前髪の話 穂村弘
高校生の時、洋服や鞄に付いているブランドのマークやロゴやタグなどを、片っ端から取ってしまおうとしたことがある。そういうものが付いてるのは恰好悪い、と信じていたのである。今考えると、それは自分の考えではなかった気がする。友達の話だったか雑誌のコラムだったか、とにかく外部からの情報を真に受けたのだ。
でも、簡単には取れないものもあった。ベルトのバックルに描かれたロゴには、消しゴムをかけてみた。ごしごしごしごしごしごしごしごし、消しゴムが半分になってもまだ消えない。目に汗が入って顔が歪む。どうしよう、諦めようか、いや、もう遅い。うっすらと残っているロゴはさらに恰好悪い。
そんな時、「何やってるの?」と母親に訊かれると、めちゃくちゃ不機嫌になった。うるっせーなー、なんでもねーよ。いいから入ってくんなよ。丸一日を費やしてなんとか目的を達した後は虚脱状態で、ぼーっとなった。
だが、すべては無意味だった。私の服や鞄やベルトにマークやロゴがあるかどうかなんて、誰も気にも留めない。学校に行けば、相変わらず地味な存在でしかなかった。駄目だ、と私は絶望した。何かが根本的に違うのだ。バスケ部のトースケなら、どんな服を着てどんな鞄を持っていても恰好いい。いつだったか、校則を破った罰として彼が丸刈りにされた時でさえ、「マルガリータ」というあだ名がついて大人気だった。恰好いい奴は何をしても恰好いい。人気者は何をしても人気者。一方、私は何をしても私。
私の友だちも皆、似たような地味タイプだった。そんな一人であるむっちょんが或る日、こんなことを云い出した。
「俺さあ、前髪切ろうか、どうしようか、迷ってるんだよ」
「へえ、そうなんだ。切れば」
むっちょんの前髪はべたっとおでこに張り付いていて、見るからにうっとうしかった。
「でもよー。ほら、女子はさ、男子の風に靡く髪が好きっていうじゃん」
「・・・・・・」
「だから、迷うんだよ」
はあ? と思った。どこから聞いてきたんだよ、その話。仮にそれが本当だとしても、その「風に靡く髪」とむっちょんの前髪は一ミリも関係ないよ。でも、何も云えなかった。云えるはずがない。彼は鏡に映った私自身なんだから。むっちょんは寄り目になって前髪を弄っている。私はベルトのバックルに触っている。どうあがいても、何にも手が届かない。
*12月1日(土)〜1月31日(月)の期間、NEMIKA広尾・玉川の店頭にて、「根実花書簡第3回 穂村弘×川島小鳥」の作品を展示中。また、川島小鳥が俳優の佐久間祥朗を撮り下ろしたオリジナルZINE「melt the snow」を12月4日(火)より発売。
ZINE『melt the snow』
販売価格:1200円+税
発売日:2018年12月4日(火)
販売店:NEMIKA広尾、NEMIKA玉川
各店100部限定
撮影=川島小鳥 モデル=佐久間祥朗 デザイン=松井正憲(METER) 制作=林里佐子(『美術手帖』編集部)
NEMIKA「根実花書簡」について
「根実花書簡」は、NEMIKAとウェブ版「美術手帖」による連載企画。東京のいまを切り取る様々な写真家がNEMIKAをイメージして撮影した作品や、日々のなかからインスピレーションを受けて撮り下ろした写真作品をもとに、歌人・穂村弘がエッセイを載せることば×アートの連載です。NEMIKAは、大人の女性に寄り添う、ファッションブランド。NEMIKAは「根実花」を意味する。根とは、過去に培ってきた歴史。実とは、現在のその人そのもの 。花とは、未来にむけたその人の表現。 根をはり、実をつけ、花を咲かせる「根実花」とともにつくる、ことば×アートをテーマにした本連載では、歌人と写真家がそれぞれの表現を往復書簡のように交換して、ここでしか読めないページをつくっていきます。
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