「息子がね、こんな絵を描いとんです」。
僕が運営しているギャラリー「クシノテラス」にやってきた白髪の女性が見せてくれたのは、コンピューターグラフィックスを駆使して描かれた女性やロボットのイラストが出力された紙の束だった。初見では、どこかで見たことがあるようなキャラクターに思えたが、よく見るとそれはすべてオリジナルのキャラクターで、なかにはキャラクターの細かい設定まで定められているものまである。
後日、僕は教えてもらった住所へ車を走らせた。カーナビの案内が途切れた先を見上げると、坂の上の大きな古民家の前で、あの女性が手を振っていた。玄関先では、目の前で大きなデスクトップのパソコンを前にひとりの男性がマウスを走らせている。3DCGソフト「Blender(ブレンダー)」を使ってオブジェクトを動かしていたのが、作者の新井啓介さんだ。新井さんは、昭和55年に4人兄弟の末っ子として生まれた。
「『トランスフォーマー』『機動戦士ガンダム』に『魔神英雄伝ワタル』、それから『覇王大系リューナイト』とか、ロボットは自分の人生です」。
そう語るように、小さな頃からロボットアニメに夢中になり、絵を描くことが大好きな子供だった。
「中学生ぐらいのときから、電話が掛かってきても『電話があったよ』って言うのを、わたしらによう伝えんのんです。最初は、人見知りで少し成長が遅いんかなと思っていました」と母は話す。高校卒業後は地元にある大学の経済学部に進学。大学1年のとき、いつもとは違う教室で試験が行われることになった際に、「試験会場はどこですか」と周囲の人たちに尋ねることができなかった。結局、試験会場にたどり着けず単位を落として留年してしまう。
大学生活はサークルに入ることもなく、親友と呼べる友達もいなかった。4年生になったときには、担当教員との人間関係をうまく構築することができず、新井さんは夏の時点で「卒論は書かん」と宣言した。卒業論文を書かないため、当然単位が足りずに再び留年。もう一度、4年生をやり直すことになった際、大学側から精神科への受診を勧められ、処方薬の服用を開始した。それでも自分の症状がなんなのかはっきりわからず、25歳になって、はじめて「アスペルガー症候群」と診断を受けた。現在は自閉症スペクトラム障害として認識されているこの名称は、明らかな認知の発達や言語の遅れは伴わず、対人関係で障害が見られることが多い。
事実、新井さんも大学卒業後は作業所に通い始めたものの、隣の人が受けた注意を自分が言われていると勘違いして、途中で作業をやめて自宅に戻ったこともあるようだ。その後もいろいろな作業所に通ったが、「同じ部屋にすし詰めで作業するもんで、続かんかった」と、どこも長続きせず10年くらい前から家にこもって絵を描き続けている。ただ唯一、中学1年生から毎日続けているのが新聞配達の仕事だ。人と会話する必要もなく決まったコースが定められている新聞配達の業務は、新井さんに適した仕事だったのだろう。
長い間、自宅で絵を描き続けている新井さんの描き方は年々進化している。最初は手書きで絵を描いていたが、やがてトレースした絵をパソコンで色付けするようになり、次第にペンタブを使うようになって、近年では3DCGソフトのみで絵を描いている。これがすべて独学というから驚きだ。
できあがった作品はTwitterやYouTubeにアップしてきたが、フォロワーが少ないため誰からも反応はない。そんな彼のツイッターには、自己否定のつぶやきで溢れていた。
俺の創作のお手本と言えば、定型者が作った物ばかり だから必然、俺の創作は定型者が作った物に似てくる でも、俺は定型者じゃない だから、どうやったって中途半端になってしまう 似非定型者アートにとどまってしまうんだよ 今から障害者アートをしようとしても、すでに年をとりすぎている
世間が求める「障害者のアート」との葛藤。寡黙な新井さんの心の叫びが、タイムラインには刻みつけられていた。「これまで支援センターの相談員さんたちに絵を見てもらったんですけど『すごい』という言葉だけで、そこから先がないんです。だから、『俺の絵はダメなんだ』といつも落ち込んでばかりで」と母親は教えてくれた。
世間一般の枠に当てはめて考えると、新井さんは引きこもりに相当するのかもしれない。そして、新井さん自身が認識しているように、その絵は健常者が描く表現に酷似している。僕なんてとても描けないし、すごい画力とITスキルを持っていると感心してしまうが、世間が求めているのはステレオタイプ化した「障害者のアート」なのだろう。いま日本の障害者のアートの中心となっているのは、知的障害や精神障害のある人たちによる表現だ。そうした人たちが生み出す突飛な形の造形や色使いは、正当な「美術」の技法や価値観とは異なっていることが多いため、その振り幅が大きければ大きいほど、僕らは驚いてしまう。
しかし、新井さんのように「健常」と「障害」の狭間で宙ぶらりになって、もがき苦しんでいる人が多いことはじつは世間にはあまり周知されていない。新井さんは描きたくて仕方がない。でも、知的に遅れがあるわけではないから、あの「障害者」が描くような作品を描くことはできない。なおかつ、他者と面と向かってコミュニケーションを取ることが苦手な彼にとって、ネット上の世界は安住の地であり、そこで彼が表現を始めたこともいまとなっては納得ができる。
僕との会話もそこそこに新井さんは再び点滅する画面に視線を戻す。その背後には家庭用プリンターで印刷された何十年分の作品の束が雑多に積み上げられている。山積みになったその痕跡を前に、いったい僕には何ができるのだろうか。