四国山地の深さや瀬戸内海の島々の複雑な輪郭に圧倒されていると、まもなく機体が降下しはじめた。ぐるりと旋回して工業地帯を横目に見つつ、飛行機が松山空港に着陸する。同じフライトで来ていた友人のOさんと落ち合い、バス乗り場へと向かう。愛媛は初めてだった。旅の目的は大江健三郎が生まれ育ち、多くの作品の舞台となる「谷間の村」のモデルとなった土地へと向かうこと。大江作品が好きなのは私ではなくOさんの方で、私は2023年のはじめに急に思い立って、Oさんに大江の小説をいくつか借りて読みはじめたような人間だ。感想を言い合いつつ冗談半分で谷間の村に行ってみようかなどと話していたら、春に行くことになった。そう決めた数日後、大江の訃報をOさんから知らされた。このタイミングで旅の計画を進めていいものか、自分に物語舞台を巡る知識も資格もないのではないかと躊躇したものの、今回はOさんの旅に私がついていくだけ、そう自らを納得させ行くことにした。
いくつか借りて読んだ中で、『取り替え子(チェンジリング)』の主人公である長江古義人と、友人である塙吾良との関係性に私は惹かれていた。それは、大江自身と映画監督の伊丹十三との関係を下敷きにしているという。物語で語られる10代の古義人と吾良の関係が、私が高校時代から20歳ごろにかけて強い影響を受けた三島由紀夫『豊饒の海』第一巻『春の雪』の松枝清顕とその友人・本多繁邦、そしてヘルマン・ヘッセ『デミアン』のエーミール・シンクレールと友人・デミアンの関係を想起させるように感じたから(夏目漱石『こころ』の先生とKを加えてもいいのかもしれない)。友情を超えた結びつきを感じさせるそのような男性二人組に、まだ自分の性に向き合うことができずに葛藤していた私は憧れのようなものを抱いていた。その後自分自身の、そして自分の作品におけるクィアな関係性を考える上でも、ある種の参照点として存在し続けた関係性でもあった。いずれも片方が死んでしまう(ように読める)物語で、今考えると呪いのような参照点だ。『取り替え子』でも吾良が死ぬが、先にあげた小説とは決定的に違う何かがあるような気がする。その何かを探りたい、と思った。
『取り替え子』は、老齢の吾良が命を絶ったことを古義人が知らされるシーンから始まる。知らせを持ってきたのは古義人の妻であり、吾良の妹でもある千樫だ。吾良は生前、50巻ものカセットテープに自分の語りを録音し、それを古義人に送っていた。吾良の死後、古義人はその録音と対話するように、まだ米軍占領下にあった1951年の松山で吾良と過ごした高校時代のこと、当時二人が経験した、彼らが「アレ」と呼ぶ、吾良の死に関係しているかもしれない出来事を振り返ってゆく。
アーケードのある商店街・大街道は広く華やかだ。近くのドーミーインにチェックインする。Oさんの部屋の方が高層階。最上階には温泉大浴場があって、時間をずらして入って欲しいとOさんにお願いするような自分は、何かと面倒な旅の同行者なのかもしれない。夕方、現地に住む共通の知人と合流し居酒屋をはしご、その後訪ねた知人行きつけだというスナック、カウンターの向こうで軽妙な語りを繰り広げる店主は──『取り替え子』の吾良がそう発音したように──松山をマッチャマと発音していた。その夜の最後は同じく知人がよく行くらしいバーへ。全ての店はホテルから徒歩圏内にあり、知人の自宅も歩いて行ける距離にあるという。ホテルに戻り、温泉には入らず眠る。
1951年。谷間の村で生まれ育った古義人は松山の高校に編入し、京都から転校してきた吾良と親しくなる。ある日CIE図書館(GHQの民間情報教育局が設置した図書館)で勉強をしていた古義人の前に、亡き父親の弟子だった大黄さんという男が現れる(*1)。錬成道場なる活動拠点を持つ大黄さんは、門下生らとともに進駐軍に対する反乱を企てている。吾良に好意を抱いているアメリカ人将校ピーターをそそのかして、米軍基地内にある壊れた自動小銃を持ち出してもらい、それらを持って日米講和条約調印の前日に基地を襲撃する、自分たちが返り討ちにあっても構わない。吾良や古義人とともにピーターを錬成道場に招待し彼をもてなすことで、銃を手に入れられるのではないか、そう大黄さんは考える。
2日目、レンタカーを借りて谷間の村である内子町大瀬(旧大瀬村)へ。私は免許を持っていないので、運転はOさん任せになってしまう。大江と伊丹が通った松山東高校、伊丹十三記念館に立ち寄った後、高速道路で内子町に向かう。助手席で窓の外、山々に浮かぶように色づく桜を写真に撮る。ピーターの車で古義人と吾良が錬成道場に向かったのは、「染井吉野は散っているが、八重桜は量感豊かな花盛り」(『取り替え子』)の頃。山の風景は今とどれほど違うだろう。
錬成道場で吾良と風呂に入ったピーターは、執拗に吾良の体に触れようとする。大黄さんは、隣接する部屋の覗き穴からその様子を見るよう古義人を促す。夜、古義人は泥酔した吾良をピーターから守るように道場からから連れ出し、谷間の村の生家に向かう。吾良は古義人の部屋の壁に、小林秀雄訳によるランボー「別れ」の一節を見つける。まだ吾良に出会っていない中学生だった古義人が書き写して貼ったもの。高校生になって、古義人は吾良からランボーの原書をもらい、それを教材に二人はフランス語の個人授業を行なっていた。「別れ」の冒頭には、「俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか」という一文がある。「あの詩には、おれたちの未来が書いてあるような気がする」と吾良は言う。2年前に書き写したときには存在しなかった「俺達」のもうひとりが今目の前に存在している、そのことに古義人は心を動かされている(*2)。
吾良はさっさと蒲団に入り、古義人の蒲団との中間に妹が準備してくれた電気スタンドにかざして、『ランボオ詩集』を読んでいた。吾良の身体は掛蒲団の下でじつに屈託なく長ながと伸び、そこから斜め真っすぐに突き出ているシリンダーのような頸と立派な顎を、古義人は誇らしく思った。
──大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(講談社、2000)
いくつものトンネルを抜けて内子町に入ると大きめな書店があり、立ち寄る。大江の著作もいくつか面陳されていた。その隣では政治家の伝記が大々的に宣伝されている。ひとり店を出る。Oさんは店員に内子町のことや大江のことなどいろいろ質問しているようだった。15時を過ぎていた。車に入り、途中のスーパーで買ってきた惣菜パンをOさんが食べ始める。一個勧められたけど、断る。道の駅とかで良いものが買えるかもしれないから、と。
翌日も道場に戻るという吾良に、古義人も同行する。大黄さんは、ピーターが壊れた自動小銃に加えて保身用のピストルも持ってくるらしい、と二人に伝える。それを知った若者達がピストルを奪う計画を立てている、と。「ピストルで脅かされるかもしれない」から帰ろうと言う古義人に、脅かされてもやりたくないことはしない、と吾良は引かない。そこへ、川辺で仔牛を捌いていた道場の若者たちが戻ってくる。古義人たちに対し「美男子は徳じゃのう!」と嘲笑い、持っていた仔牛の皮を二人に被せてしまう(*3)。古義人と吾良は、「血の匂いのする生温い暗闇に包まれ」る。服も体も汚れてしまって帰ろうとする古義人に対し、吾良は道場の風呂で洗ってから、と言う。古義人はひとり道場を後にする。その後吾良に何があったのか古義人にはわからない。数時間後に再会したふたりは、無言のまま吾良の下宿先である松山のお堂に戻り、裸になって庭の石臼に溜まった雨水で体をきれいにする。その様子を、千樫も見ていた(*4)。
それから数十年後。吾良の死後、古義人に届けられたシナリオと絵コンテ(吾良は「アレ」についての映画を作ろうとしていた)には、古義人が去った後のことについて、二種類の案が残されていた。一つ目は、大黄さんが連れてきた若い男女をピーターが気に入り、吾良は用済みとされ汚れた体のまま道場を後にするというもの。二つ目は、吾良がいる風呂場に全裸のピーターがピストル片手に入ってくるが、ピストルを奪おうと押しかけてきた若者らに裸のまま担ぎ上げられ、草原の斜面を雪崩落ちるように駆け降りてゆく、というもの。吾良は洗って濡れたままの服を着て道場を後にする。どちらが真実に近いのか、あるいはどちらも映画のための創作なのか。これらに描かれていない、何かがあったのか。
国道379号線を進みナビの示す脇道を下り、谷底を流れる川の向こうに大瀬の集落が見えてきた。16時を過ぎていた。小さな商店に入ったOさんが店主の女性に町のことを聞き、それからあんぱんとコーヒーを買って出てきた。律儀だな、と思う。緩やかなカーブを描く道路沿いには衣料品店、酒蔵、旅館など木造の歴史ある建物が並んでいた。川沿いを歩く。いくつもの作品で、重要な役割を持つ川だ。川沿いの桜は散りはじめており、穏やかな午後の光の中で、花びらが不思議なほどゆっくりと中空から水面へとちらちら降りてゆく。平日の午後、町に人はほとんど見当たらない。目の前の風景に、読んできたいくつかの大江の小説世界を当てはめてみようとしても、時代の違いもあるのか、それとも読んだ作品数が少ないからか、なかなかしっくりこない。私よりもずっと多くの作品を読んできたOさんは風景に何を見ているのか。
道場での出来事から数日後、日米講和条約調印の日の夜、古義人は吾良を訪ねて一緒にラジオを聞く。基地襲撃のニュースはない。それで安心したのか、吾良は記念写真として古義人を撮影しようと言う。床の上に鏡を置き、フランス語の個人授業で二人がノートがわりに使ってきた紙を周りに散らす。その上に横たわる古義人を吾良が撮影する。この時吾良は、イメージを通して物語を作り出しているのか、あるいはただ物語を記録しているのか。書籍には、この情景そのままの写真が次のページに掲載されている。かつて、苦悶の表情を浮かべて自らの反射、あるいは分身、と頬を合わせる若者が、確かな写真として残されている。
大瀬をまわった後、もう少し山道を進むことにする。高知方面に向かう車内で、私は大阪に住んでいた20歳くらいの頃、同級生たちと四万十川にキャンプに出かけたことを思い出す。低い位置に渡された橋から川に飛び込んだりしたこと、夜になると大雨が降ってテントの中までびしょ濡れになってしまったこと、雨はすぐ止んで大阪ではまず見られないような星空が広がっていたこと。私にもそんな時代があったのだ、と不思議な気分になる。そんな話をしたかしなかったか、四万十川の源流点があるから目指してみましょう、とOさんがナビを操作する。もちろん、そこまで辿り着けるなんてどちらも考えていない。
旅の道中、Oさんが「おかしな二人組、スゥード・カップル」と何度か口にしていた。『取り替え子』と『憂い顔の童子』、そして『さようなら、私の本よ!』という、いずれも古義人を主人公とした3作を、大江が『おかしな二人組 (スゥード・カップル) 三部作』と呼んでいたらしいことはなんとなく知っていた。あるいは、ほとんど大江作品を知らない私という同行者とともに「おかしな」旅をしている私たち二人組のことを冗談めかして言っているのか。
パリス・レヴューのサイトに掲載された2007年のインタビューで、なぜその3作品を『the pseudo-couple trilogy』と呼ぶのかというインタビュアーの質問に、大江はこう答えている。
夫と妻が本物のカップル(著者注:原文ではreal couple)ということになるでしょうが、私が描くのは偽りのカップル(pseudo-couple)です。初期に書いた初めての長編小説『芽むしり仔撃ち』においても、語り手と彼の弟が偽りのカップル(pseudo-couple)として存在していた。これまでの作品ほぼ全てにおいて、私はそのような型にはまらない組み合わせ(unconventional pairings)の中で結びつき、あるいは離反する人物たちを描いてきたように思います。
──Sarah Fay(著者訳)「Kenzaburo Oe, The Art of Fiction」(Paris Review、参照日:2023年8月10日)〈https://www.theparisreview.org/interviews/5816/the-art-of-fiction-no-195-kenzaburo-oe〉
このインタビューは通訳を介して行われたと明記されているが、交わされる英語に大江も注意を払っていただろう。Pseudo-coupleと対比させるように夫と妻をreal coupleと表していることが注意をひく。さらにunconventionalという、pseudoともまた違う言葉が用いられている。
小さな道の駅があった。朝から何も食べていないことに気づく。Oさんのあんぱんはいつの間にかなくなっていた。閉店間際だったのか弁当や惣菜は売り切れ、食事は諦める。Oさんはイートインのカウンターでカップヌードルを食べていて、私は小さなカップのみかん酒を買って隣で飲む。窓の向こうには満開の桜、みかん酒のオレンジ色と鮮やかだ。それから、地元で加工されたらしいチーズの燻製やトマトなどおつまみのような組み合わせを買う。少し車で走った先に赤い吊り橋があり、車を停めて周囲を散策する。徒歩で幅の狭い橋を渡り振り返ると、目の前の崖の一部がくり抜かれて、地蔵が設置されていた。先ほど大瀬でも橋の突き当たりに同じようなものを見た。
田尻芳樹『ベケットとその仲間たち:クッツェーから埴谷雄高まで』(2009、論創社)によれば、「擬似カップル/pseudocouple」という言葉はベケットの『名づけえぬもの』に出てくるものであり、『名づけえぬもの』や『ゴドーを待ちながら』などのベケット作品や、同時代の他小説に採用される擬似カップルは「機能的な装置であり、心理的あるいは人格的実質を欠いている」とし、さらに「普遍性がより高く、やはり心理や人格が問題になる〈分身〉とは区別されるべきである」と指摘する。そして、それらの作品は「最小限の反復である〈二〉を基本単位」としている、と。一方で大江作品の二人組(*5)については、以下のように書いている。
そもそも”pseudo”という語を「おかしな」と大胆に意訳した時点で、ベケットから意図的に離れ、独自の二人組概念として提示しようとしたとも考えられる。それは文学史上のさまざまに異なる二人組を包摂する極めて包括的なものであると同時に、大江の小説と生き方の原理的な部分を指し示す固有のものである。大江による「おかしな二人組」という概念の新しい規定は、分身、擬似カップルという既存の概念の位置づけをずらし、それを再検討するようわれわれを促す。
──田尻芳樹『ベケットとその仲間たち:クッツェーから埴谷雄高まで』(論創社、2009)
松枝清顕と本多繁邦、シンクレールとデミアン、あるいは先生とKも、「おかしな二人組 / pseudo-couple」になり得るのか。大江の「おかしな二人組 / pseudo-couple」がそれらと違うように感じるのはなぜか。大江は、「擬似カップルという既存の概念の位置づけをずら」す。先ほどのインタビューにあったunconventional pairingsを非=慣例的、あるいは非=規範的な組み合わせと捉えてみるのは飛躍しすぎだろうか。そしてそれを英語に変換する、queer、と。おかしな二人組 / queer-coupleとする。
大江の描いた「二」のその先に、例えばフェリックス・ゴンザレス=トレスの「二」を置いてみたらどうだろう。全く同一の時刻を指す二つの時計を隣り合わせに配置した作品《Untitled (Perfect Lovers)》など、ゴンザレス=トレスにとって「二」は重要な数字だったはずだ(*6)。また彼は、自分のpublic(公、あるいは閲覧者か)は恋人のロスだけだったとインタビュー等で発言している(*7)。ゴンザレス=トレスとロスというクィアの二人組と、大江の二人組がおぼろげな線で繋がってゆく。
河原に降りて見上げると、赤い橋の桁にはおそらくスズメバチの巣の残骸があって、誰かが石でも投げたのか河原にその断片が散らばっている。バーベーキューの跡がある。川の水は当たり前のように澄み切っている。先ほど買ったおつまみのようなものを食べようと私は土手に座る。Oさんは河原の向こうへと歩いてゆき、カーブの向こうに消えた。暮れてゆく空を見上げる。山奥の谷底にいるのだ、と実感する。四万十川は目指さず、もうここで良いかなと思う。手持ち無沙汰になり、iPhoneで暗くなってゆく風景に合いそうな、マーラーの交響曲第9番第4楽章を流してみる。
ゴンザレス=トレスは、エイズ関連疾患で余命わずかとなった恋人のロスと毎週土曜、夕焼けで金色に染まるLAをドライブしたという。私の目の前では、山の向こうに消えようとする太陽の光を受けて川面が金色にちらついている。そして太陽が沈み、空は薄い桜色から淡い灰青へとその色を変えていく。辺りは急速に暗くなっていき、音楽も静かになってゆく。しかし、まだ終わらない。細い糸のようにかすかな音楽は続く。Oさんは戻ってこない。少しずつ寒くなってきた。このまま戻ってこなかったら遭難かな、などと想像する。
ゴンザレス=トレスとロスは、ある時美術館でロニ・ホーンの作品《Gold Field》(*8)に出会う。薄い金箔が一枚、床の上で波打つように、自ら発光するように広がっている。それを見て、エイズ危機の時代を生きる二人は宙に浮いた心地になったという。それは、彼らが必要としていた感覚、探していた風景だった。ロスが亡くなった後、ホーンは新たな金箔の作品を制作する。そのタイトルは、 《Gold Mats, Paired—for Ross and Felix》。
最近、ロニは《ゴールド・フィールド》を再現した。今度は、金箔が2枚。2。交わりの数。二重に喜び、連れ合い、恋人のように重なり合う、そんな数字。光を受け止め、送りあう。この新作を見せてくれたとき、ロニは言った。この2枚の間にあるものは、汗なの。そんなこと、もちろん知っていた。
──フェリックス・ゴンザレス=トレス(著者訳)「1990: L.A., ‘The Gold Field’」(『美術手帖』2014年7月号)
俺達はきよらかな光の発見に心ざす身ではないのか……吾良が古義人の部屋に見つけたランボーの詩を思い出す。交響曲第9番が終わって、Oさんは戻ってきた。なぜかタオルを手に持っていて、頭を冷やしてきたという。眠気覚ましに川の水で顔でも洗っていたというのか。暗がりの中、こんなに長い時間? 深追いはせずに車に戻り、松山に帰ることにする。暖かい光で満たされたトンネルをいくつか抜けると、山の向こうに絨毯のように広がる青白い街の灯りが見えてきた。
ゴンザレス=トレスとロスの眼前にホーンの作品が広がり、その後ゴンザレス=トレスと友人関係を築いたホーンによって、二人に捧げられた2枚の金箔の作品が生まれて、それは今もきっとどこかの美術館の床で光を放ちあっているかもしれない。『取り替え子』を読んでからは、この作品のことを考えるたびに、電気スタンドを挟みそれぞれの布団に横たわる若い古義人と吾良の姿が思い浮かぶようになった。松山で彼らが経験した「アレ」が何だったのか明確にされることはないままに迎えた最終章、物語の主体は古義人から妻であり吾良の妹でもある千樫に移行する。吾良が生前恋仲にあったらしいベルリン在住の浦さんという女性が千樫に会いにやってきて、吾良ではない男性の子を妊娠していると言う。ひとりで、ベルリンで育てるつもりだと。それを聞いて千樫は浦さんと、そしてやがて生まれてくる子供とベルリンで暮らすことを決意する(*9)。千樫と浦さんもまた、unconventional pairingと呼べるのかもしれない。この最終章について、菊間晴子はこう書いている。
吾良は、もはや「アレ」という忘れ得ぬ記憶を背負って死んでいった亡霊のままにとどまるのではなく、浦さんや千樫という勇敢な女性たちの力で、その傷を癒された「新しい子供」として「生み直される」存在となるのだ。
──菊間晴子『犠牲の森で:大江健三郎の死生観』 (東京大学出版会、2023)
他の小説の二人組とおかしな二人組の違い、それはきっと引き継がれる、あるいは読者としての私が、ともすれば個人的に主観的に受け取る希望の有無なのだろうと思う。「二人組」のその先にあるもの。それは、それは必然的に受け取るものではなく、思いも寄らぬところから届くものでもあるのかもしれない。ロニ・ホーンによる2枚の輝きあう金箔のような、あるいは菊間の言う「新しい子供」のような。
松山に戻り、レンタカーを返す。歩いて大街道の方へと向かい、知人と合流した後は前日と同じバーに行ったのだったか。疲れたOさんは先にホテルに戻ったのかもしれない。翌日はみんなで市内観光、「ことり」で鍋焼きうどんを食べて、石手寺に行き、道後温泉ではそれぞれ別の温泉にしてもらった。松山城が建つ山の桜は満開で、その間からは松山の街がひらけて見えたように思う。もやの向こうに見えたのは、きっと前日に車で走った深い山々。夕方のフライトで東京に戻った。新宿で、Oさんと別れた。
それから、『おかしな二人組』の残り2作や古義人を主人公とする『水死』を含め、大江作品をゆっくりながらも読み進めてきた。それらについてもここで書こうと試みたけれど、文字数が膨らんでゆくばかりで、なかなかまとまらない。今回は『取り替え子』のみに触れて、終わりにしようと思う。気がつくと、今はもう11月。あの旅から半年以上が経過していた。それでも、大瀬の穏やかな風景、谷底に閉じ込められて暮れてゆく空を眺めたことを思い出すことができる。もっと大江作品を読み、再訪して、同じ風景に異なる物語の風景を重ねてみたい。それが、新しい「おかしな旅」になるといい。
*1──『取り替え子』の中で古義人は、右翼グループが戦後三つの流れに分かれていったとする丸山眞男の著書(1951年刊行の『戦後日本のナショナリズムの一般的考察』)を取り上げている。第一のグループは、「敗戦による価値体系の崩壊に絶望し自殺したもの」(『取り替え子』)、第二は「ファシスト的看板を「民主主義的」なものに塗り替え」たもの、そして第三は、「直接には非政治的な社会活動を経済活動を、地方に分散してやっている」グループ。四国の山を開墾し道場を運営する大黄さんは、この第三のブループに属するとしている。
*2──吾良のシナリオには、この夜について数十年後に交わされたという設定の吾良と古義人の会話も書かれている。大人になった吾良は、以下の「別れ」の次の一節を引用する。「〈つらい夜! 乾いた血が顔面にくすぶり、背後には、あの恐るべき灌木の他は何もない!〉」(『取り替え子』)そして、「じつにランボオは、おれたちが経験したアレを、そのまま歌っているようでさえある! おれはこの一説に、自分の過去が塗り込められているのを見出すよ。」(『取り替え子』)と続ける。
*3──私はここで、オウィディウス『変身物語』が描いた、神々によって獣に変身させられた者たちのことを思う。例えばディアナの水浴を偶然目撃してしまい、女神の怒りを買って鹿へと変身させられ、自らの猟犬に食べられてしまうアクタイオンのことを。
*4──千樫は道場での出来事で何かが決定的に変化し、それが兄の死に繋がったと考える。「私は、吾良がなんらかの病気によって死を選ぶことになったとは思わない。吾良としては正気の決断だったと思う。……ずいぶん昔、松山で夜遅くあなたと吾良がお堂に帰ってきた時、あなたのことはよく覚えていないけれど、吾良はガタガタだったし、もしかしたらあなたもそうだったのじゃないかしら?」(『取り替え子』)
*5──「おかしな二人組 / pseudocouple」というフレーズが大江作品に初めて登場するのは、三部作の三作目、『さようなら、私の本よ!』だ。本作には、谷間の村にいた頃からの幼馴染である国際的な建築家・椿繁が登場し、吾良に代わって「おかしな二人組」の片割れとなる。そこで古義人は、実在の批評家ウィリアム・ジェイムソンが古義人の小説『summersault』を評した中で引用したベケットのpseudocoupleという言葉を、自身と繁との関係性に当てはめる。「繁と自分は確かにcoupleなのだ──この英単語を、古義人はかれの小説の定形を取り出す仕方で批評してくれたアメリカの批評家の文章に見出した。pseudocouple、おかしな二人組。ベケットの小説『名づけえぬもの』からだ、とも気づいていた──。」(大江健三郎『さようなら、私の本よ!』2005、講談社)
*6──《Untitled (Perfect Lovers)》について、ゴンザレス=トレスは以下のように語っている。「時間というものは私にとって恐怖でした、少なくとも以前は。二つの時計を用いた作品は、自分が作った作品の中で最も恐ろしいものです。それらと対峙しなければならなかった。この二つの時計を目の前に置き、チクタクと時を刻むさまを見る必要があった(中略)私たちは常に個と公の間を行き来しています。ある時に新聞で読んだことを元にした作品を作りたいと思えば、またある時には、ボーイフレンドとイタリアで食べた美味しいご飯の記憶についての作品を作りたくなったりする。」ジュリー・オールト編「Felix Gonzalez-Torres」(Steidl、2006)
*7──ジュリー・オールト編「Felix Gonzalez-Torres」(Steidl、2006年)
*8──ロニ・ホーンは、《Gold Field》と《Paired Gold Mats, for Ross and Felix》について、以下のように書いている。「曲げると、折り目からまばゆい光が溢れた。あぁ、これこそ金の羊毛。輝く光……最高だった。そして1994年に2枚1組の作品、《Paired Gold Mats, for Ross and Felix》を、友人であるフェリックス・ゴンザレス=トレスのために作った。重ねることで、それらは燃えるような輝きを放った――二つの存在の間に横たわる、親密さをそのままに表していた。私はこれらの作品を、神話、象徴、暗喩として語り、だからこそ私はこの素材を使い、広げることができる。そうすることで、抽象化されたものの存在として確かさを本質的に明らかにする。それは、マリリン・モンローにとってのノーマ・ジーンだった。」Roni Horn『Roni Horn aka Roni Horn』(Steidl、2009)
*9──千樫は、アレを経験して戻ってきた吾良はこれまでの兄とは違う、本当の兄は取り替えられて居なくなったと感じ続けている。「本当の吾良を取り返すと同じことをしよう」と考える。「取り返される吾良としての、新しくやって来る子供の父親」に、本当の吾良と最後までいて、アレを一緒に経験した古義人を選んだ。また、古義人の母親も生まれ直しについて語っている。高熱を出して寝込む古義人に、母親は言う、「もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫」と。でもそれは今ここで死んでゆく自分とは違うという古義人に、同じだ、と彼女は返す。そのような経験や記憶が、ベルリン行きの決断にもつながっているはずだ。