長谷川新 月評第1回 「否定される酒、肯定される酒 ─戦時下のくらしの中で」展 焼け溶けた酒瓶、あるいはスター・ウォーズ
岡山シティミュージアムでは、特別展「スター・ウォーズ展 未来へつづく、創造のビジョン。」が開かれていた。鑑賞ルートの最後にある物販コーナーは、ちょうど岡山空襲展示室と同じフロアにあり、ダース・ベイダーやストームトルーパーといった悪役までもが、様々な「お土産」と化して整列されている。ここでは、ふたつの戦争は対立していない。
岡山空襲展示室の最後の通路では、慎ましやかに別の展示が行われていた。戦時下の暮らしについて、「酒」という観点から迫ったその小企画は、十数歩歩けば完結するほどの規模である。通路の片側にある仮設壁にはパネルが数枚かけられており、戦争のために「肯定される酒」と「否定される酒」について、写真と文字で説明がなされている。政府によるプロパガンダ雑誌『写真週報』のカラーコピーが冊子状に綴じられており、自由に閲覧もできる。そこにはコミカルなタッチの「漫画」で、「飲酒」を避けるよう描かれており、緩やかに国民の統制が徹底されていく様子が映し出されていた。『写真週報352号』(1944年)には次のような台詞つきのひとコマ漫画が掲載されている。「時にものは相談ですがね、酒を入れて倉に蔵っとくよりや、水を満たして外に出しとく方がよかありませんかな」。一例を挙げるにとどめるが、こうしたひとコマ漫画が伝える不穏さは底しれない。
パネルの反対側には、空襲によって焼け溶けた酒瓶がガラスケースに納められている。短い通路でのささやかな展示であったとしても、いやだからこそか、企画者は、ひとつ具体的な物質がないと展示が成立しないと考えたのかもしれない。パネルと複製資料だけの展示を回避するために、別の言い方をすれば、その物質的実証性を発揮すべく、焼け溶けて固まったガラス瓶が召喚されている。パネル展示に、焼け溶けた瓶という空襲の物的証拠。それ自体はよくある手法である。だが、今回その瓶はもう少し複雑な役割を担っているように思われる。
「葡萄酒をつくる際にできる酒石酸は兵器(水中音波探知機)に利用できました。このため、葡萄酒については逆に生産をすすめられました」というパネル解説文は、その事実の意外性もさることながら、何よりも地元の造り酒屋たちの忸怩たる心情を表している。日本酒が「戦勝の祝杯」や「特攻隊の出撃前の飲酒」に登場することと、葡萄酒の生産が軍事上の理由で奨励されることは、同じ「肯定される酒」だとしても決定的に趣を異にする。なぜならば、日本酒の神聖化はその生産制限と表裏一体であって、けっして日本酒自身の価値の向上ではないからである(前述の酒樽を貯水に使うよう圧力をかける漫画を思い出そう)。ここでは、ひとつの戦争が分裂している。銃後の政治学が発動している。だがガラス瓶はそうした複雑さを覆い、一塊のものとして溶け固まっている。焦土の記憶を生々しく伝える物的証拠が、パネル展示によって示唆されている別の回路を閉じ、既によく知っている「あの戦争」へと溶接してしまう。それはいわば、スター・ウォーズと併置可能な戦争。
(『美術手帖』2017年4月号「REVIEWS 10」より)