ジュリー・オーツカの初小説『天皇が神だったころ(When the Emperor Was Divine)』(Alfred A.Knopf、2002)は、第2次世界大戦中、カリフォルニアに暮らす日系アメリカ人一家が住んでいた家から退去させられ、ユタ州の収容所に送られ、そこで暮らし、そして戻ってくるまでを描く。まるで彼らに個がないように、「母親」「女」「彼」「彼女」「少年」「少女」などといった三人称で語りが進められる。彼らには、名前がない。
物語は、一家に立ち退き令が届くところから始まる。すでに父親は数ヶ月前にFBIに連行されていた。立ち退きの前日、母親はまず、金物屋にゆき、大きめのハンマーを買う。お金は後でいい。事情を知っている店主は言うが、彼女はきちんと代金を置いてゆく。家に戻り、部屋の片付けをする。家にはペットがいる。猫は隣人に引き取ってもらった。庭を走り回っていた鶏の首を折って絞めてそれを使って夕食の準備をする。老いた犬に餌を与えてからショベルで叩き殺して庭の木の下に埋める。子供たちが帰ってきてからカゴの鳥も放す。一連の行動は、淡々と描写される。彼女が何を感じていたのかは、決して語られることはない。
それから一家はユタの収容所に暮らすことになる。少しずつ、彼らに変化が訪れる。次第に子供たちの友人からの手紙も届かなくなり、母親は一日中ベッドに入ったまま。少年は父親に手紙を書く。
“大好きなパパへ。ユタのここも、とても天気がいいよ。食べ物はそんなに悪くないし、毎日牛乳が出る。食堂では、アンクル・サムのために釘を集めてるよ。昨日フェンスに凧が引っかかった” ジュリー・オーツカ著、近藤麻里子訳『天皇が神だったころ』(アーティストハウス、2002)
私はずっとここに住んできた。息をひそめて、あなたのそばで、何年も。そしてトージョーが合図を送るのを待ちかまえていた。 ジュリー・オーツカ著、近藤麻里子訳『天皇が神だったころ』(アーティストハウス、2002)
当時、良心的参戦拒否者の立場を取っていた彼は、そのことでアイバと話し合った。「彼女は決して強い言葉を使わなかったが、『自分なら故国アメリカのために断固戦いに出る』という考えから一歩も引き下がらなかった」(中略)アイバは彼に、「あなたは戦うべきだ」という言葉を使うかわりに、「私なら戦う」と繰り返し、彼は自分が非難されていると感ぜずにはいられなかった。(中略)あいかわらずスポーツ好きだったアイバは、いつも大学のフットボール試合の応援に出かけた。自分ではテニスのほかに、ライフル射撃を得意とした。 ドウズ昌代『東京ローズ』(文藝春秋、1990)