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ゴッホはなぜ「ヒマワリ」を描くのをやめ、「糸杉」を描き続けたのか?

フィンセント・ファン・ゴッホを代表するモチーフと言えば「向日葵」が思い浮かぶ人も多いだろう。しかしそれと同じようにゴッホが熱中した画題が「糸杉」だった。「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」(東京都美術館)の出品作である《夜のプロヴァンスの田舎道》などを手がかりに、ゴッホの関心が向日葵から糸杉へと移っていった経緯をたどる。

文=verde

フィンセント・ファン・ゴッホ 夜のプロヴァンスの田舎道 1890年5月12-15日頃 クレラー=ミュラー美術館蔵 ©Kröller-Müller Museum, Otterlo, The Netherlands

 ゴッホ、と言えば思い浮かぶのはヒマワリ。彼自身もヒマワリを「自分のもの」と自負し、「夢の象徴」として、強い思い入れを抱いていた。しかし、彼はある出来事がきっかけでヒマワリを描かなくなってしまう。代わって彼の中で重要な位置を占めるようになったのは、糸杉だった。これを、ヒマワリの時と同じように「自分のもの」にしたい。そんな思いを胸に、1889年、サン=レミで過ごした約一年間、彼は糸杉を主題とする作品制作に取り組んでいく。

 《向日葵》と並ぶ代表作として名高い《星月夜》も、この時期に描かれた一枚である。ゴッホは、なぜそんなにも「糸杉」を描く事に熱中したのだろう。そもそも、一体何が彼を惹きつけたのか。ヒマワリがゴッホの「夢の象徴」ならば、糸杉には、何が託されていたのだろう?

 サン=レミ時代のおそらく最後の作品で、東京都美術館「ゴッホ展──響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」にも出品された《夜のプロヴァンスの田舎道》を取り上げ、そこに至るまでの、彼の軌跡をたどってみよう。

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