桑久保徹連載6:A Calendar for Painters Without Time Sense

アーティスト・桑久保徹による連載の第6回。2018年1月、小山登美夫ギャラリー(東京)での個展で発表された「カレンダーシリーズ」は、桑久保が尊敬する画家の生涯をひとつのキャンバスに込めて描いたシリーズ。美術史の中にいる多くの作家から、桑久保の選んだピカソ、フェルメール、アンソール、セザンヌ、スーラ、ゴッホの6人を表現した。この連載では、その制作にいたった経緯や葛藤、各作家との対話で見えてきた感情、制作中のエピソードが織り込まれた個展のためのステートメントを、全8回にわたってお届けする。今回は、「六甲ミーツ・アート2016」のアトリエで対面したスーラのアトリエ、そしてグランド・ジャッド島の日曜の午後。

文=桑久保徹

桑久保徹 ジョルジュ・スーラのスタジオ 2018 181.8×227.3cm  © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

桑久保徹 ジョルジュ・スーラのスタジオ 2018 181.8×227.3cm  © Toru Kuwakubo, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

Permanence 7/

 31歳で死ぬまでに描いた作品は、他の画家と比べればそれほど多くはない。作品制作の在り方も独特で、1枚の絵のための小さな習作をいくつも残している。光学的理論に基づいた、科学的な絵画。それまで印象派などで感覚的に行われていた筆触分割をさらに推し進め、点描という技法に辿り着いた画家。

 スーラ。年々好きになる画家。古い大判の画集を眺める。ボケた木炭ドローイング。時代の変遷毎に次第に細かくなっていく点描のペインティング。気持ちが落ち着く。均衡、静寂、調和。引きずり込まれる。

 点描。初めての技法による制作にとりかかる。7月のこの絵は、全て点描で描くことに決めている。湿気のある夏の空を描く。スーラはパレットの上に11色を虹色状に乗せ、その各色の下に11個の白を乗せて描いた。つまり君のパレットは、横方向に色相環、縦方向に明度と彩度という厳格さ。私はそれはしない。というか出来ない。いきなり3色の青を使う。面相筆を使用して色を施す。慣れない。点の打ち方がわからない。空の部分で、ある程度点の打ち方を把握しておきたいのだが。青い点の大きさや、色の濃淡でどう見えるのか、少しずつ検証しながら点を打っていく。予想していたのとほぼ同じくらい、作業速度は、遅い。

 

 遠く連なる六甲山と、その先に明石大橋が見える。その先に淡路島。山のバルルが合わない。一発で色を決定出来ないから、違いを補正しようとすると、気が遠くなる。この青が違うのだろうかと思い、青く打った点の一つひとつを、青緑に変える。黄色の点を足して青緑に見せるやり方もあるので、弱い黄色を打つ。山全体の色を全体的に濃くする為、網点をかける要領で規則的にグリーンを打つ。試し打ちして調節したはずのグリーンだったが、今度は点の大きさが微妙に異なってしまったのを、今度は白を使って一つひとつ補修する。目がいかれる。大きな虫が飛んでくる。逃げ出してしまいたい。

 逃げ出す。サングラスをかけ、海水パンツとレジャーシートを抱えてワーゲンで下山。青く澄み渡った空と海。白い砂浜。遠くに淡路島と明石大橋、手前側に六甲山が連なる。先ほどまで描いていた風景。ひとしきり泳ぎ、浮かび、空を見上げる。空の色と山の色を観察。椰子の木を中心に、全体を見る。目の前の風景の色は、関係性で出来上がっていることを知る。海の向こうに見える淡路島にも目を運ぶ。私からそこまでの大気の量を厚みとして記憶する。実際のここの夏の光の様子を記憶し、海水浴客の様子を記憶。温度を記憶。音を記憶。風を記憶。ビキニ女を記憶。

 戻る。大丈夫。覚えている。点の打ち方を均一にすれば、ある程度感覚的でも、さほど問題はない。そう言い聞かせて、少しずつ進む。絵の上部、空と山と海をなんとか描く。どうやってんの。どうなってんの。画集を広げる。アマゾンで購入したスーラの画集2冊を見比べる。同じ作品の色を見比べる。全く色が違う。どうしよう。

 夏休みを利用して、CさんとMさんが私の元に訪れる。弁当の受け取りと、下山した買い出しで店員と交わす会話くらい。久しぶりの意味言語。おもむろに思う。手伝ってくれないか? これまで私は、私の絵を他人に触らせた事がない。

 ただ遊びに来ただけのCさんとMさんの了承を得て、手前の大地部分を手伝ってもらう。面相筆を渡し、2人分のパレットを用意する。彩度の高い黄色と、彩度の高い黄緑を、指定した範囲に均一に、全面的に。うお、仕上がっていく。私より点描、上手いではないか。そして驚くべきはその集中力。美大生恐るべし。

 さらにそれと前後するように、今度は夏休みを利用したYさんとKさんが私の元に訪れる。ただ遊びに来ただけのYさんとKさんの了承を得て、同様にアトリエとなるはずの手前の大地部分を手伝ってもらう。面相筆を渡し、2人分のパレットを用意する。今度は彩度の低いシナバーグリーンを指定した範囲に均一に、全面的に。うお、仕上がっていく。私より点描、上手いではないか。そして驚くべきはその集中力。美大生恐るべし。

 高性能プリンターと化したCMYKによって、大地部分が浮かび上がる。ありがとう。本当にどうもありがとう。

 グランド・ジャッド、まだ描かないの? 様子を見に来た関さんが言う。マスキングテープが貼られている。背景部分をある程度仕上げてから、模写部分に取りかかりたかったが、このスタジオを公開しなくてはいけない意向もあり、仕方なくグランド・ジャッド島の日曜の午後を描くことにする。

 グランド・ジャッド島の日曜の午後。シカゴ美術館にある縦207.6cm、横308cmの大型作品。スーラはこの絵に2年以上を費やす。私の描くこの7月の絵は、縦が181.8cmで横が227.3cm。ひと回り小さいとはいえ、点描に慣れていない私が、ひと月半の滞在中に仕上げられるわけがない。

 40人近い人物が赤く配置されている。補色関係である緑色の明るい芝生の上で、人々が思い思いに過ごしている。青いセーヌ川にはヨットが浮かび、向こうには樹木。手前の濃い緑紫の樹木の影には、裕福そうな紳士淑女が、猿を連れてフリーズしている。

  フリーズ。君は、過去の彫刻群を参考にしているね。独特な技法を用いた光学的な成果の前に、君にはやりたいことがある。律儀で寡黙な君。君に備わった能力は、それにぴったりと合致したようだね。

 人物を描く。独特な丸みを帯びた形。細かな描写を避け、大きなボリュームで形を捉えている。均衡、調和、静寂。各々がポーズを取りながらも、全体が停止している。それはスナップ写真のような、死んだ時間の証拠ではない。君が求めたのは、時間の永遠。固定された時間の永遠を描くこと。

 周囲の枠部分を残し、3日でグランド・ジャッドの模写を終える。画集の色があまり参考にならないために、自分本位の色に変換されている筈だ。君には本当に申し訳ない。本物を見たことがない事が悔やまれる。シカゴ美術館、ジンクイエローがだんだん茶色く変色していく様を思う。固定したヴィジュアルの中、色だけが少しずつ消えて行く。

 ポーズする女たちを半分ほど描いたところで、滞在期間が終わる。

 私はそのまますべてを放置した状態で、この六甲山のスタジオから、再び元のアトリエのある場所へ戻る。

Transition 8/

 痩せている。と、言われる。痩せている。と自分でも思う。10kgほど質量が減っていると思われる。食事を作る能力を著しく欠いた私は、テレポーテーション山籠りで痩せた。まあ実際は、単に食べるのが面倒だっただけの話しだが。

 外はまだ蒸し暑いが、エアコンは控えめに。体調が少しおかしい。山頂がとても過ごしやすかったことから来る反動だろうが、この時期の関東平野の気候が堪える。微弱な偏頭痛と体が鉛です。伸びてしまった髭を剃り、散髪をしてリフレッシュ。

 描きかけのスーラを山へ置いて来たので、別の絵を描かなくてはならない。今は9月半ばだが、9月の絵は描かない。このシリーズ、1枚に4ヶ月を要することが発覚しているので、今から始めると完成は1月になる。今度は1月を描く。

 1月のピカソのイメージはこのシリーズの初めからもう出来ている。白と黒だけを用いて描くことに決めている。六甲山に画材道具全てを置いて来ているが特に問題はない。買い足すものは限られている。ふふふ計算高い。スネ夫のようだ。

 ピカソを模写した事は、これまでにも数回ある。結論から言うと、最高難易度だ。力が違う。体質が違う。血が違う。牛肉とワインで出来ている彼と、米とカルピスで出来ている私。まったくそぐわない。カラーでは無理だ。いや、出来るかもしれないが、何ヶ月かかるかわからない。だがやはり、1月はピカソだ。一年の始まりは、この画家がふさわしい。

 ミステリアス・ピカソ 天才の秘密、と、ピカソ マジック、セックス、デスPart1~3をDVDで読み込む。新たな情報がいくつか加わる。少しだけ印象がズレる。