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画家の王者、ここにあり!
ティツィアーノとヴェネツィア派展
内覧会レポート

東京都美術館(東京・上野)では、1月21日より「日伊国交樹立150周年記念 ティツィアーノとヴェネツィア派展」が開催されている。明るい色彩を特徴とするヴェネツィア派の最大の巨匠、ティツィアーノの作品7点(うち2点は工房作)を含む絵画作品51点と、関連資料ならびに版画が集結した本展の見どころを紹介する。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ フローラ 1515頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵©Gabinetto Fotografico del Polo Museale Regionali della Toscana

 同時代に生きた画家たちから19世紀の印象派に至るまで、ヨーロッパの美術に多大な影響を与え続けた、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488/90~1576)。90年近い生涯のなかで、彼が生きたヴェネツィア共和国内はもちろん、イタリア諸国の君主やローマ教皇、さらには神聖ローマ皇帝と、当時のヨーロッパの重要人物たちを相手に活躍した、まさに「画家の王者」と呼ぶべき存在である。

ジョヴァンニ・ベッリーニと初期ヴェネツィア派

 本展は、年代順に区切られた3章構成となっている。第1章では、ティツィアーノを生んだ当時のヴェネツィア共和国、そして師であったジョヴァンニ・ベッリーニ(1435頃~1516)や周辺の画家たちが紹介される。

 ヴェネツィア・ルネサンスの幕開けにあたる1460年頃のヴェネツィアでは、ヴィヴァリーニ一族とベッリーニ一族という2つの工房が競い合っていた。前者が金で装飾された伝統的な形式の聖母子を得意としていたのに対し、後者、特にジョヴァンニ・ベッリーニは、明暗法や写実的な人体描写といった新しい表現を積極的に吸収して独自の画風をつくり上げ、ヴェネツィア画壇を牽引する存在となっていった。

ジョヴァンニ・ベッリーニ  聖母子(フリッツォーニの聖母) 1470 頃 ヴェネツィア、コッレール美術館蔵
© 2016. Photo Archive -Fondazione Musei Civici di Venezia

 ベッリーニが発展させた新しい技法のなかで、特に重要なのは油彩だ。北のフランドル地方で生まれた油彩画法は、1475年頃、ヴェネツィアに滞在していたシチリアの画家、アントネッロ・ダ・メッシーナを通して、同地に伝えられる。気候条件などからフレスコ画が定着しなかったヴェネツィアでは、《聖母子(フリッツォーニの聖母)》(1470年頃)のようなテンペラ画が主流だった。テンペラ画は明るい発色が特徴的だが、乾くのが早いため、ぼかしや重ね塗り、大胆な筆致には向かない。ジョヴァンニ・ベッリーニは、アントネッロとともに、より自由で多彩な表現を可能にする油彩画法を探究し、明るく柔らかな色調で、光や澄みわたる大気、人物の表情を表現する技をつくり上げていった。その成果は弟子たちに受け継がれ、ヴェネツィア派の主流をなしていく。ティツィアーノもそのひとりだった。

ライバル意識から生まれた傑作─ミケランジェロと《ダナエ》

 ヴェネツィア絵画の魅力のひとつは、第2章で紹介される美しい女性像だろう。ボッティチェリらフィレンツェ派の描く女性が、硬い輪郭線の中に閉じ込められ、静謐でやや冷たい美しさをたたえているのに対し、ティツィアーノらの描く女性は有名な《フローラ》(1515年頃)のように、柔らかなバラ色の肌と輝く瞳を持ち、体温や呼吸の気配すら感じさせる。作品の前に立てば、手に持つ花束の香りが漂ってきそうな、いきいきとした女性像だ。

16世紀の画家 レダと白鳥(ミケランジェロに基づく) 1530以降 ロンドン、ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵 出典=ウィキメディアコモンズ ※展覧会には出品されていません

 こういった肖像画風の半身像に加え、16世紀のヴェネツィアで好まれた女性像の系譜には、古代ローマの図像を復活させた「横たわる裸婦」がある。ティツィアーノも有名な《ウルビーノのウェヌス》(1536-38年)など、多くの作例を残している。そのひとつを見て対抗心を燃やしたのが、フィレンツェの三大巨匠のひとり、ミケランジェロだった。

 1529年、フェッラーラ公アルフォンソ・デステの依頼を受け、彼は《レダと白鳥》を制作した。画面全体を占める裸婦は上半身を背後の支えにもたせかけており、足の間には白鳥を抱きかかえている。無防備に裸身を横たえるよりも挑発的ともいえる図像は、「横たわる裸婦」を得意とするティツィアーノへの、ミケランジェロからの挑戦でもあったのだ。

ティツィアーノ・ヴェチェッリオ  ダナエ 1544-46頃 ナポリ、カポディモンテ美術館蔵
© Museo e Real Bosco di Capodimonte per concessione del Ministero dei beni e delle attivita culturali e del turismo

 1541年に友人で弟子のジョルジョ・ヴァザーリが《レダと白鳥》の模写をヴェネツィアに持ち込んだ4年後、ティツィアーノはローマで《ダナエ》(1544-46年頃)を完成させた。教皇・パウルス3世の孫、アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿のために制作されたこの作品は、ミケランジェロからの挑戦に対する、ティツィアーノの答えであった。

 上半身をやや起こし、片方の足を折り曲げたポーズは、ミケランジェロの「レダ」を左右反転したものである。さらにティツィアーノは、得意の彩色で、黄金の雨を見上げるダナエの恍惚とした表情や、温かく柔らかな肌の質感を付加した。また、やや姿勢に無理のあるレダに対し、後ろのクッションに上半身を沈めたダナエは、自然でくつろいで見える。濃厚なエロティシズムをたたえたこの作品は、その7年前に制作された《ウルビーノのウェヌス》をはるかに凌駕するとの評判を得た。

「ミケランジェロの素描とティツィアーノの色彩」。16世紀の美術は、同時代の人々によってこのように言い表されている。《ダナエ》は、素描や線に重きを置くフィレンツェと、色彩に重きを置くヴェネツィア、それぞれを代表する巨匠2人の「絵画による対話」から生まれた。17世紀にはレンブラント、そして20世紀にはクリムトが、この作品をもとにそれぞれの「ダナエ」を描くなど、本作は後世に強い影響を与えた作品のひとつに数えられる。異質なものどうしのぶつかり合いは、しばしば新たな何かを生み出す土壌になるのだ。

三巨匠の競合─ティントレットとヴェロネーゼ

 第3章で紹介される16世紀後半、ヴェネツィアには、新たに2人の画家が台頭してくる。ヤコポ・ティントレット(1519~1594)とパオロ・ヴェロネーゼ(1528~1588)である。

ヤコポ・ティントレット レダと白鳥 1551-55頃 フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
© 2016. Photo Scala, Florence - courtesy of the Ministero Beni e Att. Culturali

 一時期はティツィアーノの工房にいたものの、わずかな期間で追い出されたとされるティントレットの修行時代は、はっきりとわかっていない。その後はほぼ独学でヴェネト地方の先人たちやローマのミケランジェロ、ラファエロなど様々な画家の技法を吸収し、独自の画風をつくり上げていった。その特徴は、荒々しい筆致や激しい明暗対比、短縮法を駆使した実験的で奇抜な構図。劇的で迫力ある画面は当時、賛否両論を呼んだ。

 彼が描いた《レダと白鳥》(1551-55年頃)は、ティツィアーノの《ダナエ》と同じく「横たわる裸婦」の一例とみなすことができる。背後の赤いカーテンと、光沢のある暗緑色の敷布とに挟まれ、乳白色の肢体がくっきりと浮かび上がる。裸婦の身体全体は長く引き伸ばされ、画面の右上から左下へと斜めに切り込むように配置されており、色彩の効果もあいまって、鑑賞者に鮮烈な印象を残す。

パオロ・ヴェロネーゼ  聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ 1562-65 フィレンツェ、ウフィツィ美術館蔵
© 2016. Photo Scala, Florence - courtesy of the Ministero Beni e Att. Culturali

 一方、ティントレットのライバルで、彼とは対照的な個性を持っていたのがヴェロネーゼである。古典的で安定した構図と明暗の対比、華やかな色彩が特徴的な画面には、「調和」という言葉がよく似合う。《聖家族と聖バルバラ、幼い洗礼者聖ヨハネ》(1562-65年頃)でも、幼児イエスを中心に、登場人物たちがバランスよく配置されている。聖母の纏う青と赤、聖女の金色のドレスや、少し橙色がかった袖、そして長く垂らされた金髪など多様な色彩が、それぞれに明るく輝きながらも、優しい調和を見せている。

 ティントレットもヴェロネーゼも、ティツィアーノに学び、その様式をそれぞれのやり方で昇華させていった。2人がヴェネツィア画壇を牽引した16世紀後半は、晩年のティツィアーノが円熟期とは大きく異なる画風で精力的に制作を続けており、3人の巨匠が競い合った時代ともいえる。

 ティツィアーノを「画家の王者」たらしめたものとはなんだったのだろう。そのひとつは、70年近いキャリアのなかで、師や同時代の人々、対立する理念を掲げるライバルなどあらゆる人々から学び、影響を与え合いながら画風を磨きあげていった、その姿勢ではないだろうか。ヨーロッパの名だたる面々を相手に活動し、印象派に至るまで脈々と続く「流れ」をつくり出したティツィアーノ。その様子は、相互につながりながら海へと流れていく、ヴェネツィアの運河網に似ているかもしれない。彼の生んだ名作の数々を、ぜひ自身の目で確かめてほしい。

編集部

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