400年を経て浮上した、幻の《ユディトとホロフェルネス》
2014年、フランス・トゥールーズでオークショニアとして活動するマルク・ラバルブのもとに、顧客から「屋根裏の掃除中に、一族が所有していた絵が出てきた」と連絡が入った。現物を確認したラバルブは、即座にそれが貴重な17世紀イタリア絵画であると判断。オールド・マスターの専門家として知られる、エリック・トルキャンに鑑定を依頼した。トルキャンはチームとともに、2年を費やし作品を内密に調査。その結果本作が、失われていた1607年のカラヴァッジョ作《ユディトとホロフェルネス》であると結論付けた。
《ユディトとホロフェルネス》のテーマとなっているのは、旧約聖書のユディト記の一節。ベトリアという町に住んでいた若い未亡人ユディトは、町を侵略・包囲していたアッシリア軍に対抗するため、将軍ホロフェルネスを誘惑し、殺害することを企てる。本作は、ユディトがホロフェルネスのテントに赴き、侍女アブラの目の前で彼の首を切りつける瞬間を描いている。
カラヴァッジョの《ユディトとホロフェルネス》といえば、現在ローマの国立古典絵画館に収蔵されている、1600年頃制作の《ホロフェルネスの首を斬るユディト》がよく知られている。カラヴァッジョはこのテーマを繰り返し描いたと考えられているが、トゥールーズの絵がカラヴァッジョ作ならば、現存が確認できる第二の「ユディトとホロフェルネス」となる。
今回見つかった《ユディトとホロフェルネス》は、カラヴァッジョと同時代に画家・画商として活動していたルイス・フィンソンが模写したものを通じてのみ、その存在が認識されていた。フィンソンは、カラヴァッジョの《ユディトとホロフェルネス》を所有しており、それを忠実にコピーしたとされている。フィンソン版の「ユディトとホロフェルネス」は、現在ナポリのインテーザ・サンパオロ銀行が所蔵しているが、元絵となったカラヴァッジョ版の行方は分からず「失われたカラヴァッジョ」のひとつとして知られていた。
残存する資料から、フィンソンは1607年にカラヴァッジョのオリジナルを売ろうと試みたと考えられている。しかしその絵は、フィンソンが1617年にアムステルダムで亡くなるまで彼の手元に残っており、その後遺言で、彼のビジネスパートナーだったアブラハム・ビンクに譲渡されている。そこからビンクの出身地だったアントワープに渡った可能性があるものの、その後の行方に関してこれまで決定的な証拠はなかった。
トゥールーズでの発見後に行われた鑑識で、本作には張り替え作業をした形跡があり、その際に使用されたキャンバスと枠から、この絵が18世紀末もしくは19世紀初頭にはフランスに存在したことがわかったという。
分かれる専門家の意見
トゥールーズの《ユディトとホロフェルネス》が発見された後の2016年、ミラノのブレラ美術館でカラヴァッジョの企画展が開かれた。そのなかで、フィンソン版とカラヴァッジョ版とされるトゥールーズの《ユディトとホロフェルネス》が並べて一般公開された。翌年の会期終了後に設けられた「スタディー・デー」では、各国から美術史家や修復保存の専門家たちが招かれ作品を精査し、ディスカッションを行った。
議論の場では、鑑識の結果明らかになった新しい情報が参加者たちに共有された。その1点目は、トゥールーズの絵に用いられている技法がカラヴァッジョの技法と一致すること。例外は侍女の顔。カラヴァッジョは通常、茶色の下塗りを使用するが、本作における侍女アブラの顔の部分のみ、薄色の下塗りの上に描かれているという。2点目は、下絵に赤の顔料が用いられていること。これもカラヴァッジョの特徴と合致する。
一番興味深いのは、ふたつの絵はともに、織の異なるふたつのキャンバスが、同じような手法・箇所で縫い合わされてできているという点だ。さらにX線解析で現れた描写の修正箇所も同一だという。ふたつの絵とも、もともと侍女の目は膨れ上がっており、ユディトの視線はホロフェルネスに向けられていたが、その後現在の形に描き替えられている。この発見は、ふたつの絵が、同時に同じスタジオで描かれた可能性が高いことを示唆している。
これらの調査結果を受けた議論のなか、専門家の意見は大きく分かれた。メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門長のキース・クリスチャンセンのほか、数名の専門家は「トゥールーズで見つかった絵は、カラヴァッジョの失われていた絵であるが、第三者の手が加わっている可能性がある」という見解に至った。
いっぽうで、「トゥールーズの絵は、カラヴァッジョに近しいカラヴァジェスキの手によるもので、カラヴァッジョのオリジナルは別に存在する」という意見や、「トゥールーズの絵はフィンソン作」とする説も提示された。「フィンソン作説」を唱えるひとり、フィレンツェ大学のジャンニ・パピは、「侍女の頭部、そしてホロフェルネスに見られる獣の歯のような過剰な表現は、カラヴァッジョの特徴と合致しない」という。
ブレラ美術館館長のジェームス・ブラッドバーンは、専門外ではあるが、同館にあるカラヴァッジョの《エマオの晩餐》(1606年頃)を普段から見慣れており、「トゥールーズの絵に見られる筆致はカラヴァッジョそのもの」と感じているという。
ニューヨークでの反応は?
フランスの文化庁は「トゥールーズのカラヴァッジョ」を国宝と認定。その後30ヶ月の間、国外への持ち出しが制限されていたが、昨年末解禁された。本作は、ロンドン、パリ、ニューヨークを巡回したのち、6月27日にトゥールーズでオークションにかけられる。落札価格は1億から1億5000万ユーロ(122億〜184億円)と推定されている。
ニューヨークの展示会場となった、アッパー・イーストにある「アダム・ウィリアムズ・ファイン・アート」では、5月10日から17日の間、本作が一般に公開された。会場では、本作の鑑定に携わったエリック・トルキャンが来場者に作品のディテールを説明していた。
トルキャンは「ホロフェルネスの指の描写や、ユディトの袖口から覗くブラウスの襞の一筆書きのような筆使いは、カラヴァッジョにしか成しえないもの」という。「この絵の本当の良さは、自然光の下だとよくわかる」と、室内のライティングを落とし、絵の印象が大きく変わる様子も見せてくれた。
「この絵の真贋については、いろいろな意見があります。この絵をカラヴァッジョ作と判断してくれた専門家のいるメトロポリタン美術館の間近で、展示ができるのは喜ばしいこと」と話す。ニューヨークでの反応について聞くと「大半の人が現物を観た後、本作がカラヴァッジョの手によるものと確信した様子」と語った。
現在アメリカ国内にあるカラヴァッジョの作品は8点。「来月のオークションで、アメリカの美術館が購入してくれたらいいと思う」とトルキャンは言う。
美術史において、重要な位置付けをされているカラヴァッジョだが、残っている作品数が少ないこともあり、大きな注目を集めている本作。オークションでどのような値が付くのか、誰の手に渡るのか気になるが、今後作者について専門家の間でコンセンサスが形成される日が来るのかどうかも興味深い。「お墨付き」が得られるまでのあいだ、今回のように一般の人々が自分の目で真贋判定ができるというのは、絵を鑑賞する楽しみの貴重なあり方のひとつなのだと感じた。
追記:《ユディトとホロフェルネス》は6月27日のオークションに登場する前にプライベート契約で売却された。予想落札価格が1億から1億5000万ユーロ(122億〜184億円)と推定されていた本作の売却額や購入者の身元は、秘密保持契約によって非公開となっている。