EXHIBITIONS
ひきこもりフェスティバル
渡辺篤「風穴に月」
横浜市役所1階で、渡辺篤による個展「風穴に月」が開催される。
渡辺篤は横浜市出身。東京藝術大学大学院修了後、アーティストを目指している過程で足掛け3年のひきこもりになり、その後、現代美術家として社会復帰。直後から現在まで、多くの作品制作やプロジェクト活動を精力的に行ってきた。近年は国内外の美術館や芸術祭で作品を発表。また、自身の当事者経験を活かし、講演会やメディア出演、執筆などを通じて社会活動家としても活躍している。
今回は、孤独・孤立当事者たちと協働を行う「アイムヒア プロジェクト」名義での作品など、近年の代表作やインタビュー映像などを渡辺の地元でもある横浜市役所に展示される。
以下、渡辺の展覧会ステートメントとなる。
「ひきこもり続けることも終えることもどちらも苦しいというアンビバレントな感情は、当事者経験を持った者でないとわかりづらい感覚かもしれません。ひきこもりだった当時の私は、もうこの社会に戻ることはないと決めつけ、セルフネグレクトのような意識で、積極的に部屋に閉じこもり続けました。あっという間に日々は過ぎ、いつしか本当に、自分の力だけでは状況を変えることができなくなっていました。しかしどこかで、自身の気持ちにとことん向きあってくれる人が現れるのを待っている気持ちもあったのです。連続してしまっていくひきこもりの時間に『風穴』が空くことを求めていました。
私はその後、ひきこもりを終えることとなりましたが、その理由の一つは、相互扶助の必要性に気がついたからです。それは母親の痛みを垣間見たことがきっかけでした。私にとってのひきこもった長い時間とは、言い換えれば、自分の痛みばかりにとらわれてしまっていた時間でもありました。当時私が抱えていた怒りや悲しみは、母親との助けあいを起点とし、その後、多くの当事者と協働する活動に展開していきました。
夜空に昇る月は、ここにいない誰かを想像する象徴といえます。しかし、月は、会えない恋人や家族を思うようなロマンティックなストーリーの媒介にとどまりません。SNSの発展以降、我々はこの社会でそれまで語られづらかった生きづらさやマイノリティの事情があることを、いままさに知っていく時間を過ごしています。あなたが月を見た時に、きっとここにいない誰かも月を見ています。向こう側にはあなたの想像しえないような痛みを抱えている人もいるでしょう。お互いに他者を思いやることこそが、それぞれの日常に小さな風穴が開き、それまでとは異なる考え方や意識が吹き込んでくるのかもしれません」(展覧会ウェブサイトより)。
渡辺篤は横浜市出身。東京藝術大学大学院修了後、アーティストを目指している過程で足掛け3年のひきこもりになり、その後、現代美術家として社会復帰。直後から現在まで、多くの作品制作やプロジェクト活動を精力的に行ってきた。近年は国内外の美術館や芸術祭で作品を発表。また、自身の当事者経験を活かし、講演会やメディア出演、執筆などを通じて社会活動家としても活躍している。
今回は、孤独・孤立当事者たちと協働を行う「アイムヒア プロジェクト」名義での作品など、近年の代表作やインタビュー映像などを渡辺の地元でもある横浜市役所に展示される。
以下、渡辺の展覧会ステートメントとなる。
「ひきこもり続けることも終えることもどちらも苦しいというアンビバレントな感情は、当事者経験を持った者でないとわかりづらい感覚かもしれません。ひきこもりだった当時の私は、もうこの社会に戻ることはないと決めつけ、セルフネグレクトのような意識で、積極的に部屋に閉じこもり続けました。あっという間に日々は過ぎ、いつしか本当に、自分の力だけでは状況を変えることができなくなっていました。しかしどこかで、自身の気持ちにとことん向きあってくれる人が現れるのを待っている気持ちもあったのです。連続してしまっていくひきこもりの時間に『風穴』が空くことを求めていました。
私はその後、ひきこもりを終えることとなりましたが、その理由の一つは、相互扶助の必要性に気がついたからです。それは母親の痛みを垣間見たことがきっかけでした。私にとってのひきこもった長い時間とは、言い換えれば、自分の痛みばかりにとらわれてしまっていた時間でもありました。当時私が抱えていた怒りや悲しみは、母親との助けあいを起点とし、その後、多くの当事者と協働する活動に展開していきました。
夜空に昇る月は、ここにいない誰かを想像する象徴といえます。しかし、月は、会えない恋人や家族を思うようなロマンティックなストーリーの媒介にとどまりません。SNSの発展以降、我々はこの社会でそれまで語られづらかった生きづらさやマイノリティの事情があることを、いままさに知っていく時間を過ごしています。あなたが月を見た時に、きっとここにいない誰かも月を見ています。向こう側にはあなたの想像しえないような痛みを抱えている人もいるでしょう。お互いに他者を思いやることこそが、それぞれの日常に小さな風穴が開き、それまでとは異なる考え方や意識が吹き込んでくるのかもしれません」(展覧会ウェブサイトより)。