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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー

Joseph Mallord William Turner

 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーは1775年イギリス・ロンドン生まれ。イギリスを代表する風景画家。独学で絵画を学び、11歳のときには歴史的建造物を描写した風景版画の色つけの仕事でいくらか給金を稼ぐ。89年、風景画家トマス・モールトンに師事。初めて素描の基礎を学び、同年にロイヤル・アカデミーに入学する。その傍ら、医師で画家のトマス・モンローの画塾に通い、ジョン・ロバート・カズンズやエドワード・デイズら、先人の水彩画家の作品を模写する。当時のイギリス社会では、中流階級の人々も美術をたしなむようになり、手頃な水彩画はこうした新興コレクターに好まれ、その地位向上を図る動きも見られた。ターナーは水彩画で高い評価を得るにとどまらず、オールドマスターを研究して油彩作品にも取り組み、ロイヤル・アカデミーの年次展覧会で《海上の漁師たち》(1796)、《疾風のなかのオランダの船》(1801)を発表。水彩、油彩画の両方で認められ、1802年に史上最年少でロイヤル・アカデミーの正会員となる。不規則性に美を見出したピクチャレスク、自然の脅威を描き出すサブライムの流行に乗って次々と風景画の依頼を受け、自身のギャラリーを構えるほどの活躍を見せる。また、フランス革命で国内にもたらされたクロード・ロランの理想風景の研究を進め、ロランの『真実の書』に倣って、07年より素描を記録した版画集『研鑚の書』を出版する。

 15年にナポレオン戦争が終結し、19年に初めてイタリアを旅行。とりわけヴェネチアを気に入り、何度も足を運んで画業の重要な主題とする。そのほかフランスやドイツなどにも訪れ、ナポレオン戦争の痕跡を描いた歴史風景画も手がける。ヨーロッパ旅行を経て視野を広げると、たんなる再現ではなく、風景画に自身の思索を投影する前衛的な制作を展開。色彩によって光や大気を表現した抽象的な画風に対する批判は多かったものの、ジョン・ラスキンが『近代画家論』(1843〜60)で賞讃し、のちの印象派に影響を与える。代表作に、《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号、1838年》(1839)、《雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道》(1844)、《ノラム城、日の出》(1845)などがあり、あらゆる風景を描いた。51年没。