EXHIBITIONS
GROUP SHOW:5 ARTISTS
青木豊、桑田卓郎、武田龍、水上愛美、ダン・マッカーシー
KOSAKU KANECHIKAで、青木豊、桑田卓郎、武田龍、水上愛美、ダン・マッカーシーによる展覧会「GROUP SHOW:5 ARTISTS」が開催されている。
青木豊は、絵画の視野を広げ、世界と絵画の関係とその新しい可能性を追究する制作活動を⾏っている。⼆次元と三次元を⾏き来するような作品や、素材の物質性や制作⽅法⾃体の相互反応にフォーカスした作品、とくに⼀貫して光へアプローチしてきた。光が時間軸、鑑賞者の存在や視線、展⽰空間などの環境の要素に補完され、有機的に⽴ち上がるような豊かさをとらえ、またいっぽうで光の存在の⾃明性⾃体を問い直すことなど、光を多⾯的な物質として観察。デジタル化する⽇常環境のなかで、⼈間としての様々な感性が呼び覚まされるような視覚体験を提供する。
桑田卓郎は、陶芸の枠を超える表現を発表し続け、ニューヨーク、ブリュッセル、ロンドンなど各地で展覧会を開催。「梅華皮」「石爆」などの伝統的な陶芸の技術を独創的に表現する桑田の新しい視覚言語は、世界で高い評価を得ている。その核となる伝統表現は桑田がスタジオを構える美濃地方で生まれ、安土桃山時代に茶の湯の文化とともに脈々と継承されてきた"わびさび"や自然、不完全なものに美を見出した日本独自の陶芸美学である。桑田はその表現を現代に置き換え、場所、歴史や自然、時代と対話をし続けることによって、伝統とコンテンポラリーを融合させ、また時には相互に刺激し挑発しあうような作品を生み出している。
武田龍は、偶発的にできたシミや傷から喚起されるイメージを拾いながら絵画を制作。そこには作家が幼少期を過ごした田舎の森での経験や質が、視覚のみならず、聴覚や嗅覚、触覚を通して現れてくるという。また、絵を描く行為をしばしば発掘に例える武田にとって、絵画は言語化することや分類することで失われてしまった無意識の領域をもう一度掘り起こす行為でもある。
水上愛美は、時間的な行為の集積であるオブジェクトとして絵画を制作。古今東⻄の神話や伝承、歴史上の寓話や悲劇から引用したイメージをキャンバス上に出現させては、砂が混ざった顔料で塗りつぶし、そのうえから新たなイメージを描くことを繰り返す。そうした取り組みにより生まれる複層的な絵画は、鑑賞者に静止していると仮定されたイメージを網膜で享受する体験を与えるのではなく、人間の未知の領域に対する時間や、現実と仮想など様々な想像力を喚起させる。
ダン・マッカーシーは、30年以上のキャリアにおいて国際的に作品を発表してきた。ペインティングやドローイングといった平面作品と並行し制作しているのが、マッカーシーのアイコン的な作品である顔のモチーフのセラミックの彫刻作品「Facepot」シリーズだ。その鮮やかな色あい、豊かな表情、親しみやすさ、プリミティブな感覚、作家の手の跡を感じさせる直接性。それらの要素があいまって、視覚的側面にとどまらない、身体あるいは感情に働きかける鑑賞体験を鑑賞者に与える。
本展で、青木は100号サイズの絵画を含む近作3点、桑田は日本初公開作品を2点、武田は近作の絵画4点、水上は新作の絵画を中心に2点、マッカーシーは近作の立体作品をそれぞれ展示している。
青木豊は、絵画の視野を広げ、世界と絵画の関係とその新しい可能性を追究する制作活動を⾏っている。⼆次元と三次元を⾏き来するような作品や、素材の物質性や制作⽅法⾃体の相互反応にフォーカスした作品、とくに⼀貫して光へアプローチしてきた。光が時間軸、鑑賞者の存在や視線、展⽰空間などの環境の要素に補完され、有機的に⽴ち上がるような豊かさをとらえ、またいっぽうで光の存在の⾃明性⾃体を問い直すことなど、光を多⾯的な物質として観察。デジタル化する⽇常環境のなかで、⼈間としての様々な感性が呼び覚まされるような視覚体験を提供する。
桑田卓郎は、陶芸の枠を超える表現を発表し続け、ニューヨーク、ブリュッセル、ロンドンなど各地で展覧会を開催。「梅華皮」「石爆」などの伝統的な陶芸の技術を独創的に表現する桑田の新しい視覚言語は、世界で高い評価を得ている。その核となる伝統表現は桑田がスタジオを構える美濃地方で生まれ、安土桃山時代に茶の湯の文化とともに脈々と継承されてきた"わびさび"や自然、不完全なものに美を見出した日本独自の陶芸美学である。桑田はその表現を現代に置き換え、場所、歴史や自然、時代と対話をし続けることによって、伝統とコンテンポラリーを融合させ、また時には相互に刺激し挑発しあうような作品を生み出している。
武田龍は、偶発的にできたシミや傷から喚起されるイメージを拾いながら絵画を制作。そこには作家が幼少期を過ごした田舎の森での経験や質が、視覚のみならず、聴覚や嗅覚、触覚を通して現れてくるという。また、絵を描く行為をしばしば発掘に例える武田にとって、絵画は言語化することや分類することで失われてしまった無意識の領域をもう一度掘り起こす行為でもある。
水上愛美は、時間的な行為の集積であるオブジェクトとして絵画を制作。古今東⻄の神話や伝承、歴史上の寓話や悲劇から引用したイメージをキャンバス上に出現させては、砂が混ざった顔料で塗りつぶし、そのうえから新たなイメージを描くことを繰り返す。そうした取り組みにより生まれる複層的な絵画は、鑑賞者に静止していると仮定されたイメージを網膜で享受する体験を与えるのではなく、人間の未知の領域に対する時間や、現実と仮想など様々な想像力を喚起させる。
ダン・マッカーシーは、30年以上のキャリアにおいて国際的に作品を発表してきた。ペインティングやドローイングといった平面作品と並行し制作しているのが、マッカーシーのアイコン的な作品である顔のモチーフのセラミックの彫刻作品「Facepot」シリーズだ。その鮮やかな色あい、豊かな表情、親しみやすさ、プリミティブな感覚、作家の手の跡を感じさせる直接性。それらの要素があいまって、視覚的側面にとどまらない、身体あるいは感情に働きかける鑑賞体験を鑑賞者に与える。
本展で、青木は100号サイズの絵画を含む近作3点、桑田は日本初公開作品を2点、武田は近作の絵画4点、水上は新作の絵画を中心に2点、マッカーシーは近作の立体作品をそれぞれ展示している。