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エドガー・ドガ

Edgar Degas

 エドガー・ドガは1834年フランス・パリ生まれ。45年、ルイ=ル=グラン中学に入学。銀行員の父に連れられ、美術愛好家のコレクションを見て回る。53年に中学校を卒業し、画家を志すが、父の目を気にしてパリ大学法学部に進む。54年、ドミニク・アングルの弟子ルイ・ラモートに師事。法律の勉強を続けることなく、55年に国立美術学校に入学。同年に敬愛するアングルと出会っており、「線を引く」よう助言を得て、生涯にわたってデッサンを重視する。ローマ賞を受けることなく国立美術学校を退学し、56年よりイタリアを拠点に活動。15〜16世紀の古典絵画に感銘し、模写を行う。59年パリに帰還。イタリア滞在時に知り合ったギュスターヴ・モローの影響を受け、古代アッシリアの場面を幻想的に描いた《バビロンを建設するセミラミス》(1862)など主に歴史画を制作する。65年、《中世の戦争の場面》(1865)でサロンに初入選。この頃、エドゥアール・マネと親交を深め、70年のサロン出品を最後に発表の場を印象派展に移す。

 印象派展のほぼすべてに参加したことから、印象派のひとりとしてくくられるドガだが、戸外制作でスケッチをすることなく、デッサンと古典的な技法に基づいて絵を描いた。また、自然がまとう光ではなく、バレエやオペラ、競馬場、都市の生活に関心を向けたという点でも同派のほかの作家とは一線を画す。「踊り子の画家」とも呼ばれ、バレエの稽古の様子や舞台裏などを題材とした作品を数多く手がける。後年の作品では、浮世絵の影響から大胆な構図を取り入れて臨場感を持たせ、バレリーナの体の一部のみを描くなど、カメラのスナップショットのように瞬間を切り取ることに成功している。晩年は視力が弱まったため、パステル画を中心に彫刻作品の制作にも取り組む。1917年没。代表作に《エトワール》(1876〜77頃)、《アブサンを飲む人》(1875)、《ニューオーリンズの綿花取引所》(1873)がある。