3月末に終わったアート・バーゼル香港を訪れたキュレーターの友人たちが開口一番にもらした感想は、「今回のフェアではテキスタイルの作品がすごく多かった」というものだった。たしかに、この数年アートフェアや国際展でテキスタイルを素材とした作品を目撃する機会が増えたように思う。それは、テキスタイル素材や技術を通して作品を解釈したり、展覧会を企画するキュレーターが増加していることにほかならない。
筆者が勤める香港のアートセンター・CHAT(Centre for Heritage, Arts and Textile)が開館した2019年頃から、テキスタイルは現代アートのなかで存在感を増すようになった。そして、そのブームは一過性にとどまらず、いまはポストコロニアルやフェミニズムの理論を表象できる素材としての認識が定着しつつある。例えば、私たちが日常的に使用するコットンは、歴史的には大英帝国によるインドの植民地支配や、アメリカ南部での綿花栽培のための労働力確保のための奴隷貿易と関連するし、多くの女性や幼児が古今東西のテキスタイル産業でその労働力を搾取されてきたエピソードは、テキスタイルの歴史のなかで事欠かない。
また、テキスタイルはアート、デザイン、クラフトを架橋する素材でもある。産業革命により手工業だったテキスタイルの製造が機械化し、大量生産されるようになったので、テキスタイルの知識や技術はクラフトと工業デザインの分野で知識や技術が伝えられることが一般的になったが、アメリカのブラック・マウンテン・カレッジでテキスタイルを学んだアンニ・アルバースや、ポーランドで麻縄や馬の毛といった天然繊維を用いて織られた、「アバカン」と呼ばれる巨大な作品を発表したマグダレーナ・アバカノヴィッチらによるテキスタイルアート、ファイバーアートという分野が近代美術のサブカテゴリーとして1960年代に確立し、日本や韓国、中国でもこの潮流にのっとった作品が発表されるようになった。そのいっぽう、東南アジアではネイションステートの確立に伴い、伝統的なテキスタイルクラフトの技術を積極的に取り入れた美術作品がつくられた。例えば、マレーシアでアーティストが制作した1点物のバティック絵画はそのひとつである。そのほか、インドで制作された一枚の布に植物模様が手書きされた作品が「絵画」ではなく、「テキスタイル」として欧米の美術館では分類されていたりするので、「誰が」「何を」基準として、目の前のテキスタイルをどう分類するかは、なかなか奥が深い問題をはらんでいる。