EXHIBITIONS

金川晋吾 展|祈り/長崎

2024.05.11 - 06.02

祈り/長崎、セルフポートレート 2022 インクジェットプリント 29.4 × 36.7 cm © Shingo Kanagawa, courtesy of MEM, Tokyo

 MEMで「金川晋吾 展|祈り/長崎」が開催されている。

 本展で展示される長崎の写真は、平和祈念像を中心とした平和公園に関連するもの、現地を歩くと頻繁に目にすることになるマリア像やキリスト像、自宅にある祭壇を前にしたカトリック信徒など、何らかのかたちでキリスト教信仰に関わっている人たちや、関連の建物、場所を撮影したものである。その合間に金川自身のポートレイトも挟み込まれている。

 金川は2014年に東京の新大久保にあるルーテル教会で洗礼を受けている。次のように金川は語る。「神を信じるということは、信じるか信じないかのどちらかにはっきりと切り分けられるようなことではない。信じるということは、信じようとすることや信じたいと思うことであって、それはつまり信じるということのなかには、信じられないということも含まれている」。

 金川は信じられなさを抱えたままに洗礼を受けようと思ったのだが、それは「祈りというのは自分にとっていいものだと思ったから」だった。「祈ることは、語りかける相手である神の存在がまずありきなのではなくて、語りかけるという行為がまずありきなのだと思った。語りかけるという行為によって、その行為の対象が存在するようになるというと言いすぎだが、その存在のリアリティが増していくのである」。

 金川は、2015年に彫刻家で評論家の小田原のどかの依頼をきっかけに長崎を訪れ撮影するようになった。小田原は東京藝術大学の大学院で金川と同級生であり、長崎の原爆関連の彫刻の歴史的経緯について調査し論考を発表している。金川は撮影を開始した当初は自身の信仰の問題から、長崎のキリスト教文化の表象におもにレンズを向けていたが、やがて祈りの像としての平和祈念像にも関心を向けるようになる。その成立の歴史的経緯に批判的な目を向けながらも、巨大で過剰な肉体がもつ空虚さや、特定の宗教に依拠することを回避しようとしたが故の異種混交性などに惹かれる金川は「個人的には平和祈念像のことが好きだ」と語る。そして、そこに自身も含んだ男性性の問題を見る。

 本展は、「祈りの長崎」として語られることの多い長崎を、金川自身の身体と信仰を媒介にすることによって写真で新たに表象しようとする試みとなる。