるように配置されていますが、その体験から生まれたものです。
SNS上にある画像をモチーフに使うのも、その体験と接続しています。SNSって顔が見えないがゆえの言動があったり、普段とは違う人格が見えるといった側面がありますよね。人のアイデンティティって、昔からいろんなかたちで存在していたと思うんですけど、SNS上なアイデンティティは新しいかたちだと思っています。よくある「その人の隠れた本性」とか「多重人格」とかいった話ではなく、新たなアイデンティティのあり方だと僕は思っています。それが自分の感覚にすごくフィットするし、興味を持って深く掘っていけると思って、取り入れるようになりました。
──デジタルデータとしての図像への興味というより、モニターの向こう側にいるであろう人間への興味が制作におけるキーになっているんですね。
いちばんのベースはそこですね。僕がなぜ人を描くのかというと、それが根底にあります。いっぽうで、絵描きはみんなそうだと思うんですけれども、新しいビジュアルイメージを提示するという使命もあると思っています。インターネット以後の新しいビジュアルを追及しているアーティストは同世代にはたくさんいますし、みんなディレクションの方向性は違いますが、世代的に関心のあるところなのかもしれません。
──戸田さんが作品を制作するうえで、どのようにデジタルデータを見つけていくのか教えていただけますか?
まず、サンプリングのようにネット上からランダムにモチーフを引っ張ってきて、それらを「Photoshop」を使って画面上に構成します。デジタルコラージュ的な手法ですね。それを、プロジェクターでキャンバスの上に投影し、シルエットを写し取り、油彩で描いていきます。
──「Photoshop」で、完成形をある程度シミュレーションされているとのことですが、キャンバスのうえで即興的に追加するモチーフも多いのでしょうか?
それはもちろんあります。先ほどもお話した、白いシルエットのような線はフリードローイングですし、ほかにもシミュレートしたものをキャンバスにある程度再現できた時点で「何か足りないな、追加したいな」という欲求は出てきます。ちょっと前までは、追加したい要素についても、「Photoshop」で試してからプロジェクターで投影して描いていたんですけど、最近は完成形のイメージが明確にできるようになってきたので、そのままキャンバスに描くようになりました。
すごく感覚的な話ですけど、キャンバスに描くと「もの」になっていくので、不足している要素が見えてきて、「このあたりに要素がほしいな」という情報が見つかるという感じですね。
──サンプリング元となるデジタルの画像素材は、どのような基準で探すのでしょうか?
最初はイメージがフィックスしていないので、「こういう事柄を描きたい」とか「こういう雰囲気を描きたい」という発想に当てはまるようなイメージを探す感じですかね。かなり時間をかけて執拗に探します。ある程度、自分の発想が再現できそうな素材が固まると、ネット上のおもしろい要素を混ぜ込んでいきます。
あと、基本的なことですが著作権がフリーなものを選びますし、陰影をつけて描きやすいかどうかもすごく大事です。あまりにも立体感のない証明写真的な素材を選んでしまうと、作品にしたときに塗り絵のように平面的になってしまうので、そこは意識しています。
基本となる構図はドローイングをしながら見つけていきます。すごいオールドスタイルなんですけど、何回もドローイングをしながら探していくんです。
──2018年のニューヨーク滞在以降、油彩の作品にシルクスクリーンを取り入れていますが、どのような意図があるのですか?
シルクスクリーンは個展「Beautiful Strangers in Ourselves」(児玉画廊|白金、東京、2019)のメインとなる作品《Strangers in paradise》(2018-19)で使用しています。葉っぱの幾何学的なテクスチャーや虹の線などにシルクスクリーンを使用しています。「Illustrator」でデータをつくり、それを版にして刷っています。シルクスクリーンの最大の利点は、手書きだと再現しきれない仔細な幾何学的イメージを、高い精度で写し取れることですね。いっぽうで、柔らかな線などに関しては手描きのほうが筆致が残るので、使い分けています。
──シルクスクリーンは複製のための技法ではありますが、これまで描いてきた油彩の作品に取り入れるにあたっての、技術的な挑戦があれば教えてください。
2018年に3ヶ月ほどニューヨークに滞在して、あるアーティストのスタジオで制作を手伝いながら、自分の作品もつくっていました。そのスタジオにはシルクスクリーンの製版機があって、そこで製版のやり方をいろいろと教わり、自分のスタジオに導入しました。露光機や製版機も自分でつくり、自家製版しています。
いまは、シルクスクリーンのみの版画作品もつくっていますが、やってみるとなかなか難しいんですよね。製版したシルク版を透かして見るとわかるんですけど、うまく穴が抜けてるところと、抜けていないところが出てきて、製版の精度を高めるのに苦労しました。
油彩の作品にシルクスクリーンを組み合わせるときは、製版に欠けがあっても手描きで補修できますが、最近になって挑戦を始めた、シルクスクリーンのみでつくる作品の場合、少しでも製版の精度が落ちると全体のクオリティが下がってしまうので、何回か失敗を繰り返しながら精度を上げていきました。
──ニューヨークで滞在制作をしようと思ったのはなぜでしょうか?
やはりニューヨークのアートシーンを肌で感じたくて。ずっと行きたかったんですよね。ようやく2018年に一念発起して、3ヶ月間でなんでも見られるだけ見たおして、学べるだけ学びたおそうと渡米しました。
ニューヨークではギャラリーの規模にも驚いたし、コレクターが自分のマスターピースを手にする場所なので、アーティストたちが出してる作品のクオリティとか気合い、命をかけている感じがひしひしと伝わってきました。
──ニューヨーク滞在中には個展もされています。「お盆」という日本的なテーマで作品を制作されていますが、作品のコンセプトを考えるうえでの新たな刺激があったのでしょうか?
日本から持っていった作品4点と新作2点で個展をやりました。海外で展示をするうえで、日本的なテーマということはたしかに意識しましたが、いま振り返ればなかなか難しいものがありましたね。アジアの国だと、生者の国の延長線上に死者の国があるという感覚をなんとなく共有できるのですが、やはりキリスト教の文化圏だと本質的な意味がわからないという感じでした。展示の感想も、絵のクオリティは高いし、美しいけれども、コンセプトがわからないといった様子で。
シンガポールや韓国など、アジア圏のアートフェアに出したときは、また反応が違いました。アジアの人たちからの反応はすごく良いですし、実際に大きい作品が売れたりしてすごく嬉しかったです。
どのアーティストもそうだと思いますが、人生の色々な経験を通じて、自分の作風を決めていくと思います。その過程では、自発的に出てきたものじゃない、周りから受けたいろんな影響を削ぎ落としていくことが必要な気がしていて。ニューヨークでは、自分の表現のスタイルを鋭利にしていかないと誰にも響かないし、アーティスト同士しのぎを削っていけない、と感じることが多く、そのあたりを強く意識するようになりましたね。
──東京藝術大学国際芸術創造研究科アートプロデュース専攻の長谷川祐子教授による演習の一環で開催された展覧会「Pⁿ – Powers of PLAY –」(東京藝術大学大学美術館陳列館、2017)に、戸田さんの作品が複数展示されていました。キュレーションを学んでいる学生によって自作が選ばれることで、なにか発見はありましたか?
在籍している学生さんたちが自分たちでテーマを決めて、長谷川さんとディスカッションした結果、僕の作品が展示されることになりました。
キュレーションするのが学生ということで、自分と同世代、あるいはもっと若い世代が僕の作品をピックアップしてくれたわけです。自分のやってることが彼らに響いたり理解してもらえるというのは、現在、名を馳せてるキュレーターや批評家から認めてもらうのとはまた違う意味があると思いました。
将来的に、彼らと一緒に仕事をしていくことを考えると、すごく意義のあることですよね。自分の表現が、彼らにとってある程度フレッシュに映ってるんだと認識もできましたし、問題意識もすごく似ていました。経験として、すごくよかったと思っています。
──かつてはご自身も、現在のスタジオでアーティスト・ラン・スペース「MONDAY ART SPACE」を運営して、キュレーションを行っていましたね。
アーティスト・ラン・スペースを運営していた理由のひとつには、自分もそうでしたが、周囲に展示する場所がなくて困っているアーティストがいっぱいいたことがあります。ニューヨークにもアーティスト・ラン・スペースは多かったですし、世界的に求められていると思いますね。
メガギャラリーが美術館化してるので、自分たちが食い込み辛いという状況があると思います。そこに食い込むことが最終目標ではないにせよ、展示して誰かに見てもらうという目的があったときは、どうしようもないから自分たちでやるしかない。そして、展示することによって見えるものを確認したいと思っている人は多いでしょうね。
──児玉画廊でのグループ展「Deal in Fantasy」(2020年1月25日〜2月29日)に出展する最新作では、表面の塗料に立体的な膨らみが見られたり、ポップなキャラクター的存在が描かれています。新たな試みをはじめたということでしょうか?
じつは、卒業制作くらいまでは、立体感を持ったテクスチャーがあるものをつくっていました。最近はずっと平面的な作品でしたけど、またテクスチャー的な膨らみをやってみたくなって。キャラクター的な存在についても、自分のなかでは新しいことをしたつもりではないんですが、見る人にとっては新鮮に感じられるかもしれませんね。
作風がポップだというのは、昔から言われてきました。「やたらポップだよね」とか「ストリートアートっぽい」といったコメントをもらいますね。多分、僕の個人的な性格もあるとは思うんですけど、そんなに意識しているわけではなく、自然に出てしまっているんでしょう。
──最後に、今後の戸田さんがつくりたいもの、展示したいものについて聞かせてください。
僕は目の前の作品をどれだけクオリティが高く、どれだけ自分が納得できるかたちで仕上げるかに全身全霊を注いでしまうタイプです。なので、いま描いてる作品のことばかり考えていますが、同時にコンセプト的な部分をさらに詰めようと思っています。先ほどもポップな方向だと言われるビジュアルの話をしましたが、そこを裏づけするコンセプトはしっかりとあるので、それをより多方面の現代美術の文脈と接続しようと考えています。
あと、立体作品にも挑戦してみたいと思ってます。フィギュアくらいのサイズ感で、作品の白い線だけを立体化できないかと考えているんです。
いずれにせよ、私たちを取り巻く白い線というテーマを、僕はこれからも追求することになるでしょう。