──山口周さんには東京・天王洲の寺田倉庫にある「TERRADA ART STORAGE 天王洲 PREMIUM」を見学してもらいました。美術品保管施設を、訪れるという体験まで含めて提供するこのサービス、どのようにご覧になりましたか。
本当に「よくやったな」という感じですね。若かりし頃に大学院でアートマネジメントを勉強していたのですが、その頃の日本には先行者がほとんどいませんでした。おそらく、寺田倉庫さんも相当な試行錯誤をしながら、サービスをゼロからつくり上げたんでしょう。初期段階では様々なつまずきやトラブルがあったと思いますが、美術品保管を事業として成長させていくという健全な意味での野心を感じました。
産業が盛り上がるときにはスタープレーヤーのみならず、そのプレーヤーを支える存在が必要です。アートであれば、アーティスト、ギャラリスト、コレクターだけでなく、例えば美術作品専門の輸送業者や、作品を設置するインストーラー、アートの魅力を伝える広報、そして保管サービス事業者など、アーティストが作品という文化遺産をつくることを支える広い裾野が必要なわけです。
僕が一昨年の12月に出した『ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す』(プレジデント社)では、ハイテク製品をつくってそれを世界に輸出することで経済成長を遂げた日本経済のモデルが成り立たなくなっていることを取り上げ、文明的な成熟から文化的な成熟へとシフトすることの重要性を提示しました。文化でちゃんとお金を稼げる国へ、文化的な豊かさをみんなが享受できる国へ変わっていこうということを、3〜4年ほど前から訴えてきましたが、当時は寺田倉庫さんがアートの保管事業にこれほど力を入れているとは存じ上げず。今日、改めてこれだけの施設を見ることができて、僕と同じように時代を見据えていた人たちがいたことをうれしく思いました。
──ベストセラーとなった『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』(光文社新書)を出版されて5年が経ちました。あの本の影響で、スタートアップ企業のファウンダーたちがSNS等で自身のアートコレクションを発信するという潮流が生まれたように感じています。
いまとなってはそのように評価してもらえるかもしれませんが、執筆当時は「負け犬の遠吠え」みたいな感じだったんですよ。「美意識」とか話をしても「この人どうしちゃったの」みたいな感じだったので(笑)。でも、何人かの経営者の方から、「よくぞ言ってくれた」といった反応もいただけて嬉しかったですね。たしかに、あの本を出してから世の中が少しずつ変わっていった気はします。
でも、こうした流れは歴史の必然とも言えるでしょう。僕はたまたま、そのタイミングに居合わせただけというか。19世紀後半のアーツ・アンド・クラフツ運動の主導者でもあったウィリアム・モリスを例に引きます。彼は文明化、つまり社会主義革命が終わった後を見据えていたんですが、みんながある程度豊かに暮らせるようになった社会において、人間に残された最後の仕事は、「飾ること」だと述べているんです。僕はこれをすごくみずみずしいビジョンだと思っています。飾ること自体がビジネスになるし、飾る絵や書、家具、あるいは音、そして飾るための家やランドスケープといった環境も求められる。それらが相互に作用することで、仕事の輪が広がっていく。いまのアートの状態を見ると、当時のモリスが想像した世界に少しずつ近づいているような気もしますね。
──いっぽうで、現在のアート業界の課題としてはどのような課題を感じていらっしゃいますか?
ひとつは「感動」より「感心」に比重が置かれている気がすることですね。技術的にすごい、価格が高い、といった「感心」がすごく求められて、実像を揺さぶるような「感動」をどうつくるかという方向には、マーケット全体として行っていない気がします。
もうひとつは、投機的な傾向が少なからずあることです。投機が加熱する方向に行くと、やはりどこかでそれが崩壊するので、そこはちょっと心配ですよね。数億単位の作品を買うのは自由に買えばいいと思うのですが、アートの歴史は「誰からも評価されてないけど自分が素晴らしい」と思って買ったことの積み重ねなんですよね。マーケットのゲームから離れたところで新たな価値を発掘するということがアートの原動力であることは忘れてはいけないと思います。
──作品の価値を担保するという点では、いま現在の評価ではなく、将来の価値を見据えて保管していくという意識も大切ですよね。その点でも「TERRADA ART STORAGE」は非常に重要なサービスではないでしょうか。
アートを所有するという行為は、過去から未来へ受け渡すバトンを持っているにすぎないという考え方があります。これは、ある種の贈与だと思うんですね。歴史を振り返れば、合理的な理由を超えて自分の財産を使いながら文化遺産を後世に残すために尽力した方々がいるわけです。それは時代を超えて、次の世代の人たちに対して譲り渡していく、「公」の贈与だったと言えます。
本来、美術品をアーカイブするためのコストは社会の全員で負担するべきコストですが、いまの社会システムでは難しい。だから、それを担える人や会社がやっていかなければならず、文化庁のような「官」や意識の高い企業に代表される「民」が支えてきました。しかし、本当は「官」でも「民」でもない「公」の感覚が必要なわけです。この感覚がとくに日本ではすごく弱かったのではないでしょうか。だから、寺田倉庫をはじめ、その「公」の感覚を持っている人がビジネスとしてアートを保管するサービスを行い、それを必要とするリテラシーのある人たちが出てきたことはとても大きいと思います。
──「TERRADA ART STORAGE」では1点440円から作品を預けられる「作品単位保管プラン」も用意されています。かつては資産のある大コレクターしかできなかったような作品保管を1点からできるのは、アートの「民主化」と言ってもいいかもしれません。
「民主化」というのはすごくいい言葉ですね。気に入った作家の作品を自分が買える範囲で買って、それを大事に後世に残していくという感覚を、多くの人が持つべきです。
大切なのは作品と出会う「感動」ではないでしょうか。ひとりでも多くの人がその経験ができれば、アートを取り巻く状況は良いものになっていく。その積み重ねをサポートする存在として、これからも寺田倉庫さんには注目していきたいところですね。
──ただ保管するのみならず、保管している作品を生かすということも考えていかなければならない課題ではないでしょうか。
所有権があるといっても、アートの基本は公的なものですから、その作品に対して多くの人がアクセスできるということは重要だと思います。とくに存命のアーティストであれば、その人がより良い作品をつくっていくためにも、作品はどんどん外に出していったほうがいいと思うんです。寺田倉庫さんはコレクターズ・ミュージアムである「WHAT MUSEUM」など、従来の保管にとどまらない、コレクターが作品を持つという社会に対する責任を、いろいろなかたちで果たせるサービスを提供していますね。
──近年NFTアートが盛り上がっていますが、同時に「実在の物質である」という旧来の作品の価値も相対的に上がっているように思います。こうした作品の実在/非実在について、どのようなお考えをお持ちでしょうか?
いまや、レンブラントの絵画をAIがつくることもできるわけです。二次元的なプリントではなく、油絵具と同じ成分を使って、3Dプリンターによって物質的に複製することが可能です。それでもやはり、「モノ」には意味的な価値があるのではないでしょうか。レンブラントがこのキャンバスで実際に絵を描き、その手で絵具を乗せたということの価値ですよね。
NFTアートがNFTならではの意味的な価値を持つということは十分にありうると思いますが、いっぽうで人間性への揺り戻しみたいなものもあるのではないでしょうか。例えばエアコンがあるのに暖炉にわざわざ火を入れて楽しむとか、ハイレゾリューションのデジタル機材があるのにアナログレコードを求めたりとか、そういったことと同様にです。
──先ほど、現在のアートを取り巻く課題として「感心」が「感動」より重視されているとおっしゃっていましたが、作品との出会いには「感動」が不可欠なようにも思います。
偶発的な出会いというのは、社会のなかでもっと増えたほうがいいと思っています。社会全体で、作品と「思わず出会ってしまう」場所をたくさんつくることは大きな課題でしょう。「なんかこの絵、引きつけられるな」という素朴な「感動」は本当に大切で、僕も子供のときにパウル・クレーの画集と祖母の家で偶発的に出会ったという原体験がアートへの興味の土台をつくってくれたと思っています。そういった体験をした若い世代が増えて、アートを購入して家に飾るだけでも違うわけです。こうした契機づくりのためにも、たんに作品を収蔵しておくだけではなく、展示などを通して開かれた出会いをつくっていくことは社会課題でしょう。
──山口さんご自身はアートコレクターを名乗ってはいませんが、作品を購入する機会は多いと聞いています。作品購入の際にはどのようなことを意識していますか?
僕は、そのアーティストの作品すべてを手に入れたい、というタイプではないのでコレクターを自認していませんが、心が動けば作品を買う人間です。そして、かなり実用的にアートを買っています。絵画は必ず飾りますし、買ってしばらくはそれを見てひとりニヤニヤするんです。だからコレクションというよりは、「あそこに飾りたい」という具体的な目的をいつも持っています。
大切なのは作品と出会う「感動」ではないでしょうか。ひとりでも多くの人がその経験ができれば、アートを取り巻く状況は良いものになっていく。その積み重ねをサポートする存在として、これからも寺田倉庫さんには注目していきたいところですね。