「画狂」モネ。晩年の生き様をたどる【2/3ページ】

夢の舞台・ジヴェルニー

 ジヴェルニーは、パリから北西へ約70キロ離れた、ノルマンディー地方の入り口に位置する人口300人の小さな村である。そこにモネが家族を連れて引っ越したのは1883年、43歳のときだった。

 ようやく絵が売れるようになり、落ち着いて暮らせる場所を欲していたモネは、村の静かな佇まいと豊かな自然を大いに気に入った。とくに広い庭のついた家は、若い頃から借家を点々としてきたモネにとっては、ずっと欲しくて欲しくてたまらなかった憧れの存在だった。

 移住から7年後、正式に家と土地を購入すると、彼は早速家族総出で土を耕し、庭の整備に着手する。そして、かつてはリンゴ農園だった庭は、四季折々の花が咲き乱れ、珍しい植物を育てる温室をも備えたノルマンディー風の「花の庭」へと生まれ変わった。

 1893年には、モネは南側に土地を買い足し、2つめの庭「水の庭」の造成に着手する。今度は、大きな瓢箪型の池を中心に、藤や柳、竹など日本の植物を周囲に植えた、日本風庭園に仕立てた。池には広重の浮世絵にも描かれた太鼓橋がかけられた。どちらも隅々までモネのこだわりが詰まった「作品」だったが、とくに思い入れが強かったのは、若い頃から大好きだった浮世絵に描かれた世界を、自分の身近に再現した「水の庭」だった。

  筆を置けば、「完成」するカンヴァス画と異なり、庭づくりは、植物という生きた存在を用いる分、時間をかけて根気強く付き合わなければならない。だからこそやりがいもある。庭は、モネにとってインスピレーションの源であり、庭との関わりを通して、モネは自分自身の「感性」をアップデートし続けたと言えるかもしれない。実際に、太鼓橋を描いた連作《睡蓮の池》や、彼の代名詞的存在「睡蓮」など、多くの作品が、庭から生まれている。

 そして、庭の植物をモチーフに描き続けるなかで、大規模な「装飾画」制作の構想が彼の中で膨らんでいく。

編集部

Exhibition Ranking