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アーティストとギャラリストはともに歩む。
小林正人✕佐谷周吾対談【2/2ページ】

ヤン・フートとの運命的な出会い

ーーそして小林さんの作品は1995年、ベルギーのゲント現代美術館の館長であった世界的なキュレーター、ヤン・フートの目に止まることになります。

佐谷 ヤン・フートがキュレーションする「水の波紋’95」という展覧会が、ワタリウム美術館で開催されることになりました。アーティストたちがこぞって自分の作品をヤンに見せにくるような状態でしたね。

 ドクメンタ7の画期的な成功もあって、当時のアーティストや関係者はなんとか彼に作品を見てもらおうとしていました。僕は幸運にもヤンに会えることになり、アーティストたちのポートフォリオをこしらえて持って行きました。すると、ページをめくるヤンの手が小林のところで止まったんですね。ヤンはなんだかすごい興奮しだして、動物園の檻の中の熊みたいに、部屋の中をぐるぐる回りだしたんですよ。そして一気に喋り出し、俺はこの《画(3つの林檎)》を見たいと言い出したんです。実物をギャラリーで見せたら、ヤンは1時間ほど立ったり座ったりを繰り返しつつ、猛烈な集中力で作品を見たあとに「俺はこれを今度オープンする美術館のために買う。そしてこの作家をベルギーに呼ぶ」と言ったんです。

画(3つの林檎) 1993 oil,canvas 198✕262.5cm ゲント市立現代美術館

 あれは驚きました。ヤン・フートが一瞬で小林の才能を見抜いた。私にとってそれはすごいことでした。そのときの小林は「ヤン・フートって誰だ?」みたいな感じだったんですけどね。小林はこれ以上日本でやっていくのは厳しそうだし、ゲントで何かチャンスが見つかるといいなと思いました。最初の滞在で、ゲント現代美術館の人や周囲のアーティストが、小林のことをすごく理解し、評価してくれて、これほどアーティストらしいアーティストはいないということに価値を見出してくれました。

 日本では変わり者扱いで、「あいつは挨拶もしないでけしからん」とか言われてしまう小林でしたが、ゲントには全然違う場所がありました。展覧会の後、美術館のみなさんが僕の肩を叩いて「小林をゲントに置いていけ」と言ってくるんです。世界にはわかる人がいるんだなと思いました。世界に出ていきたいアーティストは大勢いると思いますけど、結局は作品によって世界に出ていける。それを、小林は身をもって証明しましたね。

ーーその後、ゲントで行われた「赤い扉」という展覧会で、小林さんの床に置く絵が生まれます。

小林 「赤い扉」は新しくオープンするゲント現代美術館のプレ的な展覧会だったんだ。この「赤い扉」というのは、将来現代美術館になる建物の、巨大な収蔵庫の赤いシャッターのこと。つまりヤンは、美術館の収蔵庫で展覧会をやろうとしていたわけだ。今でも通用するような考え方だよね。例えば、この展示で蔡國強は収蔵庫の長い壁に火薬画の龍を描き、ヤンはそれを買ったりしているんだけれど、それだけでも普通の展覧会ではないことがわかる。

 作品設置のとき、キュレーターが俺の作品を壁にかけようと、絵を持ち上げかけた。そのときにヤンがいきなり「ステイ!」って言って。キュレーターはびっくりして絵を下ろしたんだよね(笑)。そしてヤンは床に置かれた絵を見ながら、俺に「ほら、あれはすでに素晴らしい」って言ったんだ。俺はそれがすとんと腑に落ちたんだ。そこで初めて、俺の作品が理にかなった気がした。

 床に置いたあと、周吾に国際電話でそれを報告したら、周吾はすごい怒ったね。「ヨーロッパに行ってまで何ふざけたことしてんだ! 君は、絵画を追求してるんじゃないのか!」って(笑)。俺は「見ればわかる、見てもらわないと説明できない」って答えて。でも、周吾は見に来たら一瞬で理解したな。

佐谷 当時は床に置く意味を言葉にできなかったけど、いまならきちんと説明できる気がします。小林は1993年の個展「絵画の子」のときに、すでにキャンバスを張りながら描いていましたが、描く絵のモチーフに合わせて、フレームの桁を選んでいるんです。だから、絵画の骨組みとキャンバスという構造が、絵にも現れる。つまり、絵画そのものが一種のボディになっているんです。ボディになっているから、床に置いてもいいし、どのように展示しても空間に対して耐えうるものになる。その頃から小林の仕事は論理的に破綻なく、いまにまでつながっている。

小林正人「絶対絵画」(1985)の図録を手に持つ佐谷周吾

 かつてヤン・フートが小林とのアーティストトークで、東京藝術大学の卒業制作の作品である《天使=絵画》を指差しながら「この絵にはすでにその後の小林正人の仕事が現れている」とも言っていました。「描かれている人物の腕を見なさい、この木枠から出たがって押し広げている、このあとの小林の作品の展開がここにすでに現れています」と。小林の創作はそうやっていつもつながっていくんですね。でも、床に置く絵って売れないだろうなとは思いましたよね。部屋が掃除できないじゃないかって(笑)。

小林 当時は、絵画に対して厳しい固定概念があって、絵画には正面性が必要だった。だから、床に置く絵画は当時初めてだったし、ヤンもそう言っていた。今では床置きの絵画なんていくらでもあるけれど、当時はそういう時代だったんだ。コマーシャルギャラリーでそれを展示しなければいけない周吾の立場からすると、簡単な問題じゃなかったと思うよ。

アーティストとギャラリスト

ーー佐谷さんが小林さんの考え方を理解できたのはいつ頃でしょうか?

佐谷 いまでも完全に理解はできていないのかもしれない。「周吾、できたぞ」って言われてアトリエに作品を見に行くと、だいたい呆然としちゃうのは、昔から変わらないですね。でもギャラリストの役得というのは、毎日展示を見られること。毎日見ていると、小林が言っていることが次第にわかってきたり、作品に隙がないことに気がつきます。

小林 アーティストのほうが作品を理解するのは早いんだよね。周吾もやはり理解するんだけど、少し時間がかかる。でも、ギャラリストはいろんな問題を考えながら作品と向き合うわけだ。アーティストは作品だけで良し悪しを直感的に判断するけど、ギャラリストは耐久性や物理的な制約を視野にいれながら見なきゃいけない。その点でいうと俺の作品は、周吾の悩みの種になるようなものが多いよね。

佐谷 彼のことを学生時代からひいきにしていた人たちに、小林の作風の変化を受け入れていることについて、すごい説教されたこともあります。裏切られたような気持ちになるんでしょうね。他にも、キャンバスからは釘が出たままなので「釘は打ち込んで持ってくるのが普通じゃないか」みたいなことをお客さんに言われたりもしました。

小林 俺は、最初に釘を打ってキャンバスを張って描くわけじゃないから、そもそも絵の成立過程が違う。自分の絵を自由に描くためには、四角いキャンバスは窮屈だったし、構造を変えなければいけなかったから。フレームをつくる、キャンバスを張る、描く、それを全部一緒にやることにした。だから、釘が出ているのは当たり前なんだ。でも、昔はこういう論理的なことを喋らなかったから、みんなわからなかっただろうけど。

「Gelijk het leven is」(2003)での床に置いた絵画の展示風景

佐谷 そういえば、床に置く絵画を見た蔡國強が、何かを援用するのではなく、スクラッチから作品を成立させることのできるアーティストは日本からは出てこないという結論を出して7年居た日本を出たのに、小林が出てきて驚いたと言っていましたね。

小林 日本だと、何か新しいことをするときに、イメージを新しくするとか、素材を新しくするとか、そういうアプローチがほとんどだよね。でも俺はオイルとキャンバスを使いながら、絵画の「Oil on canvas」という構造を「Oil with canvas」という構造にした。そういったアプローチは、他の日本のアーティストのやり方と違ったんだろうね。

ーーお話を通じて、お二人が強い信頼関係のもとで二人三脚でこれまでやってきたという印象を強く受けました。佐谷さんには、小林さんを育てるという強い思いがあったのでしょうか?

佐谷 よく「アーティストを育てていますね」と言われますが、アーティストは勝手に育つものというのが私の持論なので、並走者ぐらいの感じだと思います。

小林 でもひとつ言えることがある。周吾がいなかったら、ひょっとしたら俺はまだ同じ空の絵を描いているかもしれない。作品はギャラリーに運ばれるから描けなくなるけど、本当はずっと描いていたい。これだけの多くの絵を描いていても、アトリエからも倉庫からも、作品がちゃんとなくなっている。それはもう周吾のおかげだよ。

佐谷 まあ、冗談でよく言うんですけど、小林は南極に行ってもペンギンが助けてくれるんじゃないかというくらい、つながりで助けられる星の下に生まれている。でもそれは、ただのラッキーとは違う。小林は、はっきりと目的が見えていて、それをこの惑星に生み出す力がある。だから作品に力があるし、その力に最初に出会ったときから魅せられているんだと思います。

小林 絵を描いていくことで全部がつながってきた。絵を描かせてくれたのは周吾でさ、感謝しているよ。

佐谷 何をいきなり(笑)。でも、小林正人はShugoArtsというギャラリーにとってモチベーションであり、アイデンティティであると言って良いと思います。小林正人との出会いがあったおかげで、シュウゴアーツがここまで来られたことは間違いなく事実です。

ゲント時代に小林正人が佐谷周吾に送ったイラスト入りのファックス。作品完成の報告や、制作資金の援助のお願いなどが書かれている

編集部

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