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櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」:何かが始まる予感【3/3ページ】

 歩くんが「おわり」を描くという創作行為も、そうしたこだわりの一部なのだろう。一番興味を引くのが、最近では「おさるのジョージ」など好きな番組の「おわり」も描くようになったようだが、どんなに好きな番組でも「アンパンマン」など「おわり」のロゴが表示されない番組は決して描くことはないということだ。「ただ、『ぜんまいざむらい』だけは襖が閉まって終了だから、その場面をよく描いています」と加奈さんは笑う。

「おわり」を描いた作品の数々
『ぜんまいざむらい』を見る小林歩さん

 障害のある人たちのなかでも、自閉症スペクトラムの人に、こうしたこだわり行動は多く見られる。でも、こだわりは決して特殊なことではない。僕たちだって、お風呂で体を洗う順番を決めていたり、いつも同じ道を通ったりと、いくつも大小様々なこだわりを持っているはずだ。そう、こだわりは決して障害のある人だけに存在するものではない。むしろ、同じルーティンで過ごすことは、誰しも心の安定に繋がっていることだろう。とくに障害のある人たちにとって、変化の激しい世界の中で、自分をつなぎ止めておく手段こそが、こうしたこだわり行為なのだ。人間という存在は、毎日気分がコロコロと変わり、顔では笑っていても心は怒っていることさえあるだろう。そんな不安定な存在に比べ、よっぽどのことがない限りテレビは同じ時刻に始まるし、録画しておけば毎回同じ場面が目の前で再生される。この原稿だって、下にスクロールし続けても永遠に終わらなければ、ほとんどの読者は読むのをやめてしまうだろう。同様に、テレビ番組の「おわり」は歩くんにとって、物事の区切りであり、安心材料でもあるのだ。何かがいつ始まっていつ終わるという見通しが持てることで、人は安心する。未来予測をすることが難しい自閉症スペクトラムの人にとっては、こうした安心材料を見つけることこそが、不安定な世の中をサヴァイブしていくための手段なのだろう。

 「おわり」があることということは、新しい何かが始まることでもある。これまで描いてきた作品は、初めて応募した全国公募展で入選し、多くの人の目に触れることになった。作品が高い評価を受けることは、彼にどんな変化をもたらすのだろうか。きっと、彼の日常のルーティンは変わないだろうし、今日も朝6時までは布団の中で目を瞑って待機しているんだろう。でも、そんな日常の中で、彼を見る周囲の目が少しでもポジティブに変わってくれることを僕は望んでいる。そうなったとき、歩くんは、その些細な変化に気づいてくれるだろうか。そんなことを妄想しながら、僕はこの原稿を書いている。

「おわり」を描いた作品の数々

編集部

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