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art for all「アーティスト報酬ガイドライン」の制定のために。韓国の文化政策から学ぶ

美術のつくり手と担い手によるネットワーク「art for all」。「アーティスト報酬ガイドライン」の制定を目指す同団体が、ガイドラインを考えるために韓国の文化政策を学ぶレクチャーを開催した。その内容をレポートしたい。

文=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

韓国芸術家福祉財団のウェブサイト(http://www.kawf.kr/)より 

 新型コロナウイルス感染拡大の影響を大きく受けていた文化芸術分野において、美術に特化した支援策を求めるため、2020年7月に生まれた美術のつくり手と担い手によるネットワーク「art for all」。美術分野における環境の向上を継続して追求している同団体は、アーティストの労働の実態把握のためのアンケート実施や、美術分野における報酬ガイドラインの策定に向けて動いている。

 この報酬ガイドラインの制定に向けて、その内容を考えるセミナーを開催することとし、その第一弾として文化政策を専門とする北海道教育大学・准教授の閔鎭京(ミン・ジンキョン)をゲストに迎えた韓国の文化政策についてのレクチャーが、2023年3月31日に一般社団法人日本芸能従事者協会の協力のもと行われた。その内容をレポートする。

 閔は韓国・ソウル特別市生まれ。韓国国立オペラ団で演出助手とオペラ制作に携わり、2000年に来日し日本のオペラ制作に関わる。その後、東京藝術大学でアートマネジメントと文化政策の研究を行い、東京藝術大学大学院応用音楽学専攻修了(学術博士)​​。一般社団法人日本芸能従事者協会主催の勉強会における韓国の文化政策についての報告発表が、日本における報酬ガイドライン制定において注目すべき参考意見となった。

芸術家福祉法の制定

芸術家福祉法

 まず、閔は韓国の「芸術家福祉政策」の概要を解説した。韓国は「芸術家が職業人として基本的な生活を維持しながら、創作者として芸術活動に専念できるよう権利と地位を保障し、様々な福祉事業を支援するもの」(大韓民国政策ブリーフィングより)として「芸術家福祉政策」を実施している。

 そもそも、韓国は1948年に制定された大韓民国憲法において「芸術家の権利は、法律で保護する」と明記している。なぜこの時代にこの文言が明記されたのかについて、閔は当時の芸術家の位置づけや芸術家の定義についてまだ研究の余地があるとしているが、韓国では非常に早い段階から憲法に芸術家について語られている事実は注目に値する。

 韓国では2011年に「芸術家福祉法」が制定され、この法律にもとづいた芸術家福祉事業遂行のため、12年に「韓国芸術家福祉財団」が設立され、芸術家の福祉について体系的かつ総合的に支援を行っているという。同財団の23年の予算は約109億円、これは13年の予算と比較し約7倍の増加である。なお、芸術家福祉法については国家法令情報センターのウェブサイトで閲覧できるので、気になる方はチェックしてもらいたい。

韓国国家法令情報センターのウェブサイト(https://www.law.go.kr)より、芸術家福祉法(Google Chromeによる自動翻訳済)

芸術家福祉法制定の背景

 「芸術家福祉法」制定の背景には、03年に起きた彫刻家、グ・ボンジュの死亡事故が深く関わっている。グは展示会準備中に交通事故によって命を落としたが、保険会社は芸術家としての収入証明ができないために日雇労働者の賃金を適用して保証金を計算することになった。この事件を通して、芸術家の法的地位は低く、賃金労働者のカテゴリーから除外されていることが明らかになり、その労働地位の確立が必要であるという声が高まっていった。さらに11年1月には、若手シナリオ作家、チェ・コウンが生活困窮と持病により死亡するという事件も起き、同年11月の法制定に向けた人々の声の高まりにつながったという。

「韓国芸術家福祉財団」の主な事業

 「芸術家福祉法」を遂行する「韓国芸術家福祉財団」の5つの主要事業を閔は紹介した。

芸術活動証明

 まずは「芸術活動証明」。芸術家の職業的地位と権利を法的に保護するために、芸術を業としているかを確認する制度だ。「文学」「美術(一般美術、デザイン・工芸、伝統美術)」「写真」「建築」「音楽(一般音楽、大衆音楽)」「伝統音楽」「舞踊」「演劇」「映画」「演芸(放送、公演)」「マンガ」の11の芸術分野(15小分野)において、創作、実演、技術スタッフ、企画のかたちで活動を行っている人々は誰でも証明を申請することができる。

 証明方法にもいくつかの手段がある。例えば、活動内容で申請する場合は直近3年、直近5年間に公開発表された芸術活動で申請、収入で申請する場合は直近1年、直近3年間の芸術活動収入として申請するなどだ。有効期間は2年間で、満了の6ヶ月前から再申請可能。審議を経て期間を延長することが可能だ。

 具体的にはどういったところでこの証明が役立ったのだろうか。例えば、コロナ禍では韓国の各地域の文化財団がコロナの被害状況を把握して、芸術家に迅速な支援を行った。とくに直接支援が多かったことは特筆され、緊急生計支援として団体や個人に支援金が支払われた。また、簡易的な報告書のみでの領収証等の提出なしの活動費支援やアートスペースの無償提供、プロジェクトを断念した企画や準備への支援など、現場の状況に即した柔軟な対応ができたことも高く評価されている。

 こうした支援を可能にしたのが「芸術活動証明」だ。支援対象が証明完了者というくくりで明確なうえに、各地域の文化財団が審査の手続きを行う手間を省くことができた。また、活動証明が存在することで、コロナ前から各地域での芸術家の活動を把握できていたことも大きい。経済・財政状況を含めた課題も認識していたので、自治体や組織内の理解が得やすかった。

芸術家パス

 「芸術家パス」は、芸術家の文化芸術鑑賞機会を拡大し、自負心を高めるためのものとして発行されているものだ。先に紹介した「芸術活動証明」を完了した芸術家のほか学芸員、文化芸術教育士の資格取得者などが申請できる。このパスを持つ芸術家の特典として、国公立文化施設の入場料あるいは展覧会や公演の鑑賞料金の割引などを受けられるので、経済的な負担を軽減している。

芸術家パスのウェブサイト(https://artpass.kawf.kr:9443/common/main.do)より。利用可能な展覧会が検索できる

創作準備金

 芸術家が外的要因によって活動を中止しないように、所得が低い芸術家が持続的に活動できるよう支援を行うものが「創作準備金」だ。とくに新人の芸術家が文化芸術活動の体系に入ることができるよう、新人のための創作準備のための資金を支援する芸術活動証明を完了した芸術家を対象に、その所得認定額によって支給が決定される。隔年申請が可能で、1年の間を置けば再申請が可能だ。

 この制度でもっとも特筆すべき点は、支援を受けた後に求められる提出物が活動報告書のみということだ。会計報告等も求められず、必ずしも展覧会等の結果を残さなくてもよく、本を買う、講習を受けるといったことでも活動として認められる。これは、準備金の趣旨が創作物の質を高めるためのものではなく、「芸術家が外的要因によって活動を中止しない」というところに置かれているからだ。

 なお、所得基準を満たす申請者が募集人員を超過した場合は、所得の大小、初申請者、コロナの被害者などを加味した点数制によって判断されるという。

芸術家の権利保障事業

 芸術家の権利を保障するための様々な権利保証事業も用意されている。例えば「芸術家オンブズマン」は、芸術家が被った不正行為に対して、法律相談や訴訟などを通じた民事/刑事的な救済を求める場合にワンストップで支援が行われる。

  「書面契約違反の届出・相談」では、文化芸術活動における書面契約の違反に対しての措置を行ったり、書面契約を活性化させるための電子契約締結サービスの提供を実施。ほかにも「芸術家権益保護教育」として著作権保護や契約についての特別講義を行ったり、「芸術家心理相談」として創作活動中の心理的なストレスの解消のための専門家による相談窓口を用意するという。

芸術家労災保険支援

 2012年11月には芸術家を中小企業事業主とみなす特例規定が新設されている。これにより、芸術家も労災保険に加入することができるようになった。

 この改正理由としては、その多くが請負契約である芸術家が活動中に災害に遭っても労災補償が適用されないという問題がある。この改正によって労災保険が芸術家のセーフティネットの拡充につながった。

 しかしながら、これは労災保険法第124条(中小企業事業主などに対する特例)で芸術家本人が選択して任意に加入する方式であり、保険料は100パーセント本人が負担しなければならず、加入への障壁はまだまだ大きいという。このため、韓国芸術家福祉財団では芸術家のために労災保険の事務代行および保険料支援(納付した保険料の5〜9割を払い戻し)を行っているというが、いまだに個人の芸術家の加入率は低い。こうした状況を鑑みて、芸術家の負担率を5割に引き下げることも検討されているという。

韓国芸術家福祉財団のウェブサイト(http://www.kawf.kr/)が用意している、契約期間が一ヶ月未満の短期契約アーティストのための保険料計算機

芸術家雇用保険

 「芸術家雇用保険」は2020年12月に導入された制度で、芸術家に失業給付や出産前後手当金を支給する制度となる。検討が始まったのは2013年のパク・クネ政権のときで、「芸術家創作セーフティネット構築と支援強化」が国政課題として挙げ、雇用労働部と文化体育観光部の「協業課題」として芸術家雇用保険導入について検討が始まった。14年からは協議会がつくられ、芸術家の雇用保険のための議論が行われたが、パク政権での実現は叶わなかった。しかし17年にムン・ジェイン政権も「創作環境の改善と福祉強化により芸術の創作権を保障」とした国政課題を掲げ、芸術家の雇用保険の導入に向けての動きを推進し、20年の実現にいたることになった。

 「芸術家雇用保険」の詳細を見ていきたい。対象は被用者ではなく「芸術家福祉法第2条第2号に基づく芸術家」のうち、「文化芸術役務関連契約を締結した人」で、かつ「自分が直接労務を提供する人」である。また「文化芸術役務関連契約」締結時、月平均所得(契約金/契約日数×30)が50万ウォン以上の場合が義務加入の対象になっており、芸術家と事業主それぞれ0.8パーセントを負担する。

 芸術家雇用保険の特徴は、①強制加入制度で、文化芸術役務契約を締結する際に、契約期間(労務提供期間)と契約金額(報酬)にもとづいて加入するものである。また、②二重取得が可能で、例えば、勤労者雇用保険と芸術家雇用保険、労務提供者(特殊形態勤労従事者)雇用保険と芸術家雇用保険等、他の雇用保険と同時に加入することができる。文化芸術役務とは、文化芸術の成果物の完成のために、芸術家が対価を受け取って一定期間に提供する創作・実演・技術支援等の労務を指す。しかし「創作·実演·技術支援等」に含まれない「文化芸術教育関連の労務提供」「無償の労務提供」「労務提供期間が未定」などの役務は文化芸術役務の範囲から除外される。

 2023年の時点では17万人以上が加入しており、失業手当は基礎日額の60パーセント水準が支給され、支給期間は加入期間や年齢に応じて120~270日間となっている。また、出産前後手当として、出産した女性に出産前後の1年間、月報酬平均の100パーセント水準を支給する。

芸術家雇用保険のウェブサイト(http://kawf.kr/allMenu/artMain.do)より。質問フォームや申請方法のレクチャーなど、申請のためのわかりやすいコンテンツが整備されている。

 こうした芸術家の雇用保険制度の実現に向けた動きを下支えしていたのが、2018年にムン政権が発表した「人がいる文化 文化ビジョン2030」だ。このなかには「文化人・芸術家、文化芸術従事者の地位と権利の保障」が明記されている。こうした政権が明確に芸術家支援と保護のビジョンを打ち出したことは重要なことだと言える。

今後に向けて

 このように、日本と比べて非常に細やかな芸術家への福祉政策が行われている韓国であるが、さらなる課題もあると閔は指摘する。例えば「芸術家福祉法」は経済的支援が中心となっており、福祉支援が創作活性化に具体的にどのように寄与しているのかが不明瞭だ。今後は所得・健康・住居等の狭義の福祉を超えた、地位や権利の保護、教育・訓練支援などに拡張する必要があるという。

 芸術家福祉政策は芸術家の生態系に対して理解を深め、それに適する政策を打ち出すことが重要であるとともに、芸術家の職業的地位の向上を図っていなかなければならない。そのためには芸術関連以外の様々な機関や部署、自治体などを横断して連携する環境の構築が必要だという。

ディスカッション

 閔によるレクチャーを受けて、参加者からの質問等のディスカッションが行われた。本レクチャーのモデレーターも務めたアーティスト・藤井光は「日本にはないものがこれほどあるのか」という改めての驚きを口にした。日本には制度がないなかでアーティストが芸術活動をやっていることを強く感じたという。

 韓国はなぜここまでの芸術家に対する細やかな福祉政策を実現できたのか。閔はそこには反省もあると前置きしつつ、芸術家が実害を被った例が報道されるなど「芸術家=貧しい」という図式が広く伝わり、それに対しての同情を得られたという側面を指摘する。いっぽうで、今後は芸術家の社会的価値を社会に理解してもらえるように動くことが課題になっているとも述べた。

 アーティスト・村上華子は、日本においてはart for allが実施したアンケートによって多くのアーティストが貧困状態であるということが明らかになった段階だと指摘。政治の世界にアーティストの声を届けるためのアクションが日本では始まったばかりであることに対して、韓国ではなぜ政治家がアーティストのための政策を提示する段階であるのか、と質問をした。

 これについて閔は、当事者たちが自分たちの目の前のある小さな問題一つひとつに声を上げ、それぞれを事業として成立させていったことが大きいと語る。長期的なビジョンがあったというよりも、目の前の課題を解決していった結果だという。加えて、韓国は長く軍事政権を経ていたためか、現政権内にリベラルな思想を持つ政治家がいることも大きいという。日本と同様に、芸術家が政治家に意見を述べられるという状況があるわけではないのだが、切り札として社会保障制度の不備による芸術家の経済的困窮を前面に出すことで、政治家が無視することできない案件としたという。しかし今後は、芸術家の保護を貧困対策といった側面のみで行うのではなく、同時に社会における芸術の役割の重要性を理解してもらうことが大切だ、と閔は述べた。

 最後に、閔は日本の芸術家福祉政策のために必要なことを次のように語った。「政府や自治体はいま、人々が何に悩んでいるのか、何に苦しんでいるのかに目を向けるべきではないでしょうか。とくに芸術家の価値について対話をする機会を増やしていくべきです」。

おわりに

 日本芸能従事者協会メンバーでありart for allのメンバーでもある藤井は、今回のレクチャーの感想として、韓国の文化政策を「人のいる文化を目指すもの」だと評した。そして、「人がいない文化が実現されてしまっているのが日本の文化の状況なのではないか。カルチャーワーカーの権利が顧みられていない。報酬、契約、働き方等のディティールの中に歴史的、文化的、構造的な『人のいない文化』をつくり出そうとしてしまう兆候があるのではないだろうか」と語った。

 「人のいる文化」とはなんだろうか。少なくとも、韓国の芸術家福祉政策を見るに、そこには長期的なビジョンがなくとも「いま、困窮している人を政治として救わなければいけない」という意識が存在しているように感じられる。art for allが実施したアンケートからもわかるとおり、すでに困窮の実態はわかっている。そのうえで政策はどのようにあるべきなのかを考えるべき段階にきている。

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