ブリジット・ライリー✕首藤康之&中村恩恵 共鳴する身体と展示空間

2018年の様々な展覧会や芸術祭を紹介する連載の第3回は、DIC川村記念美術館「ゆらぎ ブリジット・ライリーの絵画」展に関連して開催されたイベントをピックアップ。2人のバレエダンサーが展示室内でパフォーマンスを行った「首藤康之&中村恩恵 in『ゆらぎ』」の様子を、ダンサーからのコメントとともに紹介する。

文=沼辺信一

公演の一場面より。本展のために描かれた壁画《ラジャスタン》(2012、シュトゥットガルト州立美術館 友の会蔵)の前でパフォーマンスする、首藤(左)と中村(右)

 凄いものを見てしまった。DIC川村記念美術館で展覧会「ゆらぎ ブリジット・ライリーの絵画」関連プログラムとして5月12日に演じられたダンス・パフォーマンス『首藤康之&中村恩恵 in「ゆらぎ」』に圧倒された。それは美術館でのパフォーマンスの新たな可能性をも示唆していた。

 別棟のレストランで軽い夕食を済ませた70名の観客は、閉館後の展示室に招じ入れられる。無音のうちに始まった首藤の緩慢でスタイリッシュなソロに先導されながら、何が起こるのか判然としないまま、ライリーの絵が並ぶ部屋から部屋へとゆっくり移動していく。

 やがて細長い廊下のような場所に着くと、そこに中村が待ち受けていて、2人のダンサーは部屋の端と端で距離を保ったまま、互いに鏡像のように呼応したポーズをとる。だが両者の隔たりは埋まらない。息詰まる緊迫感が漂う。

 そこから角を曲がって進むと、いきなり広い空間に出る。壁に描かれた横4メートルを超える大作《ラジャスタン》(2012)を背景に、70脚の椅子がコの字形に並べられている。観客が着座すると、ここで初めて音楽(バルトークのピアノ曲)が流される。大作の前に置かれた2脚の椅子に、首藤と中村が向き合って座る。互いに誘引し、反発し合うさまは、磁石の極が瞬時に切り替わるかのよう。立ち上がった2人は相愛のカップルさながら抱き合って踊るが、優美な所作にも剃刀のような鋭いエッジが潜んでいて、ふれたら傷を負いかねない。

公演風景より(動画からの切り出し画像) 撮影=岩崎祐

 後日伺った話によれば、首藤はこの展示空間にはバルトークのピアノ曲が合うとまず直感し、抽象絵画には抽象的な舞踊でなく、何か具体的な物語性をもたせたいと考えて、長年連れ添った夫婦の内面のドラマ──バルトーク夫妻の亡命生活に思いをはせたのだという。中村はライリー作品の「ゆらぎ」からアイルランドの詩人W・B・イェイツの詩「揺れる(Vacillation)」を連想し、背後の大作の緑と赤のゆらめく対比に、イェイツが幻視した新緑と炎の樹木のイメージを重ねながら踊ったそうだ。パフォーマンスとライリー作品が見事に共振して見えたのは、偶然の所産ではなかったのだ。

 日本を代表するダンサーとして共演を重ねてきた首藤と中村のコラボレーションは阿吽の呼吸、技量もまた同等の高みにある。火花を散らすパフォーマンスを目の当たりにして、総毛立つ戦慄を禁じ得なかった。上演時間はきっかり30分。長過ぎも短過ぎもしない、それは特別な至福の時間だった。

首藤康之のコメント

 ライリーの絵画には、見ていると目が回るような錯覚を覚えたり、感情が動かされたりと、様々な「ゆらぎ」が見出せます。舞踊でこれらの作品に応じようとするなかで、日常のコミュニケーションにおける「ゆらぎ」を入り口としたいと考えました。男女のキャラクターを設定して、演劇的なシーンも入れながら組み立てた作品は、現実とも幻想ともつかないもの。抽象画と同様、幅広い受け取り方ができるものになっていればと思います。

首藤康之 撮影=阿部稔哉

中村恩恵のコメント

 ライリーの表現について知るほどに、「言葉とは異なる方法で直接感情を表現したい」という私の表現の根源にある欲求とリンクするものを感じ、シンパシーを覚えました。展示室内での公演は、客席と舞台が隔絶されている劇場とは異なり、絵画作品、観客、ダンサーが一体となって空間を構成する特別な経験。何度もリハーサルを行いましたが、公演中は絵画をきっかけに喚起されるものがあり、即興的な面をも持つ無二の作品が生まれたと思います。

中村恩恵 撮影=大河内禎

『美術手帖』2018年8月号「この夏・秋に行きたい!全国アートスポットガイド」より))
All Paintings:© Bridget Riley 2018, all rights reserved. Courtesy of David Zwirner, New York / London