EXHIBITIONS
中西夏之 キアスムⅡ
東京・恵比寿のスクールデレック芸術社会学研究所で、中西夏之(1935〜2016)の思考と実践に焦点を当てた展覧会「中西夏之 キアスムⅡ」が2026年1月30日まで開催されている。企画は同研究所所長の飯田高誉が担当した。
中西は、生涯を通じて絵画の「平面」そのものを問い続けた作家として知られる。絵画を「一本の線になることを拒否するもの」ととらえ、視覚の連続性や知覚のあり方をめぐる哲学的思索を制作の中心に据えた。その背景には、数学者ゲオルク・カントールの連続体論、ゼノンのパラドクス、モーリス・メルロ=ポンティによる「キアスム(交叉)」の概念など、近代思想への広範な関心が通底している。
本展は、こうした中西の追究を踏まえ、「点と線」「平面」「身体性」といった絵画概念を再検証する試みである。初期作《人間の地図》(1958–59)に見られるように、中西は人を「線」で描こうと試みながら、線が破線、点線、点へと解体されていくプロセスに着目した。点が拡散し、かたちの内外や左右の境界が溶け合う瞬間──彼はその経験が、絵画の本質に触れる契機であったと述べている。こうした「点と線」の再考は、後年の「韻」シリーズや「弓形が触れて」などにも一貫して受け継がれている。
飯田は展示構成にあたり、中西の平面概念を「薄い膜」「空隙」といった独自の語彙とともに解釈する。量子論の“真空”が無と有のあいだで揺らぐように、中西の作品は高密度のイメージと空白を往来しながら緊張をはらみ、アトリエでは作品同士が相互に呼応し合い、磁場のような位相空間を形成していたという。
本展では、その「アトリエにおける発生状態」を会場で再現することが意図されている。スクールデレック芸術社会学研究所は、従来のホワイトキューブとは異なる「作家の実験現場」としての空間性を重視しており、作品を個別に区切って展示するのではなく、相互作用を生む配置によって、全体としてひとつの位相を立ち上げる構成を採用した。中西の思考を現代に接続し、絵画とは何か、見るとはどういう行為かという根源的な問いを投げかける展示となっている。
中西は、生涯を通じて絵画の「平面」そのものを問い続けた作家として知られる。絵画を「一本の線になることを拒否するもの」ととらえ、視覚の連続性や知覚のあり方をめぐる哲学的思索を制作の中心に据えた。その背景には、数学者ゲオルク・カントールの連続体論、ゼノンのパラドクス、モーリス・メルロ=ポンティによる「キアスム(交叉)」の概念など、近代思想への広範な関心が通底している。
本展は、こうした中西の追究を踏まえ、「点と線」「平面」「身体性」といった絵画概念を再検証する試みである。初期作《人間の地図》(1958–59)に見られるように、中西は人を「線」で描こうと試みながら、線が破線、点線、点へと解体されていくプロセスに着目した。点が拡散し、かたちの内外や左右の境界が溶け合う瞬間──彼はその経験が、絵画の本質に触れる契機であったと述べている。こうした「点と線」の再考は、後年の「韻」シリーズや「弓形が触れて」などにも一貫して受け継がれている。
飯田は展示構成にあたり、中西の平面概念を「薄い膜」「空隙」といった独自の語彙とともに解釈する。量子論の“真空”が無と有のあいだで揺らぐように、中西の作品は高密度のイメージと空白を往来しながら緊張をはらみ、アトリエでは作品同士が相互に呼応し合い、磁場のような位相空間を形成していたという。
本展では、その「アトリエにおける発生状態」を会場で再現することが意図されている。スクールデレック芸術社会学研究所は、従来のホワイトキューブとは異なる「作家の実験現場」としての空間性を重視しており、作品を個別に区切って展示するのではなく、相互作用を生む配置によって、全体としてひとつの位相を立ち上げる構成を採用した。中西の思考を現代に接続し、絵画とは何か、見るとはどういう行為かという根源的な問いを投げかける展示となっている。

