櫛野展正連載「アウトサイドの隣人たち」: 天翔る龍の如く

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第73回は、巨大な松ぼっくりを加工して竜のオブジェを制作している鈴木一夫さんに迫る。

文=櫛野展正

鈴木一夫さん
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 長い葉を持ち、「松の木の王」として知られる北アメリカ東部原産の松であるダイオウショウ(大王松)。生命力の強さから、古くより縁起の良い木として知られている。20センチほどにもなる巨大な松ぼっくりは、クリスマスや正月飾り、フラワーアレンジメントとして利用されているが、それらを加工して竜のオブジェを制作しているのが、今回ご紹介する鈴木一夫さんだ。静岡県浜松市でひとり暮らしを続ける自宅内を訪ねると、鈴木さんの手による創作物であふれかえっていた。

 鈴木さんによれば、10年ほど前、友人宅の庭にある樹齢50年を超える松の木から、大ぶりな松ぼっくりが落ちているのを見て、それらを使った作品制作を発案したという。

 「落ちて2年ほど経った松ぼっくりは、色が少し黒くなるの。それを目にしたとき、これを使って竜の鱗ができるなと思ったわけ。松ぼっくりの鱗片は硬いから大変だったけどね」。

 鱗片をひとつひとつペンチで切り取っては、土台となる流木に木工用ボンドで貼り付けていく。2018年に、流木と松ぼっくりで初めて竜の置物をつくったことを機に、2021年から竜の置物を本格的に制作するようになった。人にプレゼントしたものを含めると、これまでに15体ほどを作成。1体つくるのに3ヶ月ほどかかるのだという。竜の荘厳なうねりの部分は、松ぼっくりの鱗片を重ね合わせることで表現。腕の部分は、鱗片を切り取って裸になった松ぼっくりを再利用した。

 「1体つくるのに、大小様々な鱗片を貼り合わせて、湾曲をつける必要があるから、松ぼっくりを50個くらい消費するわけ。真っ直ぐだとワニに見えちゃうからね」。

 歯の部分は紙粘土で制作し、箒の材料としても使われる棕櫚(シュロ)の木の皮を剥いで髭に利用した。それぞれの竜の目玉の部分は、100円ショップに売っている人形の目玉部分を貼り付けたり、大豆の未熟豆を金色に塗ったり、薬を包んでいるPTP包装シートを利用したりと試行錯誤の跡が窺える点がなんとも面白い。

鈴木さんの作品
細かなディテールもつくりこまれている

 今年76歳を迎える鈴木さんは、1948年に同市内で4人きょうだいの長男として生まれた。

 小さい頃から釣りが好きで、磐田市の駒場海岸などへ出かけては、釣ってきた魚を自宅で飼育することを趣味にしていたようだ。鯛は真水を継ぎ足していくことで、自宅で半年以上育てた経験もあるという。浜松市内の中学を卒業した後は、自宅最寄りにある自動車部品の製造会社へ就職し、60歳の定年まで勤務した。

 「地元を離れて働こうなんて気はなかったね。家から会社まで歩いて5分と近いもんで、やっぱり世間知らずにはなるんだけどね。仕事が終われば、家の農業を手伝ったり、趣味の植木をやったりね。小さい頃は花を育てて咲かせることが楽しかった。小学校くらいになると、植木の剪定に興味を持って、そこから盆栽や植木を自分の庭で育てるようになったね。もちろん、釣りも好きだから社会人になってからも友だちと夜釣りに行ったりもしたんだけども」。

 そう話す鈴木さんの視線の先に目をやると、窓越しには綺麗に整備された庭が見える。すべて鈴木さんの手によるものだというから、驚きだ。窓から身を乗り出す僕の姿を横目に、「好きだもんで、それほど大変でないのよ」と謙遜する。

 そんな鈴木さんは、魚釣り同様に、小さい頃からものづくりも好きだったという。創作へ興味を抱くようになったきっかけは、20代前半の頃、自宅で祖父が大事にしていたビワの木が枯れてしまったとき、「なんとかして残したい」と、木の根を残して見様見真似で磨き始めた経験にある。以来、木目の美しさに引き込まれるようになり、天竜川や磐田市竜洋町の遠州灘海岸に漂着した杉や檜、桜などの流木を拾い集めていった。「ずっと見ているうちに、この向きがいいなってことがわかってくるわけね」と、持ち帰った流木を半年ほど寝かせて乾燥させた後に、もっとも味わい深く見える角度を検討していったようだ。それらの底をノコギリで平らにし、ワイヤーブラシを使って手作業で丹念に磨いては、花器や器など様々な形へ加工して家中に飾るようになった。

  「台風の後に流れ着いた木を切断して持って帰るんだけど、大きなものは友だちにお願いして数人がかりで運んでもらうわけ。河原で石を抱いて成長しているもんで、根っこから石を除く作業が大変なんだよね。取ろうとしても、どれくらいの大きさか推測できないものも多いからね。流木はこれまで50体程つくっているかな。みんなにあげたのも多いもんで、家に残ってるのはこれだけしかないんだけど。不要な人にとってはゴミだもん、販売なんてしないんだよね」。

 そう語る鈴木さんが見せてくれたのは、綺麗に石が取り除かれた木の根の造形で、絡み合った根の姿が不思議な存在感を放っている。ほかにも、ろくろによる釉薬を塗った器づくりを始めたり、自らが育てた瓢箪の上から絵を描いたりと、その創作意欲はまだ尽きることがないようだ。

鈴木さんによる瓢箪の作品

 特徴的なのは、鈴木さんの周りには、同じものづくりを行う知人らのコミュニティが存在していることだろう。「人が何かやっていると、『やってみたいな』とすぐに好奇心が芽生えてくるんだよね。誰かから学んでるわけじゃないけど、失敗すればするほど、だんだんとやり方を覚えてくるわけだし」と彼らから日々様々な刺激を受け、互いに切磋琢磨していることが、創作のエンジンになっているようだ。

 「将来の夢は、とくにないね。良い材料に巡り会えたらつくりたいものが浮かぶかもしれない。でも、好きなことやってきたし、良い人生だったと思うよ。親父が他界する定年までは、自分の時間はほとんどなかったもんで、定年後に制作は加速していったんだよね」。

 ただ、独居生活を続ける鈴木さんにとって目下の悩みは、目の前にある作品を今後どうしていくかということ。聞けば、鈴木さんの仲間なども皆70代から80代であり、同じ悩みを抱えているとのことだった。別室には、仲間が制作したという大きな作品が並べられており、互いで譲り合っているのだろう。自分が亡き後、作品をどうしていくかは、ものづくりをしている人にとって永遠の課題なのかもしれない。「置き場所に困るけどやっちゃうだよ」と

 先のことなんて考えず、手を動かしてしまうから、作品はどんどん増えていくし、結果的にその行き先に困ってしまう。でも、それ以上に「つくりたい」という衝動的な思いがこれだけの量の作品を生み出したのかと思うと、どこか可笑しみを感じてしまう。公募展に応募することもなく、「何かの教室に通っちゃうと、つくりたいものがつくれないから」と、ただ自分のつくりたいように制作と向き合い続ける。何度か個展やグループ展を開いたことはあるが、竜のオブジェなどは持ち運びが難しいため、自宅以外の場所で展示したこともない。まさに自分だけが納得するために作品制作をしているわけだが、こんな創作スタイルに憧れを抱いてしまうのは、僕だけではないだろう。いまの時代、さまざまな評価やしがらみから逃れて、こんな風に物事に取り組むことができれば、人生はきっと楽しくなるはずだ。