デンマークのように、画家たちが倦むことなく彼ら自身の居間を描く国はほかにない。…(中略)…デンマークで非常に優れた室内画が生み出されてきたこと、そしていまなお生み出されていることは否定できない(1908年、*1)
1908年にストックホルムで開かれた北欧美術展について、ある美術史家は、このような言葉を寄せている。
19世紀デンマークでは、多くの画家によって魅力的な室内画が生み出された。その代表格であり、一際異彩を放つ存在がヴィルヘルム・ハマスホイである。静かで冒しがたい空気を湛えた「室内画」から、しばしば17世紀オランダの画家フェルメールになぞらえられることもある。
だが、彼の描く世界はフェルメールに比べてどこか冷ややかで物憂く、時には人物すら存在しない。なぜ彼は、このような独自の絵を描いたのか。そもそも、上のコメントに見るような状況、「室内画」の流行は何に由来するものなのだろうか。
「ハマスホイとデンマーク絵画」展(東京都美術館、2020年1月21日〜3月26日)の出展作品数点と共に、背景から掘り起こし、その答えを探って行こう。
19世紀デンマーク絵画の流れ
19世紀前半、デンマークは政治・経済両方の面で窮地に陥っていた。原因は、ナポレオン戦争だった。デンマークはフランス側に与したが、参戦した結果、国家財政が破綻、しかも、戦後はノルウェーをスウェーデンへと割譲しなければならなくなった。
こうした状況のなかで、王侯貴族に代わって力をつけていったのが、裕福な市民階級である。彼らは、文化面において、王侯貴族に代わるパトロンとなり、19世紀前半、デンマークの文化は「黄金期」を迎える。
その内容は、市民たちの価値観、好みを強く反映した「市民の芸術」だった。絵画ジャンルにおいても、神話や歴史など遠い昔の出来事に材を取った歴史画よりも、風景画や風俗画など、身近な自然や日常を題材にした、わかりやすく親しみやすい絵画が好まれた。
とくに1880年代からは、日常生活をモチーフとする「風俗画」の中でも、屋内を舞台にした「室内画」が、首都コペンハーゲンで人気を博していく。ヴィゴ・ヨハンスンやピーダ・イステルズら多くの画家によって、家庭的な場面を暖かみに満ちた雰囲気で描き出した作品が生み出され、やがて「室内画」は、デンマーク絵画の主要な一角を占めるまでになる。
「ヒュゲ」:デンマーク室内画のキーワード
1880年代に流行した「室内画」の性格は、「ヒュゲ(Hygge)」という単語に集約できる。「ヒュゲ」とは、デンマーク語で「暖かい」「居心地が良い雰囲気」を意味する。現代でもデンマーク人たちが大切にしている価値観の根本を示すキーワードともなっている。だが、具体的には何を指すのか。実際に作品を見てみよう。
例えば、ヴィゴ・ヨハンスンの《きよしこの夜》(1891)。タイトルからもわかる通り、クリスマスの夜の一場面を取り上げている。中央には綺麗に飾り付けされたクリスマスツリーが据えられ、母親と6人の子供たち(画家の家族や友人たち)が、手をつないで、その周りをめぐっている。
見るからに暖かく楽しげで、弾むような歌声まで聞こえてきそうな、「幸福な家庭」の一場面がここに描き出されている。このようにツリーの周りをめぐるのは、デンマークにいまでも残る風習であり、人によっては懐かしい記憶を呼び覚まされるだろう。
また、北欧の厳しい冬の寒さを思えば、こうした暖かく居心地の良い部屋や、その中で家族が集って過す楽しい時間は、まさに「宝」そのものと言っても過言ではあるまい。つまり、この作品は、画家が、自身の身近にある「ヒュゲ」──「何気ない日常の中にある幸福(宝)」を、愛着をもって見つめ、描き出したものであると言えよう。そして、それ故に、時間や場所を越えて、人の心にキャンドルの火にも似た、暖かな光を点す力をいまもなお持ち続けている。
室内美の世界──ウィルヘルム・ハマスホイ
20世紀が近づいてくるにつれて、「室内画」は次第に変化していく。それまでは、「幸福な家庭」の物語のための舞台装置だった「部屋」が主役となり、「部屋」そのものの美しさを表した絵、無人の室内を描いた絵が増えていった。
人物が描かれているとしても、多くの場合、このように後ろを向いたり、正面を向いていても、見る側と視線を合わせようとしない。「主役」たる部屋の美しさに、アクセントを添えるパーツと言っていい。
このような「部屋の美しさ」を描き出した画家たちのなかでも、ウィルヘルム・ハマスホイの存在は特に際立っている。彼は1898年から約10年間、自らが住んでいたペンハーゲンのストランゲーゼ30番地のアパートの室内を、白や黒を基調とした色使いで繰り返し描いた。
そこからは、住んでいるはずの人の気配も、季節を感じさせる要素も、音も、一切が遮断され、現実ではない別の世界を覗きこんでいるかのようである。空間を満たすひんやりとした空気、静けさ、そして窓から差し込む淡く繊細な光──それらは、微かなきっかけでたちまちバランスを崩し、壊れてしまいそうで、一度絵の前に立った者は、息を詰めて見入らずにはいられない。
作者のハマスホイは1907年、こんな言葉を残している。
私はかねてより、古い部屋には、たとえそこに誰もいなかったとしても、独特の美しさがあると思っています。あるいは、まさに誰もいないときこそ、それは美しいのかもしれません(*2)。
この言葉を踏まえると、《室内──開いた扉、ストランゲーゼ30番地》は、「古い部屋の持つ独特の美しさ」の究極の形を表したもの、と言えるだろう。この絵には、人間はもちろん、ストーブやテーブルなど、他の作品に登場する一切の家具が描かれていない。
さながら、引っ越しのために全ての家具や荷物を運び出してしまった後の空間である。開け放たれた白いドアと対照をなす、黒ずんだ床。そこに残る染みが、かろうじて、過ぎ去った年月を感じさせる。この空間には何ひとつ物がなく、誰もいない。
さらに、色彩や音、あらゆる要素を可能なかぎり削り、遮断して残ったのは、壁と床、扉といった「部屋」をかたちづくる最低限の要素。それらのパーツには、建物が建てられ、部屋がつくられて以来の「時間」が、染み込んでいる。それらは、画面の中で結びつき、一体となって、絵の前に立った者の胸に迫ってくる。それこそが、「誰もいない時にこそ」わかる、ハマスホイが見いだした「独自の美しさ」と言うべきものであろう。
19世紀、「室内画」というテーマ・モチーフを通して、デンマークの画家たちは、それぞれに世界を展開した。ヨハンスンらの「ヒュゲ」な世界を描き出した絵と、ハマスホイの美的モチーフとしての部屋を描き出した絵とは、両極端と言っても良いほど、違いがある。
また、同じ「室内美の世界」に焦点を当てたタイプの作品でも、画家によって雰囲気も異なってくる。だが、その底流に共通してあるのは、身近にあるもの、一見ありふれた日常のなかにある「美しさ」を見いだし、描き出そうとする姿勢ではないだろうか。それらの「美しさ」は、実際に絵の前に立ち、時間をかけて向き合うことで、より強く胸に染みてくる。
*1──萬屋健司「ヴィルヘルム・ハマスホイと19世紀末コペンハーゲンの室内」(展覧会カタログ p.19)参照
*2──展覧会カタログ p.168参照