1970年代のニューヨークを中心に活躍したゴードン・マッタ=クラーク(1943〜78)。建築やストリートカルチャー、食など幅広い分野で多くの作品を生み出したこのアーティストの、アジア初となる大回顧展が東京国立近代美術館で開催されている。
マッタ=クラークのアーティストとしての活動期間はわずか約10年。ひ臓癌によって35歳という若さでこの世を去ったマッタ=クラークだが、その足跡は没後40年を経たいまも美術史で燦然と輝いている。
本展は「住まい|流転する空間と記憶」「ストリート|エネルギーの循環と変容」「港|水と陸の際」「市場|自然から文化への変容」「ミュージアム|マッタマッタ=クラークを展示する」の5章構成。マッタ=クラークの活動を彫刻、映像、写真、ドローイング、関連資料など約200点で紹介する。出品作品の多くはゴードン・マッタ=クラーク財団所蔵のもので、5年前より構想が進められきたという。一般的に実際の建築物を切断する「ビルディング・カット」で知られるマッタ=クラーク。美術館個展となる本展ではどのような作品が展示されているのだろうか?
例えば「ミュージアム|マッタ=クラークを展示する」では、ホワイトキューブに対して批判的だったマッタ=クラークが、シカゴ現代美術館からの依頼で新館となる予定の建物を切断した《サーカスまたはカリビアン・オレンジ》(1978)の記録写真に加え、早稲田大学建築学科小林恵吾研究室による再現模型を展示。現存しない巨大プロジェクトの片鱗を知ることができる。本作は、水平方向に直径6mの3つの円、垂直方向に建物側面の対角線を横切る3つの円の合計6つの円によって床と壁が切り取られ、一部が螺旋のように複雑な構造になっている。マッタ=クラークはこの作品以前もビルディング・カットを行っていたが、完成と同時に破壊されたり危険のため立ち入り禁止で鑑賞とはほど遠いものだった。しかし、本作では建生の内部を鑑賞するツアーが行われるなど、一般の人々の鑑賞が可能になったというエピソードがある(なお本作はマッタ=クラークが没する年につくられたものであり、実現した最後の建物の切断でもある)。
また、もっとも大きな展示室で展示されている《スプリッティング:四つの角》(1974)は、74年に民家を切断した際、建築から取り除かれた(その名の通り)4つの「角」をインスタレーションとして展示するもの。展示室の床に置かれたそれぞれの家の角は、本来そこにあった家の下部や構造全体、あるいはそこで営まれていた生活をも想像させる。この《スプリッティング:四つの角》は、ともに展示されている写真も見逃せない。切断された家を写真に収め、さらにそれをコラージュすることで家の構造は見事に脱臼されている。「郊外の家を、人々を孤立した受動的な消費者の立場に閉じ込めるものだと批判していた」(図録P50より)というマッタ=クラークの姿勢が顕著に表れた作品だ。
マッタ=クラークは、短い生涯で上述の「ビルディング・カット」以外にも、街で集めたゴミを石膏で混ぜて固めた《ごみの壁》(1970)や、街中のグラフィティを撮影した写真シリーズ「グラフィティ・フォトグリフス」「グラフィティ・トラック」、そして仲間と始めたレストラン《フード》など、じつに多様なプロジェクトを行っている。これらのプロジェクトを美術館で展示することについて、本展を担当した東京国立近代美術館主任研究員・三輪健仁は「(マッタ=クラーク展を)美術館でやることはチャレンジングです。マッタ=クラークはホワイトキューブではなく都市で活動していたので、そういう作家を美術館で扱うこと、また、本人が亡くなっているので、残された資料展示で彼が都市の中でやろうとしたことを伝えるのは難しい」と語る。
しかし、この課題を解決しているのが、早稲田大学建築学科准教授・小林恵吾による展示デザインだろう。「マッタ=クラークを美術館で展示することは矛盾ではないか、ということから展示を考えた」という小林。「鑑賞者が場に関わり、時間を過ごすことができれば」と構成された会場には、幅10mほどにもおよぶフェンスや、巨大な階段、あるいは半透明のカーテンなどが設置され、多岐に及ぶマッタ=クラークの活動をゆるやかに区切りつつ、つながりをもたらしている。
没後50年の節目にあたる2018年に開催される本展。都市に介入し、人とつながり続けたマッタ=クラークの足跡は、2020年に向けて大きく変動する東京で、アクチュアルに響くだろう。