桑久保徹連載7:A Calendar for Painters Without Time Sense

アーティスト・桑久保徹による連載の第7回。2018年1月、小山登美夫ギャラリー(東京)での個展で発表された「カレンダーシリーズ」は、桑久保が尊敬する画家の生涯をひとつのキャンバスに込めて描いたシリーズ。美術史の中にいる多くの作家から、桑久保の選んだピカソ、フェルメール、アンソール、セザンヌ、スーラ、ゴッホの6人を表現した。この連載では、その制作にいたった経緯や葛藤、各作家との対話で見えてきた感情、制作中のエピソードが織り込まれた個展のためのステートメントを、全8回にわたってお届けする。今回は、ピカソ、そしてマグリットとの対峙。しかし、事態は危機的状況に。

文=桑久保徹

桑久保徹 パブロ・ピカソのスタジオ 2017 181.8×227.3cm  © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

桑久保徹 パブロ・ピカソのスタジオ 2017 181.8×227.3cm  © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

Permanence 8/

 世界に対する興味があるようでいて、ない。食欲、睡眠欲、性欲。生物が持つあたりまえの欲望。それに、神の手がくっ付いている。化け物め。

 夜中の美術室に一人。後ろの壁上部に貼られた泣く女の模写が、かろうじて見える。夜明け寸前の真っ暗な教室の窓からは、まだ暗い海が見える。室内が暗いため、空が白んで来ているのがわかる。ほんのわずかだが、雪が降っている。曇天をモノクロームのグラデーションで描く。黒と白だけで作るグレーがイメージより青みがかって見える。黒と白の他に、バーントシェンナとグレイオブグレイを混ぜる。空にはキュビズムの直線を意識して、パターンの違ういくつかの幾何学的な雪の結晶を描く。空にはいくつもの絵画が浮かんでいる。

 偉大な神が降りた。ゲルニカだ。時事ネタ作品のうちの数少ない成功例の一つ。ピカソ56歳の作品。黒と白のバリエーションが美しくも野蛮。私も簡単なモノクロームに陥らないよう、濃淡の幅に注意して描き進める。フラクタルの原理。様々な線が交錯しながら、単純な色面処理と複雑なハッチングが難解に絡まり合って一つのボリュームを作り出している。それがさらにもう一つの大きなボリュームを構成する一部分になり、それがさらに最も大きな塊として表出する。馬の腹に描かれた点々、これは彼女が描いたものなんだってね? めんどくさくなって、この単純作業を頼んだんだよね。ずるいな、私も誰かに頼みたいよ。空の右半分を大きく占めるこのゲルニカだが、あまり強くなり過ぎないよう黒の乗せ方を調整する。

 平和主義者というのは本当だろう。目の前で女同士を喧嘩させて楽しんだ、なんて嘘だ。だって、嫌な気持ちになりたくないものね。出来れば楽しく過ごしたいものね。きっと君は、おろおろしたに違いない。君は手、以外の部分は、生物学的にヒトなのだから。でも普通の人というのとは少し違うんだ。なんていうかな、ボイドなんだよ。感じが。なんかおっかないんだよ。

 筆をパレット上にある白、黒の順でくぐらせ、キャンバス上に横方向のストライドで引っ張る。これを何度も繰り返し、海の表情に似せる。さらに何の表情も持たないところまで、続ける。

 思い描いた線を、まったくズレることなく、思い通りに引けるなんていうことがあるのだろうか。到底私には出来ない。習字か何かで、いくら修練を重ねた者でも、難しいことなのではないだろうか。君にはそれが、当たり前のことなのだろう?

 砂浜は鈍いグレー。バーントシェンナの量を抑え、ペインズグレーを加えて青味を出す。マラガの海を参考に、砂浜に出来た凹凸を追いかける。雪が溶けて湿った砂が、凹凸の境目を鈍らせる。画面下方、キャンバスの縁のところには、先日までに降り積もって溶けきらなかった雪を描き、矩形の均質化を避ける。

 模写。初期のものから晩年のものまで。14万7800点のうちから、すまないが私の独断と偏見で選んだもので構成するよ。君のためにも、なるべくバリエーションを持たせようとは思うんだけど、結果的に晩年のものとキュビズムのものが少なくなってすまない。だって入りきらないよ。わかってくれるだろう?

 初期の青色と桃色の時代を描く。デッサンに狂いがないことが確認される。明暗についても同じく的確。でもね、面倒なのは、セザンヌ入ってるからなんだ。形を巧妙に操作してるところなんだよ。しかも、上手すぎてあまりに自然に見せてるから、ほとんどそれと気づかない。それが、画面全体に及んでいるんだ。参るよ。マメなんだ。意識が。いや、君は筆を走らせるだけですぐに出来るのだろうけど、私は意志を持って全力で追いかけないと、まったく違うものになってしまう。偽物だとすぐにわかってしまうんだ。

 新古典主義、母と子、海辺を走る二人の女を描く。大きな手と豊満な体。ギリシャとローマの影。好きな時代の作品だ。

 続けてシュールレアリズムの時代。ビーチにて、や、渚に立つ裸婦を描く。抑制のきいた色と、硬くて柔らかい不思議な形状。魔法のグラデーションによる距離とボリュームの不思議。寄生獣のよう。これも好きだ。

 リー・ミラー、マリ・テレーズ、ドラ・マール、ジャクリーヌで埋め尽くされた部屋を描く。オルガは写真ごと、描く。

 接吻を描く。34歳の愛するジャクリーヌのキスに何も感じなくなる80歳のピカソの表情。子供のように描きたいと言った晩年の作品。君がついに勃起不全になる絵だ。君にとっては非常に残念だったろうが、私にとっては、この絵が君と心を通わすことの出来る唯一の作品だ。

 晩年のシリーズを続けて描く。描く方とすれば、この辺りが一番厄介だ。まあキュビズムも余程面倒ではあったが。デ・クーニングのWomanと同じ類の面倒臭さ。君はザーッザザッとやるだけでしょ。でもね、これ、大変なんだよニュアンス出すの。カスレとか濁りとか、全部描くんだからこっちは。そりゃ私だってザザッとやりたいさ。でもね、凡人だし、君とは血が違うし。

 みんな、君の晩年の作品を子供の絵みたいって言ってるよ。特に、日本のおじさんとかは、こんなん目ぇつぶってても描けらぁ、俺でも描けらぁ、とか言うんだ。本当に頭にくるよ。やってみればいい。これ、0.5ミリでも位置を間違うと、本当に目も当てられないものになるのにね。

 アトリエの備品、彫刻群、アビニョンの娘などを描く。

 それにしても、女、女、女、女。たまに静物。そしてまた女、女、女、女。

女ばかり。感服するよ。いいよなあ、シンプルなモチーフで十分なんだから。ちょうだいよ、それ。神の手。

 ガラス瓶 舌平目 水差しの静物画、を描く。アンティーブは、本当に素晴らしい場所だったよ。君は陶芸をやりに行ったんだよね。それでちょっと絵を描きたくなって、これ描いた。だからこれ、ボードに船の塗料だものね。石造りの城の中にこれが飾ってあってさ。室内は薄暗くて、石が切り取られたような四角い小さな窓からは海が見えて。その窓の横にこの絵があるから、ほとんど逆光で見えないんだよ。最高だよね。実際、最高だったんだ。

 右下部分、青の時代の自画像を描き、さらに、不思議な形の彫刻作品を描いて、この絵を終える。

 上手いから、スタイルと表現力ばかりが見えて、感受性が見えないんだよ。だから、君の事がずっとわからなかったんだ。本当には何を考えてるかわからなくて、怖かったんだ。本当は愛のある、普通の人なんだろう? チャーミングな普通のおじさんだよね?化け物とか言って、すまなかったね。その手が付いてて、大変だったね。

 ところで君が買った城って幾つだったっけ、7つ? 8つ? 城をアトリエにするの、いつか私も真似していいかな。

147800点 ÷ 92年 ÷ 365日=4.4作品/1日。

Transition 9/

 2月、小山さんと渋谷の8階のお寿司屋さんにいる。ルイジアナ美術館でもあの絵、出来るよね。え、あ。こんな旨いものがこの世に。ああ確かに、コレクション作品を画中画にすれば、出来ますものね。ああ旨い。いろんな美術館とか、出来たらいいなと思うんだよね。そうですね。これは何という貝だろう。ここのところは、台湾の展示準備してます。2018年の上旬みたいなんで、カレンダー休憩して、多分今年の前半とかはそっちやってます。何これ貝? 旨いな~。これまで苦手とか言ってごめんね、貝。いろんな美術館とか、出来たらいいなと思うんだよなあ。この関サバは、本当にサバですか? 旨いなあ。コミッションワークとか、良いと思うんだよね。

 5月下旬。プロデューサー・コヤマが動く。美術館とのコミッションワークが食い込んでくる。9月末締め切り。さらには集英社の挿絵の仕事も食い込んでくる。台湾の仕事がことのほか進まないまま、食い込んでくる。今年はもう、ほとんどカレンダーシリーズに着手出来ないことが確定する。

 コミッションワークもほぼ完成に向かっていた9月上旬。問題発生。小山さんがアトリエに訪れる。コミッションワークの画中画の中に、著作権に抵触する可能性のある絵がいくつか含まれていることが告げられる。シャガール、ダリ、マグリット、フジタ、キリコ、ピカソ、荻須。著作権に抵触した場合、売ることはおろか、見せることもできなくなるとのこと。私の制作期間の四ヶ月間が吹っ飛ぶ。なんとも切ない気持ちになる。

 それは、いい。嫌だけど百歩譲って。マグリット? ピカソ? あのー、小山さん。カレンダーシリーズにその2人いるんですが、どうなるんですか? え、わかんないけど、駄目ならダメだろうね。わかんないけど。うわ、超クール!

 マジですか? 私の努力した8ヶ月もさらに吹っ飛ぶのですか⁈ 厳しい……。

 あのー、小山さん。正直、私、捕まっても良いんです。捕まっても、特にこれといって支障はないんですよ。この仕事。だから、売らなくても良いから、見せたいです……。駄目だよ! 僕が捕まっちゃうんだよ! うぎゅぅ。

2. 罰則 著作権侵害は犯罪であり、被害者である著作権者が告訴することで侵害者を処罰することができます(親告罪)。著作権、出版権、著作隣接権の侵害は、10年以下の懲役又は1000万円以下の罰金、著作者人格権、実演家人格権の侵害などは、5年以下の懲役又は500万円以下の罰金などが定められています。 また、法人などが著作権等(著作者人格権を除く)を侵害した場合は、3億円以下の罰金となります。 さらに、平成24年10月の著作権法改正により、私的使用目的であっても、無断でアップロードされていることを知っていて、かつダウンロードする著作物等が有償で提供・提示されていることを知っていた場合、そのサイトから自動公衆送信でデジタル録音・録画を行うと、2年以下の懲役若しくは200万円以下の罰金が科せられることになりました。 なお、「懲役刑」と「罰金刑」は併科することができます。

 帰り際、片方の靴を自ら持参した小さな靴ベラを駆使して履いている最中、あ、個展、1月20日で大丈夫だよね? と言う小山さん。……え……え?……え! そんな大事なことをなぜこのタイミングで……。ゆっくりと正確に、白いアルミの扉は閉まっていく。

 カレンダーシリーズ。当初は、12枚を一気に見せたいと考えていたが、算段が甘く、2年と8ヶ月を経過しても、6枚しか完成していない。だが、そもそも小山さんのスペースでは12枚を同時に並べることは不可能だから、せめてカレンダー半年分、6枚の絵で展示出来ないだろうかと考えていた。それに、お金の心配もある。貯金が目に見えて減ってきている。

 ピカソとマグリットが使えない場合、現在私が展示することの出来る作品数はセザンヌ、アンソール 、ゴッホ、フェルメールの4点しかない。死ぬ。

 あれ? 1967年8月15日? マグリットが死んでから今年でちょうど50年目じゃない? 展覧会がある2018年は、確実に大丈夫じゃない! じゃあなんで? アメリカが70年にするとかって、まだ先のことだよね? センゴカサン。センゴカサン? ナニソレ。

戦後加算 著作権の保護期間に関する戦時加算とは、戦時に相当する期間を、通常の著作権の保護期間に加算することで、戦争により失われた著作権者の利益を回復しようとする制度のことです。 この制度は、第一次世界大戦後にフランス、ベルギー、ハンガリーなどの国々が国内法で独自に設けたのが始まりです。 現在、この戦時加算が行われている国は、日本だけです。 第二次世界大戦後の1951年9月8日、日本の戦後処理の基本を定めたサンフランシスコ平和条約が、日本と連合国との間で署名されました。日本の戦時加算は、連合国および連合国民の著作権に対し、日本だけが負う義務として、この条約に規定されています。 日本では、この戦時加算義務を明確化するため、国内法として「連合国及び連合国民の著作権の特例に関する法律(戦後加算特例法)」を制定し、日本で戦時加算の対象となる著作権とその延長期間を具体的に規定しています。 戦時加算の対象となるのは、戦争開始前および戦争期間中に、日本が著作権法(旧著作権法)や条約等により保護しなければならなかった著作権のうち、以下の著作物の著作権です。 ・サンフランシスコ平和条約を批准した連合国およびその連合国民が (1)1941年12月7日(日本が参戦した日の前日)に著作権を有していたもの または、 (2)1941年12月8日(日本が参戦した日)から、当該連合国について平和条約が発効した日の前日までに著作権を取得したもの 戦争開始前から連合国民が有していた著作権(上記(1))については、日本が参戦した日(1941年12月8日)から各国の平和条約が発効した前日までの期間が加算されます。たとえば連合国のなかで、アメリカ、イギリス、フランスなどは1952年4月28日に平和条約が発効していますので、それらの国の国民が戦争開始前から有していた著作権については、本来の保護期間である著作者の死後50年に、日本が参戦した1941年12月8日から平和条約発効前日までの3,794日(約10年5ヵ月)が加算されます。 戦争期間中に連合国民が取得した著作権(上記(2))については、著作権を取得した日から各国の平和条約発効前日までの期間が加算されます。 なお、連合国のなかでも国によっては、平和条約の発効日が異なるため、加算期間が異なります(戦時加算対象国および戦時加算日数一覧)
ポピュラー・ソングのひとつ、「Lover Come Back To Me(恋人よ我に帰れ)」。この作品は戦争期間中の1943年3月31日に公表されました。 作詞したアメリカ国籍のOSCAR HAMMERSTEIN Ⅱ は1960年に亡くなっていますので、その著作権は日本では通常であれば2010年12月31日をもって消滅しますが、戦時加算の対象であるため、作品の公表日1943年3月31日から平和条約発効日1952年4月28日の前日までの3,316日が加算され、2020年1月29日まで存続することになります。 「戦後」はまだ続いています。by JASRAC

 ぐ……なんたること……マグリットの生まれた国は……ベルギー……つまり、連合国軍……私はというと……敗戦国軍……私が第二次大戦を実感するとは……ちなみに、ベルギー軍と日本軍が戦った期間はいかほど……3910日……10年6ヶ月と20日……つまり……著作権が切れるのは、2028年3月5日……アメリカがゴネたらさらに20年がプラスされ、2048年3月5日……私、そん時70歳なんですけど……。

 あーもういっそ、アメリカ人にでもなるかー。

 10月。小山さんから電話がかかってくる。周囲がざわついている。どこか屋外からかけてられているようだ。ピカソ許可おりた! こんな提案、初めてだって! 桑久保君の作品ってちゃんと明記して、この1点だけならOKだってよ! フランスの方からみたい、良かった、これをテコに他のも上手くいくといいよね! やってみる! はい、どうもありがとうございました、ほんと。電話が切れる。

 私がのんびり電気ケトルのお湯が沸くのを見つめている間も、小山さんは戦ってくれていたのですね。知りませんでした。すみませんでした。どうぞ先方の方にもよろしくお伝え下さい。本当にどうもありがとうございました。

 これで、5点。どうしても半年分を展示しなくてはいけない。

 とにかく、もうわけがわからないが、スーラを呼び戻す。今は10月半ばで、全然夏ではないが、もう悠長なことは言っていられない。スーラの画集をもう一度読み込み、録画した美の巨人を見て、再びスーラを描く時のためにととっておいた、昨年使用した色見本用紙パレットを引っ張り出す。7月の記憶を呼び起こす。昨年の夏に須磨の砂浜にいた私自身のことを今一度思い出す。