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INTERVIEW - 2020.1.29

アートへの熱狂が生む新しい目線。サマリー・ファウンダー&CEO 山本憲資インタビュー

スマートフォンと連携した収納サービス「サマリーポケット」を運営する株式会社サマリーの代表・山本憲資は、国内外で年間100を超える展覧会に出向く現代アートフリークとして知られる。スタートアップのファウンダーとして、熱狂的なアートギークとして、その両輪に向き合う日々から見えてきたものとは何かを聞いた。

聞き手・構成=編集部

山本憲資、株式会社サマリー本社にて

アートフリークとして生きる

──山本さんのSNSでの投稿を拝見していると、相当な数の展覧会に足を運んでいることがわかります。スタートアップ企業の代表として多忙ななかでも、これだけの数の展覧会を訪れる情熱は並大抵のものではないと思いますが、アートに興味を持たれたのはいつ頃からなのでしょうか?

 学生時代から現代アートには興味があって、展覧会によく足を運んでいました。美術大学で芸術を専攻しているわけではなかったのですが、アーティストたちが作品を通じて掲示する世界観から「ものごとをこうやって見る人たちがいるんだ!」と感じることができて、当時から楽しかったんです。

──学生時代に見た展覧会やアーティストの作品で、山本さんの印象に残っているものはありますか?

 僕が大学生だった2000年代のはじめは、村上隆や奈良美智が、『BRUTUS』(マガジンハウス)のような美術専門誌ではない雑誌でも紹介されはじめた時代です。当時『BRUTUS』の副編集長だった美術ジャーナリストの「フクヘン」こと鈴木芳雄さんとも、まだ学生だったその頃にギャラリーのオープニングでお会いして知り合い、いまも仲良くしてもらっています。

 大学卒業後、広告代理店で働き始めてからは、よりいっそう様々な展覧会を回るようになりました。なかでも森美術館がオープンしたのは僕のなかでは大きくて、そこから「キュレーションとはなんたるか」を少しずつ理解できるようになっていったのだと思います。

 とくに、杉本博司の回顧展「時間の終わり」(2005)は衝撃的で、展覧会にあわせたイベントで、会場に設置された能舞台で野村萬斎の『鷹姫』が上演された際には、休暇をとって見に行きました。一番大きい部屋に杉本さんの代表的なシリーズの「海景」が能舞台を囲むように何十枚もずらっと並べられていて、そこで海が舞台の能作品を上演するというダイナミズムに、「アートの力ってなんだかとんでもないな」と思い知らされました。

 それ以来、杉本さんはずっと追いかけていて、江之浦測候所にも何度も訪れていますし、2019年はイスラエル・テルアビブでの展覧会や、パリ・ヴェルサイユ宮殿でのインスタレーション「SUGIMOTO VERSAILLES Surface of Revolution」、そして秋にはパリ・オペラ座での杉本バレエ『At the Hawk's Well/鷹の井戸』などを見に行きました。

「冬至光遥拝の会」(2018、江の浦観測所) 撮影=山本憲資

──いまも、年間で相当な数の展覧会を訪れていらっしゃいます。

 そのような経験を重ねるごとに楽しめる範囲も拡がってきて、雪だるま式に展覧会を訪れる機会は増えていきました。近年のスケジュールは、それなりに変態的でおもしろいかもしれません。数えたことはないですが、国内外問わず、年間少なくとも100を超える展覧会に足を運んでいますね。平日はもちろん仕事があるので、だいたい週末に、たとえば金曜日の夜に海外に飛んで、月曜日の朝に帰ってくるといったスケジュールも珍しくなく、興味がある展覧会にはできるかぎり足を運んでいます。

──訪れた展覧会は何かしらのかたちで記録し、アーカイブにしているのでしょうか?

 文章化することではじめて頭の中でも消化できる部分があって、InstagramやFacebookなどのSNSで極力文章化するようにはしていますね。展覧会のチケットの半券も取ってはいるのですが、全然整理できていません(笑)。

 アーカイブや共有することもそれなりに楽しいですが、作品を間近にみて、そこではじめて感じられるアーティストの脳内の思考というものも必ず存在していて、連続的にそれらに触れ続けることで、世界をより客観的に見られるようになったり、思考の幅が広がります。純粋に、好きな人のつくるものを追いかけたいという部分もありますが、思考が深まるとより好きになり、さらに思考が深まります。鶏と卵ともいえる関係性がおそらくあるんでしょうね。通常の人と一部異なった視点を持ったアーティストという人々が、世界をどう見ているのかを連続的にインプットし続けることは、自分にとっての一種の「ディープラーニング」です。

山本憲資(左)とクリスチャン・ボルタンスキー(右)、ポンピドゥーセンターにて

──2019年を振り返って、どのようなアーティストの展示が印象に残っていますか?

 2019年は個人的にはクリスチャン・ボルタンスキーの年だったなと。大阪の国立国際美術館を皮切りに、東京や長崎にも巡回した回顧展「クリスチャン・ボルタンスキー ─ Lifetime」(2019)、「CHRISTIAN BOLTANSKI - ANIMITAS II」(エスパス ルイ・ヴィトン東京、2019)、10月には瀬戸内国際芸術祭にあわせて豊島の作品群も見て回り、11月はパリのポンピドゥーセンターでの個展「FAIRE SON TEMPS」(2019)のオープニングレセプションにも行きました。年末には上海にオープンしたポンピドゥーの分館のコレクション展「THE SHAPE OF TIME」(2019)で、ボルタンスキーの作品が奥さんのアネット・メサジェと横並びで展示されていたのも素敵でしたね。

 ボルタンスキーは、ひねた目で世の中を見ていて、つくるものもちょっとシニカルで、それでいて優しさをまとったようなウィットに富んでいて、好きなアーティストです。初めて作品を生で見たのは、豊島の《心臓音のアーカイヴ》(2010)だったと思います。それから10年弱、彼の作品をオーストラリア・タスマニアや越後妻有、ヨーロッパの各都市など世界中で見てきましたが、アートのひとつのありかたとは「見えないものをいかに可視化するか」ということだと、強く感じさせられるアーティストです。

 ボルタンスキーもそうだと思いますが、数多くのアーティストが、気配であったり、内に秘めた感情であったり、なにかとなにかのつながり(関係性)であったり、そういった実際に目には見えないものをどう可視化していくかにチャレンジしています。それはアートのひとつのプロトコルとも言えるのかもしれません。そしてそのアウトプットは必ずしも美しくある必要はなく、それでも見て何かを感じられるというのは、アートがもたらしてくれるわくわく感のひとつだと思います。

──ボルタンスキー以外に、近年の展示で山本さんに影響を与えたアーティストを教えてください

 トム・サックスでしょうかね。2019年のオペラシティの展示「ティーセレモニー」も、集大成と言ってもいいくらいの見応えがありました。最初にトムの展示を見たのはまだ学生のとき、当時は清澄白河にあった小山登美夫ギャラリーで、マクドナルドがテーマの「McDonald’s」(2005)だったと思います。

 2013年のリヨン・ビエンナーレの際に教会で展示されたバービー奴隷船のインスタレーションも、ニューヨークのイサム・ノグチ美術館で開催された最初の「ティーセレモニー」(2016)の展示も、同時にブルックリンミュージアムで開催されていた、トムがカスタムしたラジカセを展示していた「Boombox」(2016)の展示も見に行きました。その年は「Heaven」(2016、草月会館)の展示もありましたね。あと、2020年の年明けにはドイツのシュトゥットガルト郊外で開催されていた個展「TiMELiNE」(2019-20)にも行きました。

 トム・サックスは、あのアイロニカルな感じが大好きで。エルメスのバッグがよくトムの作品のモチーフになっていることから、中古で入手したエルメスのレザーのバッグに洒落でトムのNASAシリーズのワッペンを縫い付けて使っていたのですが、それを本人に見せたら喜んでくれて、バッグにサインを含めていろいろ描いてくれました。

 アートは、作品に対して感銘を受けるといったプロセスだけでも十分に楽しめるものですが、そのアーティストの脳内のパーソナルな感覚とさらに深いシンクロニシティが、こういったかたちでふと起こったりすると、その感覚が少し自分にもインストールされた気になるというか、やめられないですね。

 他には、ロンドンで見たオラファー・エリアソン「In real life」(テート・モダン、2019〜20)もよかったです。オラファーは、北京で開催された「The unspeakable openness of things」(レッドブリック美術館、2018)も素晴らしかったですが、東京都現代美術館で始まる、個展「ときに川は橋となる」(2020年3月14日〜6月14日)も楽しみです。

 アニッシュ・カプーアも好きで、「アニッシュ・カプーア IN 別府」(別府公園、2019)のスカイミラーの展示も見に行きましたし、北京の紫禁城と中央美術学院美術館で同時開催されていた「Anish Kapoor」(2019)にも行ってきました。紫禁城の古い建物にカプーアの作品が鎮座する様子は印象深かったです。

トム・サックス(左)とサインをしてもらったバッグを持つ山本憲資、「Heaven」(草月会館、東京、2016)会場にて
トム・サックス「TiMELiNE」(The SCHAUWERK SINDELFINGEN、シュトゥットガルト、2019-20)にて
「Anish Kapoor」(大廟(タイビョウ)美術館、北京、2019)にて

──現在、山本さんが注目している若手のアーティストはいますか?

 アリシア・クワデという、ポーランド出身で現在はベルリン在住のアーティストですね。上海の余徳耀美術館(ユズ・ミュージアム)で開催されていた個展「ReReason」(余徳耀美術館、2017)で見て感銘を受けました。2019年の秋に訪れたロンドンのアートフェア「Frieze」でも彼女のプライマリーギャラリーのケーニッヒ・ギャラリーのブースでプッシュされていたり、日本でもポーラ美術館のリニューアル展「シンコペーション:世紀の巨匠たちと現代アート」(ポーラ美術館、2019)に作品が出ていました。

 また、日本人では川内理香子です。もともと束芋が目的で見に行ったグループ展「drawings」(ギャラリー小柳、2019)で川内さんの作品を見て、直感的に惹かれました。そのときご本人もたまたまギャラリーにいらっしゃったのですが、作品に優しさと冷たさが同居している、ドローイングの力を感じます。

アリシア・クワデ《AGAINST THE RUN》(2017、上海、余徳耀美術館) 撮影=山本憲資
「drawings」(2019、東京、ギャラリー小柳)より、川内理香子の作品 撮影=山本憲資

──山本さんはかつて雑誌『GQ JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)の編集者でもありましたが、お話を聞いていると様々なものを横断的につなげるという姿勢が、非常に編集者的だと感じます。アート以外にも、音楽・スポーツ・食など、幅広い造詣をお持ちですよね。

 たしかに、僕にはいまも根が編集者のところがあるのかもしれないです。情報を呼吸をするようにインプットし続けたい欲求の部分は確実にそのままです。インプット単体でももちろんそうですが、人とコミュニケーションを行う時に、あらゆる情報を網羅した状態に自分をセットとしておくことで、圧倒的に同じ土俵で話せる範囲が拡がり、編集者時代はそれがおもしろい企画の実現につながりました。経営者のいまでは、そのおかげで取り得る選択肢のチョイスを逃すことなく、解像度の高い判断ができている気がします。

 同じ文脈でアートと同じくらい、音楽、とくにクラシック音楽にも魅了されていますし、食べることもまた好きです。

 結局、アートに限らず、音楽でも料理でも、そのアウトプットの向こう側にいる人に興味があって、その頭の中をできるだけ正確に理解したいと思っているのかと。この人たちはどういう思いでこれを絞り出しているのかを少しでも感じたい。その片鱗に触れることで、自分にも新たな視点がもたらされ、モノを見る解像度もあがり、また視座も高く保てる気がします。

 村上春樹が旅に行ったら、必ず中古レコード店に足を運び名盤を漁るという話を聞いたことがありますが「どこの街に行ってもやっていることが同じだなあ」と、ふと自省する感覚が僕も嫌いではありません。僕の場合は旅に出ると、その街の美術館を訪れ、展覧会を見て、そしてその都市の一番のレストランを訪れる。そのような、定点観測的に街への理解を深めていくプロセスも日々楽しんでいます。

アーティストが与えてくれる視座

──山本さんは、「サマリーポケット」というスマートフォンによる収納サービスを、スタートアップ企業の代表として生み出しました。世の中に新たなサービスをつくり出すアントレプレナーとしての立場と、アートギークという立場は、どのように接続しているのでしょうか?

 経営者の仕事は、大きい判断を精度高く適切に行うことと、小さい判断がスピード感を持って適切に行われ続ける「仕組み(=こちらは極力手を動かさない)」を構築することの、ふたつだと考えています。

 前者ではロジカルであることもさながら、アナログな部分も多く、勘、センス、倫理などの定性的な感覚も大いに重要で、ここの精度をあげるには、特に僕の場合には圧倒的な量のインプットが効く気がしています。

 アートをはじめとして、音楽でも読書でもそうですが、いろんなものを見たり聞いたりすればするほど、シンプルに理解できることが増え、会話できる相手も増える。物事への理解が深まれば、そのバックグラウンドにあるコンテキストやディテールが浮かび上がり、いろいろなモノが世界でどうつながっているのかも、自ずと脳内に可視化されるようになっていきます。そのプロセスにおいてアートが占める割合は自分のなかでとても高いですね。

 あと、思い切りを伴う戦略は、創業者が一番とりやすかったりもするので、そのチャンスを逃さず乗りこなすための勇気が必要なときがあります。それを備えるには、やはり経験を伴う膨大なインプットが重要で、その量が増えるに伴いあらゆる事象がケース化していく。そうなると人は森羅万象的な経験学習ジャンキーになってくるので、あらゆるプロセスを結果以上に楽しめるようになっていきます。

 ビジネスにおいては、論理的や合理的であることももちろん非常に大事ですが、それを越えた領域というのも存在していて、その次元においては、思考の解像度の高さが重要になってくるといつも感じています。クラシック音楽や食でもそうですが、アートを通じてそういう視座をつねに持ち続けるのは人生における大きな楽しみですし、それを続けることでより視野を広げることができるといつも感じています。

 そして、資本主義の世界にどっぷりつかっていると、良くも悪くもどこか感覚が麻痺してくるところがある。自分が見たこともない、稼いだこともないようなお金を出資してもらい、それを高い精度で適切な用途に投下し続けるプロセス、そのようなシチュエーションでフルパワーを出し続けるには、同じぐらいの分量で資本主義とは異なる、よりプリミティブな価値観をインプットしないとバランスが取れないところが個人的にはあります。

 意図的に同じ割合にしているわけではないですが、ビジネスの価値観において精度の高い判断をし続けるため、概ね無意識的ではありつつも、より普遍的な事象へと向きあっている人たちの視点に接し続けたいという気持ちで、アートを見ているところもあるのでしょう。

 僕のそのプロセスの部分は、ビジネスで大きく成功されたかたが、築いた資産を活用してコレクションを形成していくといったものとは異なります。そうやってコレクションしていけることももちろん魅力的ではありますが、僕はそもそもまだ成功したと言えるような状況ではないです。むしろ、その走り続けるプロセスのなかにあるもの、人間が生きることにおける、仕事と家族のような関係を大事にしているともいえるかもしれないです。

山本憲資、オラファー・エリアソン「In real life」(2019、ロンドン、テート・モダン)にて

──ナチュラルに、家族のように、生きる営みのなかでアートが存在しているような感じでしょうか。

 僕にとっては、アートはとてもナチュラルな存在だと思いますね。

 元ソニー社長の大賀典雄さんも声楽家出身でバリトン歌手として活躍しながら、その音楽的知見も活かしソニーを世界的な企業に育て上げていらっしゃったり、川喜田半泥子は銀行家として大成し、ビジネスから身を引いたあとに陶芸と書でも名を馳せました。

 素晴らしいコレクションを築いている資産家の方々ももちろん尊敬の対象ではありますが、個人的には感覚をインストールする体験に向き合い続けたであろう上記のような人々に、勝手にシンパシーを感じています。存命の方ですと、政治家を引退されたあと陶芸家として活躍されている、細川護熙さんも近いのかもしれません。

 あと、日本の料理が何を食べてもこれだけ美味しいのは、辻調理師学校をつくった辻静雄の功績が大きいと思っています。辻さんの自伝的小説『美味礼讃』(文藝春秋)を読むと、美食に対してどれだけ本気で向き合ったのかはもちろんのこと、大阪読売新聞をやめて料理学校を立ち上げたアントレプレナーの話としても、情熱をベースに世界でネットワークを構築していく編集者的な楽しみを書いた本としても、もう共感の嵐です。お金があるから美味しいものを食べるわけではない。アートも同じで、お金ももちろんあるといいけれど、その前段として、自分の人生にとってそもそも不可欠なモノとして向かっていくスタンスが自分には一番しっくりきます。

──山本さんの考えるアートの機能とはどういうものですか?

 アートにおいては、写実的に対象を描くということは、多くの場合において、主たる目的ではないじゃないですか。むしろ、見えないものを具体化することによって、そのフィクショナルな文脈をもって本質を炙り出していくということではないかと。小説に近い部分もあるのではとも思います。

 報道やノンフィクションはあくまで前提としてパブリックなものという制限が実はあって、誰かを傷つけてはいけないとか、人を不快にしないとか、確実に事実であるとか、原則的に公共性を意識せざるを得ない場合が多いです。その前提があると、実はタブーの領域の範囲がそれなりの割合になるんですよね。文章も同じで、フィクションになった瞬間に雄弁になって、むしろフィクショナルなものこそ、真理とのつながりを持っているのではないかと思います。

 日々過ぎていく日常のなかには、見えないものを見過ごしてしまうことが多い。ハッとするアプローチで、それらに気づく新たな視点を与えてくれることもアートの重要な機能かもしれないですね。

──アートと関わる手段のひとつとして、アートコレクターになるという方法もあると思いますが、山本さんはあくまで展覧会を訪れるというアプローチにこだわっています。

 もし手元に自由に使えるお金が100億円あったら、作品を買ってコレクターにもなっていると思います(笑)。ただ、「100万円あったとして、アートを買うことに使うか、見ることに使うか」と言われたら、僕は完全に見る派ですね。所有することより、わざわざ観に行って作品を間近に感じ、恍惚を感じ、その感覚をインストールすることの方が、僕にとっては所有以上に価値があります。

 作品を理解しようと脳をドライブさせる。そこから垣間見えたエッセンスから、アーティストのアイデンティティに想像を巡らせるプロセスがアートの楽しみのメインディッシュで、それは展覧会でも十分に楽しめます。所有というのは、もちろんできるにこしたことはないですが、あくまでそこに付随する、むしろおまけとも言える行為なのかもしれないですね。

 昨年、奈良美智が元ブランキー・ジェット・シティの浅井健一の歌詞をベースに絵を描いた絵本が出版されました。奈良さんはブランキーの楽曲をモチーフにドローイングを昔からいくつか描いていて、これもまだ大学生の頃ですが、それを見て「僕もブランキー好きなんです!」という話をしたら、奈良さんがタンバリンを持った女の子の絵をさらさらっと描いてくれたことがありました。今でもそのサインは宝物ですが、作品を通じてシンクロニシティの喜びを感じるという原体験のひとつだったかもしれません。

山本憲資所有の奈良美智のサインと、ブランキー・ジェット・シティの楽曲『赤いタンバリン』がモチーフの作品のポストカード

──アートに興味を持っている人はとても多いと思いますが、そこからもう一歩先に進んで、山本さんの言うような、おもしろく世の中を見ようとするアーティストの視座に触れるためには、どうしたらいいのでしょうか?

 基本的には、良いと言われている、ないしは好きと感じたアーティストの作品をとにかく見まくることが大事だと思います。人を好きになるに近いんですよね。知れば知るほど好きになる。

 それを続けるなかで、自分のパーソナルに響くポイントを持っているアーティストを見つければ、その視点を共有できるようになれるかもしれません。そのプロセスは僕にとっても一生続けていくものなのだと思います。