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櫛野展正連載28:アウトサイドの隣人たち 籠の中の鳥

ヤンキー文化や死刑囚による絵画など、美術の「正史」から外れた表現活動を取り上げる展覧会を扱ってきたアウトサイダー・キュレーター、櫛野展正。2016年4月にギャラリー兼イベントスペース「クシノテラス」を立ち上げ、「表現の根源に迫る」人間たちを紹介する活動を続けている。彼がアウトサイドな表現者たちに取材し、その内面に迫る連載。第28回は、女性をモチーフとしたポップなタッチの絵画に自己を投影させる、ピンクスキーを紹介する。

文=櫛野展正

ピンクスキー

 全国各地で取材を続けていると、「作品を見てほしい」というメールが頻繁に届く。あるとき、届いた新着メールに僕の指が止まった。添付された画面に映し出されたのは、色鉛筆やクレヨンで描かれたポップなタッチの絵画だ。画中に登場する人物はすべて女性で、よく見ると殺人事件が起きていたり物を壊していたりと、どこか毒っ気のあるテイストが特徴的だ。

アップルパイの夕暮れ

 「ピンクスキー」と名乗る作者は、神奈川県にある住宅街の一角で、ひとり暮らしをしている。1986年に県内で2人姉妹の次女として生まれた彼女は、現在32歳。小さな頃、親戚の家へ遊びに行ったときにお釈迦様の真似をして蓮の葉の上に立って落水してしまうなど、幼少期は、とてもユニークでひょうきんな子供だったという。

 「小学3年生のとき、いまの時代では考えられないですが、担任の先生が生徒たちにパワハラや体罰をしていて、いつか自分に向かってくるのではという恐怖心を常に抱えていました。そこから不登校になってしまって、5年生のときに別の学校へ転校したんですけど、いじめや万引きをする子供がいたりと荒れた学校だったので、数日のみ通って馴染めなくて結局不登校になってしまったんです」。

 ちょうどその頃、生理前に絶望感や自殺願望が現れる月経前不快気分障害(PMDD)で具合が悪くなり、フリースクールに通ってみたものの、長続きせず自宅で過ごす日々が続いた。そのときから、彼女は自室でいろいろなジャンルの本を読み漁るようになった。

内面の解放

 公立中学校へ進学しようという気持ちはあったものの、家庭不和によるストレスで疲れ切ってしまい、彼女自身も両親に暴言を吐いたり物を壊したりなど情緒が不安定な日々が続いたようだ。どんなに室内に引きこもっていても外出することだけは嫌がらなかった彼女だったが、13歳のとき、ある日を境に部屋から出ることすら拒絶するようになった。家族に連れられ都内の精神科へ通院したところ、鬱病ではないかと診断を受けた。服薬の影響だろうか、治療を受け始めてから攻撃性や自殺衝動を抱えるようになり、リストカットをしたこともある。その頃から、コピー用紙に好きな芸能人の絵を描き始めた。

 15歳になって新しい主治医の診察を受けるようになり、担当医から入院治療を強く勧められた彼女は、「入院させたら死んでやる」とまで発言し断固として拒否。通信制の高校に入学したものの、結局1日も通うことはできなかった。21歳のとき、統合失調症ではないかと言われるようになった。そのときに初めて3ヶ月の入院治療を経験。人と馬鹿話をしたり本屋で買い物ができたりするほどにまで回復した。

私が私であるという檻

 そんな彼女は「13歳から21歳までの記憶がないんです」と語る。つらい過去を忘却するため、心の奥底に記憶を封印する。それは人が自分を防衛するための本能とでも言うべき機能なのだろう。そして、それほどまでに彼女は精神的な追い詰められた日々を過ごしていたということだ。退院後からは、医師の勧めもあり初めてとなる一人暮らしをスタートさせた。

 ただ、現在も訪問回数は減っているものの、あらゆる面で両親のサポートは続いている。食事は冷凍食品を温め、かろうじて洗濯はひとりで行うことができる。部屋の掃除をすることができなかったり、他人と長時間コミュニケーションをとることができなかったりと、いまだ課題も多い。「生きているのが辛い」という精神的に不安定な時期が続き、家族へ毎日のように「死にたい」と訴えることもあった。現在も家族と毎日のように電話で話す彼女にとって、家族からの精神的・金銭的なサポートを欠かすことはできない。

フレンチシネマ

 PMDDの影響で頻繁に体調が悪くなり家で沈んで鬱屈していることも多かった彼女が、絵に専念するようになったのは、20代半ばからだ。近所のホームセンターで入手した画材を使って独学で絵を描き始めた。

 後片付けができない彼女は絵具を使えないため、必然と使用できる画材も限られてくる。好きな画集に登場する画家をモチーフに自分なりにアレンジを加えた絵や、これまで影響を受けた洋画の一場面から発想を得た虚構の世界を絵に描いていく。5年ほど前には発達障害という診断も受けた彼女は、自閉症スペクトラム、統合失調症、PMDDと様々な障害を抱えて生きている。

絵を描くピンクスキーの手元

 絵を描くときは、画面が汚れないように手袋をはめて描く。まるで神聖な儀式のように、色鉛筆を塗り込み、はみ出した部分に丁寧に消しゴムをかけていく。1枚の絵を描くのに2ヶ月はかかるそうだ。

 そして絵を描くのは、調子が良いときではなく、体力的に良くて精神的に弱っているとき。ほんとうに気分が落ちているときは、ペンを持つことすらできないそうだ。夜眠れないときやストレスがたまっているときに描く。絵を描くことで精神的にずいぶん落ち着くようになり、ここ2年ほどは入院することもなくなった。彼女にとって絵を描き自分を表現することは「生きること」に直結しているわけだ。

ピンクスキー

 「この絵は私なりのフェミニズムで、自分の内面を切り開くように描いています」。

 彼女は絵の中に自己を投影させている。絵の中の人物は残虐な行為を行うこともあるし、様々な場所へ自由に出かけていくこともある。絵の中で彼女は自由なのだ。1枚の絵を描き終えることで「自分が過ごした時間は無駄ではなかった」と達成感を味わうという。その1枚1枚の繰り返しが少しずつ彼女を成長させていくことだろう。僕はそんな彼女の歩みを見届けてみたいと思う。

ここじゃない何処かへ

 

編集部

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