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長沢芦雪

Rosetsu Nagasawa

 長沢芦雪は江戸時代後期に活躍した円山派の絵師。1754(宝暦4)年、丹波国篠山藩(現・兵庫県)の武士の家に生まれる。入門時期は定かでないが円山応挙の弟子となり、20代半ば頃には師風を忠実に受け継いだ作品を制作している。いっぽうで、筆を用いず指や爪で描く指頭画などの作例もあり、応挙様式の模倣だけに終わらず、早い時期から独自の作風を模索していたこともわかる。一門の中で頭角を現すとともに、禅宗の僧侶や地方の豪商らとの交流を広げ、当時の著名人の名鑑である『平安人物志』の天明2(1782)年版の画家の部に登場している。

 86(天明6)年、師の代理で紀伊半島の南端、紀州(現・和歌山県)串本まで赴き、代表作の《虎図襖》を手がける。画面をはみ出しそうなほどのダイナミックな構図や、意図的に崩したフォルム、どこかユーモラスで愛嬌のある動物や人物の描写など、この頃から、応挙とは異なる芦雪の独自性が顕著に表れる。この南紀滞在の折、紀伊半島に点在するほかの寺院にも芦雪は作品を残した。天明の大火(88年)の後、一時期奈良に滞在し、帰京後、応挙一門として寛政の御所造営に参加。次第に応挙様式を離れ、独自の画風の確立とともに作風のバリエーションも広げ、寛政後期の約5年間は、とりわけ精力的な制作活動を展開した。99(寛政11)年没。伊藤若冲、曾我蕭白とともに、現代では「奇想の画家」のひとりに挙げられている。