EXHIBITIONS

いちからわかる 円山応挙と長沢芦雪

2020.05.23 - 06.22, 2020.06.24 - 07.13

円山応挙 仔犬図 個人蔵

長沢芦雪 梅花双狗図 個人蔵

長沢芦雪 牡丹孔雀図 下御霊神社蔵

円山応挙 牡丹孔雀図

長沢芦雪 絵変わり図押絵貼屏風(左隻)

長沢芦雪 絵変わり図押絵貼屏風(右隻)

 18世紀の京都には、近年とくに人気が高まっている伊藤若冲(1716~1800)をはじめ、円山応挙長沢芦雪ら多くの画家が活躍していた。

 応挙は、現在の京都府亀岡市で生まれ、20代には「眼鏡絵」の制作に携わり、その後、狩野派の流れをくむ鶴澤派の画家・石田幽汀(1721〜86)に入門。狩野派の基礎を学んだ後、滋賀県大津市にある円満院門跡の祐常門主の支援を得て、「写生」を重視した絵画に取り組み人気を得た。さらに「写生」を基本としながらも、現実には存在しない龍などの生き物や、実際には目にしていない中国の風景や人物などを描くことに挑戦した。

 いっぽう、応挙の弟子である芦雪は、淀藩士の息子として、現在の京都市伏見区淀に生まれたとされている。初めは「于しゅう」の名で絵を描いていたが、応挙に弟子入りし、27歳までには「芦雪」という署名を使っていたことがわかっている。その後、師とは異なる独自の作風を追求。本物よりも大きく虎を描いた《虎図襖》(和歌山・無量寺)や、3センチ四方の極小サイズの紙に多数の羅漢を描いた《五百羅漢図》など、ユニークな作品を数多く残した。

 本展では、応挙と長沢の画風の変化や同じ題材を描いた作品を比較して展示。応挙と芦雪の画風の違いを通して、ふたりの画家の魅力に迫る。