EXHIBITIONS
POPPETRY 壺と人
今年4月、六本木にオープンしたクマ財団ギャラリーで、副島しのぶ、MOYAN、吉野俊太郎による企画展「POPPETRY 壺と人」が開催される。本展は、次世代を担うクリエイターの育成に取り組む公益財団法人クマ財団が主催。
副島しのぶ、MOYAN、吉野俊太郎は、人形をモチーフに表現する若手クリエイター。「つねに人の形代として用いられながら、壺に喩えられる表面性と空洞性、あるいはそれゆえの度量の広さを併せ持つ存在」と、自身らの扱うモチーフをそうとらえた3名によって本展は、「Puppetry(操り人形、見せかけ)」と「Pottery(壺)」とのかばん語「POPPETERY」と名付けられた。
本展では古今東西で人間の営為のなかに寄り添ってきた「人形」というモチーフに着目し、表現媒体を違えながらも共通したテーマを抱える3人の作品を紹介する。
あらゆる境界のあわいに目を向けようとする副島の作品には、自作の人形が多く登場する。ストップモーションによって生命を与えられた人物や動物たちは映像内で、時に互いの生に安堵し、あるいは死を悼み、感情すらもその行為のなかに表している。その姿は明らかなつくり物でありながら、しかし見る者の日常にオーバーラップし続け、そしてそうした人間の日常では到底観察し得ない距離と速度で、死や影を直接的に開陳し、私たちに訴えかける。
MOYANは近年、セカンドハンドの人形を蒐集している。それらをモチーフとした絵画では、ボロボロになった人形たちのありのままの姿が架空のシナリオを伴いながら描かれている。ビビッドで一見明るい空間のなかに配置されながらも中古特有の不気味な空気感を帯びた人形たちは、新品のそれらに見られるようなピュアな製品的な表情をすでに脱しており、その様子はまるで社会に生きる私たちの人間模様と精神状態を客演しているように感じられる。
いっぽう彫刻を専門領域とする吉野は、近年の活動のなかに度々、自作のぬいぐるみを配置している。ぬいぐるみの弱く柔らかい布と綿の表皮は、伝統的に彫像で用いられた硬質な表面と比べると壊れやすく寿命も短いが、その分人体に近い距離での人間の姿を思い起こさせる。そこには彫像が従来伴うような永久不変のイデオロギーなどは存在しておらず、硬さと柔らかさの接点での関係性のみが冷静に描かれている。
本展覧会では、表現媒体を違えながらも共通したテーマを複数抱える3名の作家の活動を、人形というモチーフから紹介する。
副島しのぶ、MOYAN、吉野俊太郎は、人形をモチーフに表現する若手クリエイター。「つねに人の形代として用いられながら、壺に喩えられる表面性と空洞性、あるいはそれゆえの度量の広さを併せ持つ存在」と、自身らの扱うモチーフをそうとらえた3名によって本展は、「Puppetry(操り人形、見せかけ)」と「Pottery(壺)」とのかばん語「POPPETERY」と名付けられた。
本展では古今東西で人間の営為のなかに寄り添ってきた「人形」というモチーフに着目し、表現媒体を違えながらも共通したテーマを抱える3人の作品を紹介する。
あらゆる境界のあわいに目を向けようとする副島の作品には、自作の人形が多く登場する。ストップモーションによって生命を与えられた人物や動物たちは映像内で、時に互いの生に安堵し、あるいは死を悼み、感情すらもその行為のなかに表している。その姿は明らかなつくり物でありながら、しかし見る者の日常にオーバーラップし続け、そしてそうした人間の日常では到底観察し得ない距離と速度で、死や影を直接的に開陳し、私たちに訴えかける。
MOYANは近年、セカンドハンドの人形を蒐集している。それらをモチーフとした絵画では、ボロボロになった人形たちのありのままの姿が架空のシナリオを伴いながら描かれている。ビビッドで一見明るい空間のなかに配置されながらも中古特有の不気味な空気感を帯びた人形たちは、新品のそれらに見られるようなピュアな製品的な表情をすでに脱しており、その様子はまるで社会に生きる私たちの人間模様と精神状態を客演しているように感じられる。
いっぽう彫刻を専門領域とする吉野は、近年の活動のなかに度々、自作のぬいぐるみを配置している。ぬいぐるみの弱く柔らかい布と綿の表皮は、伝統的に彫像で用いられた硬質な表面と比べると壊れやすく寿命も短いが、その分人体に近い距離での人間の姿を思い起こさせる。そこには彫像が従来伴うような永久不変のイデオロギーなどは存在しておらず、硬さと柔らかさの接点での関係性のみが冷静に描かれている。
本展覧会では、表現媒体を違えながらも共通したテーマを複数抱える3名の作家の活動を、人形というモチーフから紹介する。