村上龍『限りなく透明に近いブルー』 オキナワという名の青年 ミヤギフトシ
沖縄以外で基地の町に行ったことがないと思い当たり、福生を訪ねてみることにした。夜10時ごろ福生に着き、駅前のビジネスホテルにチェックインして、街を歩く。その日は11月としては史上初となる積雪を都内で観測した日で、夜になっても街はところどころ雪に覆われていた。雲はなく、オリオン座が綺麗に見えた。国道16号線沿いに続く基地の囲いは、金網のフェンスではなくコンクリートの塀で、てっぺんに有刺鉄線が張られている。しばらく歩くと、反対側にも金網のフェンスが現れた。基地の風景と雪という組み合わせにうまく順応できず、異国にいるような気分になる。ときどき、アメリカ人のグループとすれ違う。それとなしに追ってみると駅近くの歓楽街にたどり着いた。英語のカラオケが聞こえてきたと思えば日本語のカラオケが聞こえる。客引きが声をかけてきて、そこらじゅうで飛び交う威勢のいい英語。少し、沖縄の基地近くの街の感じにも似ている気がしたけれど、気後れしてしまい早足で通り抜けて、ホテルに戻った。
福生を主要な舞台にした村上龍の『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1978年)において、登場人物は「昔」という言葉をたびたび口にする。主人公のリュウはかつてフルートを吹いていた。時折シューベルトやシューマンの名を口にし、日比谷公園で再会した旧友のメイルはピアノ弾きで、昔ドアーズの「水晶の船」を弾いたこともあったようだ。「もうすぐ何聞いてもたまらなくなるようになるかも知れないな、みんななつかしいだけになってさ。もう俺はいやだよ」メイルは懐かしさに対する抗いの言葉を口にする。彼らはよく、「昔」と口にする。みな二十歳前後で、流すレコードは例えばドアーズの「ソフト・パレード」、ローリング・ストーンズの「スティッキー・フィンガーズ」など1970年前後のものだ。1970年の東京、時代は沖縄が日本に復帰するちょっと前。
小説の主要登場人物の中に、オキナワと呼ばれる青年と、レイ子というハーフの若い女性がいる。2人とも沖縄出身だ。冒頭、リュウにヘロインを打った後にオキナワが、「一丁上がりでっせえ、どうでっか?」といかにも胡散臭い関西弁で言う。その一言で、「オキナワ」と呼ばれる若者の物語が、僕の頭の中で組み立てられてゆく。例えば、沖縄の高校を卒業後集団就職で大阪に渡り、言葉や環境に必死に慣れようとしても馴染めず、職場で出自や訛りをからかわれ、「おい、オキナワ」なんて呼ばれて、そのままあだ名になってしまったのかもしれない。同化しようと関西弁を必死で覚えようとしたのに。勢いで仕事を辞めて、ふらふらと遠くまで、東京までやってきた。そして、沖縄のように基地がある町・福生に......?
考え過ぎかもしれないと思いつつ、岸政彦『同化と他者化』(ナカニシヤ出版、2013年)に書かれていたことを思い出す。戦後、都会への憧れを胸に沖縄から本土に渡った沖縄の本土就職者たち、やがて沖縄へと戻っていった彼らが懐かしさとともに語る本土の記憶。そのような本土就職者の多くが、大阪に渡っていた。また、同書には本土の厳しい労働環境や生活環境に馴染めず、あるいは差別を経験し、非行に走る若者たちについての当時の新聞記事がいくつか引用されている。あの頃は楽しかった、と本土を回想する沖縄の人々がいるいっぽうで、途方に暮れてしまう人々もまた存在した。彼らは復帰前の本土で(それがいかなるかたちであれ、程度の差はあっても)同化の圧力に直面し、ある人は良き思い出とともに沖縄に戻ることを選び、ある人は非行や犯罪、自死の道を選んでしまった。もちろん、本土に残ることを選択した人も多くいるだろう。
マイノリティのアイデンティティがなにかの実質を「もつ」ということであるよりもむしろ、果てしない自己への問いかけとしての「アイデンティティという状態」に陥ることであるとすれば、こうした歴史的な同化への移動の経験はまさしく、そうした「お前はだれだ?」という問いかけを多くの人びとが同時に経験するきっかけにちがいない。岸政彦『同化と他者化』(ナカニシヤ出版、2013年)
オキナワというカタカナのあだ名は、個性が付与されるには薄く、雑にさえ感じる。彼は登場人物の中でもっとも年上で(とは言っても20代中頃)、諦めからくる奇妙な穏やかさを持っている。同じく沖縄出身のレイ子に彼は、沖縄に帰って美容師の勉強をしろと諭す。自分はもうヘロインで頭がふやけてだめだ、と。オキナワは疲れている。彼は「アイデンティティという状態」に疲れてしまったのだろうか。オキナワという雑なあだ名を自ら引き受けることにより、個であることを放棄したのだろうか。彼との会話の中で、リュウが言う。
昔はいろいろあったんだけどさ、今からっぽなんだ、何もできないだろ? からっぽなんだから、だから今はもうちょっと物事を見ておきたいんだ。村上龍『限りなく透明に近いブルー』(講談社、1978年)
ここで言う「からっぽ」は、「アイデンティティという状態」に近いようで、でも何かが違う。その言葉に、インドにでも行くのかとオキナワがからかう。しかしリュウは、そうではないのだと答える。ここ(福生)で良いのだと。彼が求めているのは安直な自分探しではない。「最近どういうわけか景色がすごく新鮮に見える」とリュウは言う。彼の周りにはアメリカ人と日本人のハーフが登場人物の中だけでも3人いる。そして、沖縄人が2人。付き合いのある米兵は黒人が多いようだ。彼は、もしかしたら社会の中で他者化される存在を目にし、彼らに向けられる同化圧力に加担しないようにしていたのかもしれない。彼が幻視し殺そうと誓う巨大な黒い鳥=眼前の町(であり東京であり日本であるもの)と、自らを相対化しようとしているのかもしれない。
『同化と他者化』の中で、映画版『オキナワの少年』(新城卓監督、1983年、原作は東峰夫の小説)を本土で観て涙を流した、という沖縄人による回想がある。久しぶりに『オキナワの少年』を読みたくなってkindle版をダウンロードした。沖縄の基地の町で米兵相手の売春宿を切り盛りする一家の少年が、ロビンソン・クルーソーのように無人島に流れ着くことを夢想する表題作(文藝春秋、1971年)に加え、その続編とも取れる「島でのさようなら」(文藝春秋、1972年)と「ちゅらかあぎ」(文藝春秋、1976年)が収録されていた。後者2作は初めて読む作品だった。「オキナワの少年」は、『文學界』1971年12月号に掲載、「島でのさようなら」は同誌1972年5月号掲載。いずれも本土復帰(1972年5月)を目前に発表されている。
「オキナワの少年」が島での暮らしのなかで募る焦燥感、外への憧れを描いているのに対し、「島でのさようなら」は高校を中退して本土就職を決めた青年の物語で、そこには島を出ることに対する、ある種の諦めが描かれる。「ちゅらかあぎ」は東京の製本会社に住み込みで働き始めた青年を描く。主人公は同僚に「おきなわ」呼ばわりされ、残業続きの仕事が辛くなって、沖縄に似た風景があるかもしれないと、(当時)米軍基地のあった立川を訪ねる。仕事を辞めて日雇いから路上生活へ、彼の生活はだんだんと苦しくなってゆく......。それは、『限りなく透明に近いブルー』を読んで僕が想像したオキナワの物語とそう変わらなかった。きっと様々な場所で、オキナワや「おきなわ」のような経験をした人々がいたのだろう。
オキナワは、リュウにフルートをまた吹いてほしいと言う。いつか自身の誕生日にリュウが演奏してくれたことを彼は鮮明に記憶している。
あの時何かこう胸がムズムズしてきてさ、なんとも言えない気分になったんだ、すごく優しい気分にな。うまく言えないけど喧嘩した奴とまた仲直りしたみたいなそんな気分さ。同上
「喧嘩した奴とまた仲直りしたみたいなそんな気分さ。」その言葉を反芻する。リュウのフルートは、オキナワにとって日本の良き思い出、ノスタルジックな記憶に分類されるものなのかもしれない。改めて彼が生きた東京を、その時代を想像する。アメリカだった沖縄から、日本とアメリカが同時にある場所としての福生に現れたオキナワ。それは、同化を促す圧力のなか、すぐそこに迫る復帰を前に、自らを見失わないようにしながらも、ついには折れてしまったひとりの若者の物語なのかもしれない。
最後に残ったオキナワは、臭く匂う作業服を着て、さよならを言わずにドアを閉めた。同上
夜明け前、ホテルの部屋から見える富士山や町を囲む尾根はうっすらと雪に覆われ、物語の最後にリュウが見た「白っぽい起伏」そのものだった。彼の眼前で、風景は黒い鳥にもなり、白っぽい起伏にもなる。自分の血がついた小さなガラス片に映る白っぽい起伏。彼はそのガラス片になりたいと、白っぽい起伏を自らに映してみんなに見せたいと考える。グラスが割れてできたガラス片、自らの腕を引き裂いたガラス片。器として何かを持ち、受けることができなくなり、「からっぽ」である状態にすらなれない、世界をささやかに反射する存在。そこに映し出されたものを、オキナワが見ることはあっただろうか。
日が昇る前にホテルを出て、福生の街をふたたび歩いた。すっかり人気はなくて、歓楽街はもぬけの殻だ。まだ雪は解けずに街を覆っている。ところどころに米軍ハウスが建ち、いくつかは空き家となりずいぶん老朽化している。ここに来て、沖縄的なものを感じることはほとんどなかった。それでも、たとえ彼らがフィクショナルな存在であろうとも、この土地に救いを求めてきた沖縄の人間がいたかもしれないという可能性と、その意味を、いまも考え続けている。
PROFILE
みやぎ・ふとし 1981年沖縄県生まれ。XYZ collectiveディレクター。生まれ故郷である沖縄の政治的・社会的問題と、自身のセクシャリティーを交錯させながら、映像、写真などを組み合わせたインスタレーションによって詩的な物語を立ち上げるアート プロジェクト「American Boyfriend」などを展開。近年の展覧会に、「他人の時間」(2015年、東京都現代美術館ほか)「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの 声」(2016年、森美術館)など。現在、「蜘蛛の糸」(10月15日〜12月25日、豊田市美術館)、「台湾国際ビデオアート展」(10月15日〜2017年1月8日、鳳甲美術館 )に参加している。
http://fmiyagi.com