いっぽう、1953年に磐田市で生まれた山田清春さんは、小さい頃から天体に興味を抱き、手先が器用だったため、望遠鏡などを自作し、夜空を眺めることが好きな少年だった。高校卒業後は、父親の勧めで、20歳から左官業に従事。浜松市内で住み込みとして5年間修行したあと、27歳から磐田市で独立し、いまも現役の左官職人として働いている。妻である1歳年下の真知子さんとは、友だちの紹介で知り合って、21歳のときに結婚し2人の子供を授かった。
「外出するときはいつも一緒」という夫妻が、あるとき、趣味の骨董品を眺めに店を訪れた際、3センチほど織られた状態で販売されている中古の卓上裂き織り機に目を奪われた。「やってみたい」とその場で購入した真知子さんは、その日から裂き織りに熱中するようになった。

当初は、マフラーやコースターなどをつくっていたが、「卓上だけでは面白いものはできない」と知人から大型の織り機を安価で譲ってもらった。その織り機を使って、画面を4分割し、それぞれに富士山の春夏秋冬を表現した横幅50センチほどの作品を織ったところ、「これは面白い。もっと多くの人に観てもらったら」と知人から声をかけられた。それを新聞記事で見つけた静岡県立美術館の静岡裂織公募展に応募したところ、入選し、これまでの裂き織りにはない、その自由な表現が賞賛されたという。同時に、真知子さんは他の人たちがつくった大型の展示作品に圧倒された。「このサイズでは小さいということが身に染みてわかりました。恥ずかしくって、すぐに退散したくらいですから」と語る。もっと大規模な創作表現を求めて思案していたところ、夫の清春さんが大型の織り機を自作してくれた。そこから、清春さんも裂き織りへ没頭するようになり、夫婦で共に2台の織り機を並べて、一緒に裂き織りのタペストリーをつくり続けている。互いに飽きることがないように、織る場所を絶えず交換しているというから、そのエピソードだけでも夫婦の仲の良さが伝わってくる。
