EXHIBITIONS
ケからZ ー能楽、風景、観光ー
Rest in our ordinary everyday life – Perspectives on Nohgaku and Tourism –
カフェ・なかなかの、梅若能楽学院会館で、「ハレ→ケ」への移行をおこなう展覧会「ケからZ ー能楽、風景、観光ー Rest in our ordinary everyday life –Perspectives on Nohgaku and Tourism–」が開催される。
相反するのものでありながら、ふたつでひとつの世界 / 時間をあらわし、明確に区分がなされてきた「ハレ」と「ケ」。従来その棲み分けを行うことで神聖で非日常の世界と日常とを行き来し「ケガレ(気枯れ=日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇すること)」を回復、生きるためエネルギーを循環していたといわれている。
しかし現代の日本、とくに都市・東京においては、資本主義経済のメカニズムによって「ハレ」の場が、観光やエンタメ等などのように日々大量につくり出され消費されるようになった。その結果、ハレとケの区別は曖昧になり、「ケ」の状態に止まることは少なくなっている。
そして「ハレ」の舞台である能楽を見ているとき、若干うとうとしている状態は必ずしも否定することではない。俗説では「夢うつつ」といって寝たり起きたりを繰り返すことによるトランス状態であるともいわれている。また、能楽ではある条件が揃うことで人間ならざる存在に出会い、異界への旅に「迷い込む(うつつの状態に陥る)」ことで物語が進んでいく。
そこで本展では「ハレ」が続いているという状態ともいえる今日、「うつつとしてのZ」にフォーカスし、能楽の空間や物語の構造を「ケ」に転用し近隣を巡り観光をすることで、都市空間における「ハレ→ケ」への移行(トランスポート)を行う。そしてコラボレーターとともに、この都市・東京における「休憩」や「ケア」という日常に潜んでしまった「ケ」の観測と都市空間の編集を実践する。
相反するのものでありながら、ふたつでひとつの世界 / 時間をあらわし、明確に区分がなされてきた「ハレ」と「ケ」。従来その棲み分けを行うことで神聖で非日常の世界と日常とを行き来し「ケガレ(気枯れ=日常生活を営むためのケのエネルギーが枯渇すること)」を回復、生きるためエネルギーを循環していたといわれている。
しかし現代の日本、とくに都市・東京においては、資本主義経済のメカニズムによって「ハレ」の場が、観光やエンタメ等などのように日々大量につくり出され消費されるようになった。その結果、ハレとケの区別は曖昧になり、「ケ」の状態に止まることは少なくなっている。
そして「ハレ」の舞台である能楽を見ているとき、若干うとうとしている状態は必ずしも否定することではない。俗説では「夢うつつ」といって寝たり起きたりを繰り返すことによるトランス状態であるともいわれている。また、能楽ではある条件が揃うことで人間ならざる存在に出会い、異界への旅に「迷い込む(うつつの状態に陥る)」ことで物語が進んでいく。
そこで本展では「ハレ」が続いているという状態ともいえる今日、「うつつとしてのZ」にフォーカスし、能楽の空間や物語の構造を「ケ」に転用し近隣を巡り観光をすることで、都市空間における「ハレ→ケ」への移行(トランスポート)を行う。そしてコラボレーターとともに、この都市・東京における「休憩」や「ケア」という日常に潜んでしまった「ケ」の観測と都市空間の編集を実践する。