旅をしながら、私は天正遣欧使節のひとり千々石ミゲルと、彼らの10年後に留学生としてローマに滞在した荒木トマスのことを考えていた。ふたりとも、帰国後に棄教している。弾圧が強くなるばかりの400年前の日本を生きた彼らにとって、選択肢は限られていた。棄教するか、地下に潜るか、海外に逃げるか、それとも殺されるか。変身のプロセスを経ていながらその途上で止められ、転び者として疎まれた。
私が天正遣欧使節をはじめとする16世紀のキリシタンに興味を持ったのは、これまで用いてきた語りの手法を使って、別の時代、別の場所の誰かに近づくことはできないだろうか、と考え始めたことがきっかけだった。ドラマやナラティヴの枠組みを使い、別の時代の別の誰かとつながることはできるのか。ある時代、ある環境、ある関係性のなかで、変化せざるをえなかった存在、変化を許されなかった存在、そのような存在がいるはず。変身のプロセスは、これまでの作品においてもテーマのひとつとしてあり続けた。
『別のことばで』のなかでラヒリは、オウィディウスの『変身物語』を好きな本として挙げている。そして、自らの言語にまつわる体験を、ニンフであるダフネの変身になぞらえる。アポロンの求愛を逃れるために、ダフネは父である川の神ペネイオスに助けを求める。神は、彼女を月桂樹の木に変身させる。「変身は暴力的な再生のプロセスであり、死であると同時に誕生でもある。それはどちらともつかない曖昧な存在であるということ、二重のアイデンティティを持つということだ」と彼女は書く。
わたしは生まれてからずっと、自分の原点の空白から離れようとしてきた。その空白に愕然とし、そこから逃れてきた。自分に決して満足できなかったのはそのためだ。自分自身を変えることがただ一つの解決法のように思えた。ものを書いているうちに、登場人物の中に隠れ、自分自身から逃れる方法を見つけた。次から次へと自分を変化させるというやり方だ。 ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』(中嶋浩郎訳、新潮社、2015)
名前の変化を考えたときに思い出すのが、オウィディウスが『祭暦』で描いたニンフ、クロリスの物語だ。西風の神ゼピュロスに乱暴され、その償いに正妻の座と花の園を与えられる。そして女神に格上げされ、フローラという新たな名前になる。
ウフィツィで私は、ボッティチェリの《プリマヴェーラ》を、その隣の部屋で《ヴィーナスの誕生》を見る。前者はゼピュルスに乱暴されたクロリスがフローラに変身する様を描いている。後者でヴィーナスに風を吹きかけているのはゼピュルスで、彼に抱きつく女性をクロリスとする説もある。与えられた園にどれだけ花が咲き植物が育っても、雨風やひょうによって傷つけられる。それを見て彼女は、「私は非情なまでに怒ることはありませんし、そのときもそのつもりはなかったのです。けれども、気を取り直そうという心持ちにもなれませんでした」(オイディウス『祭暦』、高橋宏幸訳、国文社、1994)と語る。
棄教し、千々石ミゲルは千々石清左衛門に、荒木トマスは荒木了伯に名を変えた。棄教後の彼らについての記録はあまり残っていない。ともに信仰を捨てていなかった可能性もあるそうだが、それもはっきりとはわかっていない。棄教したところで、生きやすくなったというわけでもなかっただろう。彼らは、かつて過ごしたイタリアの風景を思い出したりしたのだろうか。そこで経験、会得した言葉、音楽、芸術を、伝えるすべはない。彼らのうちに湧き上がる感情は、どのようなものだっただろうか。
『べつの言葉で』の次に出版された、イタリア語によるラヒリの長編『わたしのいるところ』は、イタリアのある町に暮らす40代の女性が主人公だ。独身で、孤独を感じながらもそれを変えようとも思わない。出張先でも居心地が悪いし、友人の別荘を借りてもすぐに帰りたくなる。そんなふうに変化を避け続けてきた彼女が、町を離れる決心をする。引っ越しの少し前、主人公は自分によく似た後ろ姿を町で見かけ、なんとなく追いかける。そうして、ふと気づく。
そっくりさんの後ろ姿を見てわかることがある。わたしはわたしであってわたしではなく、ここを去ってずっとここに残る。突然の振動が木の枝を揺らし、葉っぱを震わすように、このフレーズはわたしの憂鬱を少しのあいだかき乱す。 ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』(中嶋浩郎訳、新潮社、2019)
これもまた、『べつの言葉で』でラヒリが書いた「次から次へと自分を変化させる」ことのひとつなのだろう。そしてそれはきっと変身でもあり、分身でもあるのかもしれない。主人公は、早くして死んだ父親の墓前で、彼に対する怒りをあらわにする。「あなたの冷たい穴蔵の前にいるいまも、わたしはあなたを許さない」とまで言い切る。倹約家で旅行を嫌い、母娘の険悪な関係性にも立ち入らず、自分の世界に閉じこもり、観劇だけが趣味だった。主人公が15歳になる頃、彼はお祝いとして国境の向こうの劇場で開催される公演のチケットを手に入れる。しかし、旅の前日に彼はインフルエンザに倒れ、そのまま命を落とした。主人公は、準備していたスーツケースをしばらくそのままにしていた。父の死が悲しいのではなく、国境の向こうへの冒険ができなくなったことを残念がって。『その名にちなんで』とは対照的な、父親との関係だ。
千々石ミゲルと荒木トマスが転んだ理由のうちには、教会に対する不信感もあったとの説もある。ポルトガル船が日本人を奴隷としてヨーロッパに連れ出していることを黙認していること。宣教師たちが自らの殉教の夢を日本人に押し付けていること、そのために多くの血が流されていること。トマスをモチーフに書かれた遠藤周作「留学生」(『留学』、新潮社、1968)で、宣教師に対する怒りをトマスは隠さない。「どうかローマ教会はもう日本人たちのことは構わないでくれ。この日本人たちにあなたたちの理想と夢をこれ以上、押し付けないでくれ」。
使節団がバチカンに向かう際に渡ったサンタンジェロの橋を歩き、彼らが滞在したというイエズス会本拠地だったジェズ教会を訪ねた。美しい風景や建築、そして彼らが体験したルネサンスの芸術。それらを通して彼らが続けた変身を、帰国後の環境が暴力的に解いてしまった。時代の問題ではなく、そのようなことが起こりうる可能性がないとも限らない。そんなときに、例えばガウリのように暴力的であっても、変身を続けることは可能なのだろうか。
『わたしのいるところ』の最後、主人公は国境の向こう、人々が違う言葉を話す国にしばらく住むことを決める。そこへ向かう電車に、外国語を話す若者たちが乗り込んできて同じ客室に座る。そのうちのひとりの少女に、彼女は惹かれる。少し泣いたと思えば、よく笑う。友人の男の子が、その子の髪をセットし、ほかの誰よりも綺麗な姿に変身する。別の場所へと向かう主人公の分身めいた存在にも思える少女のささやかな変身が提示されて、物語は終わる。
天正遣欧使節やトマスは来ていないが、私は旅の途中ナポリに立ち寄った。ゲーテを変身させた街。旅の間雨に降られ続け、濁った水ばかり見ているような気がしていたけれど、ナポリもやはり雨だった。少しくたびれたような街は賑やかで、かつての華やかさも至るところで垣間見ることができる。
ナポリは楽園だ。人はみな、われを忘れた一種の陶酔状態で暮らしている。私もやはり同様で、ほとんど自分というものが解らない。全く違った人間になったような気がしている。『お前は今まで気が狂っていたのだ。さもなければ、現在気が狂っているのだ』と昨日私は考えた。 ゲーテ『イタリア紀行』(相良守峯訳、岩波書店、1960)
ここに使節やトマスが来ていたら、どうだっただろう。ありもしない物語だ。ゲーテを狂わせた街が、日本から来た青年たちを狂わせ、さらなる変身を促す。『低地』のガウリのように、突然消える。あるいは『わたしのいるところ』のそっくりさんのように、分身としてその地に残る。2日目、きれいに晴れた空の下に広がる風景を見ながら、許されなかった選択肢を想像していた。やっと晴れた、開けた海を見ることができた、そんな気がした。
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