INTERVIEW - 2019.12.28

脳科学者・中野信子がAKI INOMATAの作品に見るアートの可能性

人間以外の生物との協業によって作品を生み出すアーティスト・AKI INOMATA。脳にまつわる多くの著作を執筆し、幅広いメディアで活躍する脳科学者の中野信子。かねてより親交のあるふたりが、AKI INOMATAの作品を手がかりに、お互いの視点で脳とアートの相互作用について語りあった。

聞き手・構成=編集部 写真=吉田美帆

AKI INOMATAがアトリエとして使用するDMM.make AKIBAにて、左から中野信子、AKI INOMATA

 各国の都市を模した殻をヤドカリに提供して住み替えてもらう作品《やどかりに「やど」をわたしてみる》をはじめ、ほかの生きものとの協業を通じて作品を生み出すAKI INOMATA。INOMATAの作品を高く評価し、現在は東京藝術大学の博士課程で「美と脳」をテーマに研究をしつつ、脳にまつわる執筆活動や公演を重ねる脳科学者・中野信子。現在、青森・十和田市現代美術館で開催中のINOMATAの個展「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(〜2020年1月13日)を手がかりに、アートと脳の関わりを考えるヒントを、ふたりが対話から見つけ出していく。

AKI INOMATA作品に宿る脳へのヒント

中野 私は現在、東京藝術大学の長谷川祐子さんの研究室でキュレートリアルスタディの一環として、アーティストに対するチュートリアルを実施する試みに参加させていただいています。その場ではキュレーション側も学ぶことが多く、毎回とても楽しみなんです。だから今日は、必ずしも脳科学だけの話にはならないと思いますが、広くアートと認知の関わりにまつわる話ができるといいなと思っています。

INOMATA ぜひ、よろしくお願いします。今日は、十和田市現代美術館での私の展覧会「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」を中野さんに紹介しつつ、お話を広げていければと思っています。

 まず、展示のひとつ目の部屋では、生きているミノムシを展示しています。《girl, girl, girl , , ,》という作品なのですが、女性の衣服の端切れをミノムシに与え、ミノムシに服地で蓑をつくってもらうという作品です。

AKI INOMATA《girl, girl, girl , , ,》、「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景より Photo: Kuniya Oyamada

中野 端切れの選び方で気を使ったところはありますか?

INOMATA 全身の洋服のコーディネートを決めて、上から下までの洋服の服地を少しずつ切り取ってミノムシにあげています。洋服のコーディネートと服地を切る作業は私が行なっていますが、みのづくりはミノムシ自身に任せています。

中野 この端切れが、まずガーリーで可愛いですよね。タイトル通りというか、女性の心をくすぐる展示だなと感じます。AKIさんの代表作であるヤドカリの殻を3Dプリンタで制作した《やどかりに「やど」をわたしてみる》(2009-)もそうですが、AKIさんは生物と環境を結んだ、そのあいだに興味があるのだろうと思っています。

 人間にとっても、「住む」と「着る」というのは、サイズが違うだけで適切な環境を保持するデバイスを用意する行為です。私たちは体毛を失って久しいので、それを自分たちでつくるしかないんですよね。少なくとも数万年はそれを続けているわけです。

INOMATA 服と建築は、「シェルター」という意味では一緒だということですよね。

AKI INOMATA《やどかりに「やど」をわたしてみる》、「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景より Photo: Kuniya Oyamada

中野 服も建築も、サイズはもちろん違うのですが、人間にとって最適な環境を保持するという機能面では、じつは共通しています。AKIさんはそこにフォーカスした作品を次々と発表されていますよね。よくあるアプローチであれば、実際に人間の着る服とか住む建築をつくるという方向に行くと思うんですが、AKIさんのおもしろいところは、それを人間ではない生物に託してみるという発想で、それがすごくユニークです。

 そういえば、どうして人間ではない生物といっしょに作品をつくろうと思ったのか、ちゃんと聞いたことがないですね。

INOMATA 生物とのコラボレーションを試みたのは「No Man's Land」(2009)という旧フランス大使館で開催された展覧会が最初でした。

 東京藝術大学に在学しているときは、デジタルとアナログの境目をテーマにしていました。例えば、コンピューターで制御した雨だれが落ちてくる部屋をつくったりしていたんです。ポタポタと落ちてくる水の波紋の影が床面に投影されて、実際には水がないのに、水があるように見えるという。でも、水滴を落とすのはコンピュータでバルブの開閉を制御しているので、良くも悪くも出来上がる波紋はシミュレーターそのままになってしまう。

中野 そこにちょっと限界を感じていたということでしょうか。

INOMATA そうなんです。プログラムの世界に閉じてしまうのが嫌だから雨という自然物を扱ったのに、結局は閉じてしまったような気がしていました。情報化された社会に対して違和感があったのに、作品をコントロールでき過ぎてしまうことに疑問を感じていたんです。

 だから「No Man's Land」に向けて違う作品を考えてみようかなと思いました。会場となった東京・麻布の旧フランス大使館の土地は、2009年10月にフランスから日本に返還されましたが、さらに60年後には再びフランスに戻るという話を聞きました。同じ土地なのに国を行ったり来たりしているというのが衝撃的で、それがヤドカリに引越しをしてもらう作品の発想につながったんです。

中野 あまりにもメタ的だから気がつく人は少ないかもしれないですが、自分たちが住んでいる場所が、日本語という共通言語を使えて、日本人ばかりが暮らしているのがあたりまえと思っている。私たちは認知的に日本という殻を被っているわけです。でも、AKIさんの作品のヤドカリが背負っている透明な都市みたいに、日本という殻はじつは着脱可能なんですよね。

AKI INOMATA《やどかりに「やど」をわたしてみる》、「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景より Photo: Kuniya Oyamada

INOMATA 貝殻闘争と言われるんですけど、弱いヤドカリが強いヤドカリに殻を追い出されて殻を奪われてしまうことがあるんです。殻を取られたヤドカリも、強いヤドカリが背負っていた殻に入るので、強制的に交換させられるような感じですね。

中野 デリケートな外交の問題や文化間の差異にも通底するテーマ性が感じられて、興味深いです。その殻が気に入ったからよこしなさいよ、という生々しいやり取りがあるんですね。ヤドカリがその殻を気にいるきっかけは、どういったものなんですか。

INOMATA 自分のハサミが殻の口にぴったりだと良いみたいで、ハサミの大きさで測っているらしいんです。はみ出ていたら外敵に食べられちゃうので。かと言って、欲張って大きい殻を選びすぎると重くて動けなくなるんですよ(笑)。私のつくった殻に喜んで入ったものの、やっぱりやめて元に戻ってしまうこともあります。

 ヤドカリが殻を選ぶときは、両方のハサミで殻を持ってぐるぐると回転させて殻を吟味していますね。回転させることで中に入った砂を外に出したり、重さや、穴が空いていないかなどをチェックしているようです。あと、殻の内部のつるつるの具合も確認しているらしくて。目で見るだけでなく、ハサミや身体を突っ込んで、触って確認をしている感じがします。

中野 じゃあ物理刺激で試しながら選ぶんですね。人間も、住居とか着るものを選ぶときは、長くいられたり、着られたりしたものほど好ましく感じる感覚があるんです。長くいられたということは、安全に生きられた実績の長さとして認知する機構があるということになりますね。

 長くいればいるほどその場所に愛着を感じる、というのは、生理的な側面では、幸福感を与えてくれる脳内物質のオキシトシンが出ているということです。住めば都とか、長く使ったものには神が宿る、とかいうのはこうした感覚が裏打ちしている言い回しと考えられるんです。人間同士もそうで、その人の情報に長く触れていればいるほど、オキシトシンが出て愛着が形成されます。

INOMATA 人については聞いたことがありましたが、住居もそうなんですね。

中野 住んでいた場所や、1度でも行ったことのある場所のほうが、知らない場所より安心するという感じでしょうか。もちろん、人間には「飽きる」という別の機構もありますし、個人差としてどちらの要素をより好むかも違いますから、それらのバランスでその人の好きな場所というのは決まるんですけど。

 やはり人間も哺乳類なので、妊娠している母親や子どもの時代は特に逃げ足も遅かったりして脆弱で食べられやすい。そんな生きものだけれども、長く居住できた、ということは外敵があまり侵入してこないとか、身を守るのに適していた場所だったわけですよね。好きな場所の基準は、生存戦略のごく基本まで立ち返れば、人間もヤドカリも同じなのかもしれないですね。

INOMATA 私はタコとアンモナイトを出会わせる作品《進化への考察#1:菊石(アンモナイト)》(2016-17)という作品もつくっています。現存するタコの多くには殻がありませんが、もともとは殻を持っていて、進化の過程で殻を捨ててしまったそうです。一方で、アンモナイトは大きな殻を持っていますが、アンモナイトとタコは祖先が同じらしいことが研究によってわかっています。そこでアンモナイトの化石から殻を私が復元してタコに与えることで、タコを先祖返りさせるかのようにアンモナイトと出会わせてみるという作品です。

 このタコは私がつくった殻をとても気に入ってくれたのか、中に入って寝たり、自分のものみたいな感じになっていました。私が掃除したいので殻を取ろうとすると、海水を吹きかけてきて、すごく怒られたりして(笑)。

「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景 Photo: Kuniya Oyamada

中野 閉所恐怖症の人は別ですけど、例えば、多くの人は押入の中が好きだったりします。暗くて安全で誰も襲ってこないと認知するから安心できるわけです。それは、かつての人類が洞窟に住んでいたい理由にも似ているのだろうと解釈できます。基本的に人間も、暗所で狭い場所が好きなのは、セキュアだからなので。先ほども言ったように、数万年前まで遡ると、多くの場合、人は洞窟に住んでいたわけです。先祖返りというとやや言いすぎな感はありますけど、かつて自分がいた安心する場所というのを知っていて、それに似た環境を選ぶという傾向はいまでもあるんじゃないですかね。それが、タコにとってはアンモナイトの殻なのかもしれない。

INOMATA タコを飼っていると、タコは人の顔も憶えるし、嫌なことをされると体色を変えて怒ったり、お客さんが来ると踊るような仕草をしたりと、感情表現が豊かです。一緒に暮らしていてとても不思議な感覚になりました。ピーター・ゴドフリー=スミス『タコの心身問題──頭足類から考える意識の起源 』(みすず書房、2018)という本には、「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」と、タコと人間は違う進化の過程を辿って、異なる構造の心と知性をもったことが書かれています。

中野 心の定義は難しい問題ですね。

INOMATA そうなんですよね、生き物を扱ううえで、心の定義は本当に難しい。いつも悩ましいなと思っています。

中野 未だに、心脳問題の解決はつかない。いわんやほかの生物なんて、なおさらですよね。もう少し未来になれば、機械に心が生まれるかという議論がもっと激しくなってくると思います。定義次第では、すでに心が生まれているとも言えるし、いっぽうで人間にだって心がないという人もいるでしょうし。定義によって変わってしまうという難しさがありますね。

「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景 Photo: Kuniya Oyamada

脳とアートはどのように関係するのか?

中野 INOMATAさんの作品を見てから、我々の普段の生活を振り返ってみると、いままで見ていたものが新しく見えてくるという驚きがありますよね。INOMATAさんの作品はそこが魅力だと思うんです。

 見た目もすごくリリカルで綺麗で可愛いんですけど、ただそれだけじゃない深みがあっておもしろいんですよね。鑑賞している自分自身も生物である、というところに、必ず目が向くようにできている。

INOMATA 人間の脳への豊かな知見がある中野さんですが、ご自身はアート作品にどのように対峙しているのでしょうか?

中野 私はいつも「驚きたい」という気持ちがあって。旅に期待することとほぼ同じなのですが、なぜ旅よりもアートを選ぶのかというと、ネットが発達してしまったことによって、旅をしても驚きがないという状況がけっこうあるんですよ。その場所に行っても誰かのインスタと同じ写真が撮れるだけ、とかね。旅のなにがおもしろいのかというと、そこにいままで出会ったことのないものがあり、出会ったことのない人がいて、その何かとの知的なやりとりがある、その結果自分が変わっていく、というのが喜びじゃないですか。

 たとえば私、パレスチナ自治区にバンクシーのグラフィティのある壁を見に行ったんですけれど、バンクシーの描いたものを見ることよりも、バンクシーの偽物(笑)を売っているパレスチナ人のお兄ちゃんと喋ったことのほうがずっと印象に残ったし、楽しかったんです。そのお兄ちゃんは、偽物をつくりたくて売っているわけじゃなくて、結構学歴も高くて大学院まで出ているんです。電子工学です。だけど、パレスチナ人だからイスラエルでは雇ってもらえないと言う。とはいえパレスチナにも国力がなくて、生きていくためには観光客相手の土産物屋をやるしかない。土産物屋をやるとなったら民芸品じゃなくて、バンクシーの偽物がいちばん高く売れる、というわけです。そこでわざわざベツレヘムに来て、売り物にバンクシーを選ぶあたりがやっぱり院卒だな、という感じがしますね。

 バンクシーの絵をただ見るとか、インスタにアップするとか、そんなことよりも、彼と話ができたことのほうが、私にとってはずっと素晴らしい経験でした。バンクシーと話したことはありませんけど、彼も自分の作品が間接的にでもパレスチナ人のお兄ちゃんの生活を支える原資になっているんだとしたら、そのことを興味深く思うんじゃないかな。このことの方が、彼の絵そのものよりも注目するべきことじゃないですか。

 こんな風に、現地に行かないとわからないことを、アートに触れると感じられることがあります。パレスチナに行くのは時間もお金も手間もかかりますけど、十和田市立現代美術館だったら、思い立ったらすぐにでも新幹線に乗って行けますね。これはすばらしいことです。

INOMATA 旅というのは、私も共感するかもしれません。アーティストは物理的にも旅動することが多いですし、作品をつくることは旅であるとも言えますね。

DMM.make AKIBAにて、AKI INOMATA

中野 だからAKIさんも、ヤドカリの殻に都市の姿をつくったのかな。

INOMATA たしかにヤドカリも旅をしているようにも見えるし、私もやってみてどうなるかがわからないから、制作することは旅や冒険に近い。生き物との出会いから、新しい発見や、自分がもっていた概念の更新が起きるんです。

中野 ときには失敗することもあるけれども、それはそれで大切な記憶のひとつとして蓄積されていきますものね。

INOMATA ヤドカリの殻をつくるときも、そんな蓄積の賜物ですね。ヤドカリって、ペットボトルのキャップに住んでいたりもするんですが、丸い球形の形状で試してみても入ってくれなかったんです。だから本物の貝殻をCTスキャンして、それを3Dファイルで書き出して、有機的な貝殻のかたちをつくってあげたら入ってくれた。ヤドカリが入ってくれることを考えて、有機的な貝殻と無機的な建物が組み合わさったかたちになったんです。ヤドカリに気に入られようと試行錯誤したことがコンセプトにもつながっていきました。

中野 クリエイティビティを測るために、研究者たちが使っている方法というのがあります。例えば、紙コップの使い道をいまから10分以内にできるだけ多く考えてもらう、というようなものです。紙コップでなく、ピンポン球でも、ネジでも、なんでもいいのですが、なにかひとつものについて、普通の使い方以外にどれだけ思いつくかで、その人のクリエイティビティを計測するという方法がしばしば使われます。

 このテスト、アーティストはやはり得意だと思うんですね。私がおもしろいなと思ったのが、同じ人でもクリエイティビティが上昇する条件というのがあって、散らかった部屋のほうがいいんです(笑)。なぜかというと、出会うはずのないものが同じ視野に入っているから。マン・レイのミシンと傘の偶然の出会いを再現した写真作品のような出会いが、散らかった部屋では起こるようです。

INOMATA たしかに、私が作品を思いつくときは雑談が多いですね。ヤドカリのときもじつはそうだったんです。フランス大使館のフランス領の土地が、日本の土地になること、同じ土地なのに国が変わることについて考えていたときに、友人から「弟がヤドカリを飼っている」という話を聞いて「それだ!」とつながったんです。

「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景 Photo: Kuniya Oyamada

アートに見いだす可能性

中野 人間というのは、自分で思っているほどはあまり頭が良くない、というか複雑な思考が得意ではないんですよね。例えば、トランプ大統領のように、小学生でもわかるような単語を使って、できるだけ短く発信する方が好ましいと無意識に感じてしまう。これは本当に恐ろしいことです。

 一方で、興味深いことでもあります。人間は基本的に複雑なものを好まない。正しいか正しくないかというのはとても大事な感覚だけれど、それよりも好き嫌いのほうが優先されちゃうんですね。好き嫌いはなにで決まるかというと「短い」「単純」「よく触れている」という要素で決まります。

 プライミングと呼ばれる現象があって、同じ刺激を与えたとき、最初に受けた刺激に比べて、2回目の刺激は大幅に減るし、3回目はもっと減る。どんどん慣れていくんですね。心理学でも馴化という現象がよくしられていますが「この刺激は自分にとって危険じゃない」ととらえると、親近性が上がります。テレビでよく見るお笑い芸人の顔のほうが、見慣れないイケメンよりも好ましい、と感じるわけです。選挙前に名前を連呼するのも、うるさいなと思うかもしれないけど、聞いたことのない名前よりも、聞いたことある名前のほうが印象が良いことを経験的にみな知っていて、そうするのですね。

DMM.make AKIBAにて、中野信子

INOMATA それでいうと、アートってあまり見慣れないものが多い気がしますが。

中野 実際、アートフェアなんかを見てみると、どこかで見た作品の「半歩先」くらいを行くような作品が売れていますよね。本当の意味でまったく新しい作品は理解されないんだなという解釈です。AKIさんの作品をたくさんの人がかわいい、好ましいと思うのは、どこかで見たものと接続するような安心感があり、でも新しさをもそこに感じるからでしょう。例えばそれは子どもの頃にヤドカリと遊んだ思い出と、見たこともない新しい素材の家、といった組み合わせなのかもしれない。そのバランスがうまく取れていないと、有名なアーティストの作品でも劣化したとか言われてしまうようですね。

 私もそのうち、このあたりはパラメーターを定めてシミュレートできたらいいなと思っています。もちろん世界各国、その基準値は違うと思うので、その地図もつくれたらもっとおもしろいと思います。本当は博士課程でやりたいと思っていましたが、いまはとても手が回らない(笑)

INOMATA たしかに、海外のほうが作品への反応が良くて、なんでだろうと思うこともあります。

中野 日本だとまだ新しすぎるのかもしれないですね。

「Significant Otherness シグニフィカント・アザネス 生きものと私が出会うとき」(十和田市現代美術館、2019)展示風景 Photo: Kuniya Oyamada

INOMATA 私に限らず、これから作品をつくるアーティストに対して、中野さんならではの視点で意見をいただけるとうれしいです。

中野  INOMATAさんの作品は、エステティックな良さがあると思うんです。これは長谷川さんもよく言うんですけど、コンセプチュアルなところがどれだけ強固であっても、エステティックに欠ける部分があってはいけないと。その意味で、AKIさんの作品はとてもエスティックにも素晴らしく、センスを感じさせてくれます。この議論は、すごくおもしろいので、どこかでまた長く語らいたいですね(笑)。

 いま私は、伝統工芸から現代美術まで、いろいろな人の講義をつまみ食いのように受講しています。とんでもない超絶技巧を持つアーティストもたくさんいて、コンセプトなど吹き飛んでしまうような、本当に美しい、それだけで力のある作品もいっぱいある。でも、そういうものが海外で受け入れられるかといったら、うまく伝わらずに「これはアートでなくてクラフトですよね」という扱いになってしまったりする。

 アートとクラフトの違いってなんなのかをしみじみ考えたくなりますよね。西洋の伝統としては、考える仕事が高次のものとされてきたという歴史があります。手を動かしてものをつくるというのは工房の職人がやること、という風潮があるわけです。

 私の理解がおかしいのでなければ、ものづくりの力を重視してきたわけではない西洋の歴史的な価値観に、人間のものをつくる力とは物凄いものなんだ、というリアルを突きつける、それを日本のアートの文脈にいる人がもっとやれればいいのになと思っています。岡本太郎さん以降、日本でも、コンセプトを求める見方は強かったのではないかと思うのですが、それはそれで歴史的な資産として、いまようやく超絶技巧系の作り手が出てきて、光を浴びつつあるという話も聞きます。新しい流れができるんじゃないかなと楽しみに、期待をしています。