スーパーヴィジョン展と東京オリンピック2020の夏
最初に秋山佑太の展覧会タイトル、「スーパーヴィジョン」を聞いたとき、東京オリンピック2020にあわせて、各地で再開発が進行しているにもかかわらず、トンがったプロジェクトがほとんどなく、丹下健三研究室の「東京計画1960」やメタボリズムなど、1960年代の建築家が持っていたような「スーパー」な「ヴィジョン」がないことに対するあてこすりなのかと思った。昨年、筆者は拙著『建築の東京』(みすず書房、2020)において、前回のオリンピックのときとは違い、現在の東京が保守化したことを論じていたからだ。もっとも、チラシを見ると、未来像としての「ヴィジョン」ではなく、「スーパーヴィジョン」、すなわち工事の「監督」を指している。だから、展覧会において壮大な都市ヴィジョンを示すわけではない。抽象的な計画ではなく、むしろ現場で生々しく建設作業員としても働く秋山が、いかにアーティストとして抵抗し、ただ監督される「意思なき労働者」から脱するもくろみだった。
もうひとつ気になったのは、協賛に吉野石膏が入っていること。美術との関係で言えば、山形美術館にあるフランス近代絵画の吉野石膏コレクションをすぐに連想したが、そこではない。同社の主力製品である石膏ボードが、じつはほとんどの建築で使われていることから、作品の素材として提供してもらったのだ。ともあれ、通常のルーティンでは絶対にやらない奇妙な作業を行うことによって、建設中の新国立競技場と対峙したり、マンションにひそかな操作を加えている。
ところで、スーパーヴィジョン展の会場のひとつには思い入れがある。およそ20年前、磯崎新による幻の処女作、「新宿ホワイトハウス」(1957)が現存すると聞いて、椹木野衣らと訪れたからだ。地図を片手に現地に足を運ぶと、ぼろぼろの廃屋がある。そのときは外観しか見学できず、正直、拍子抜けした。もっとも、これは吉村益信のアトリエ(のちに住居として使用)だったことから、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズの拠点として知られている。当時、アーティストが騒いで警察沙汰になったとき、身元引受人として磯崎が出向いたという。やがてホワイトハウスは、2013年に「カフェアリエ」として使われた。足を踏み入れると、大きな白い壁と吹き抜けが広がり、1950年代の素直なモダニズムと近い雰囲気である。その後、筆者が監修した「戦後日本住宅伝説」展(埼玉県立近代美術館ほかを巡回、2014〜15)でも、ホワイトハウスをとりあげた。じつは吹き抜けが三間を一辺とするキューブを内包し、磯崎らしい幾何学への好みを反映したデザインである。だが、カフェは2019年3月に閉店し、存続を心配していたら、21年、Chim↑Pomの卯城竜太とアーティストの涌井智仁、ナオ ナカムラの中村奈央によってアートスペースとしてリニューアルされた(設計はGROUPが担当)。つまり、スクラップ・アンド・ビルドが激しい東京において、二度の再生を通じ、築60年を超える木造家屋が奇跡的に生き残っている。
吹き抜けの大きな壁面には、大量の3Dプリンターが並び、圧巻の風景だった。ここでは、なんと口の中でセメントを練るという「建設作業員の儀式」によってつくられた、いびつな形状が3Dスキャンでデータ化され、それと同じ形が出力されているのだ。やはり、自らの身体を介することで、建設のプロセスを脱臼しつつ、さらには現代のデジタル技術と融合させている。身体化という意味では、インプロビゼーションの感覚をとり入れながら、「蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)」を自主施工する岡啓輔にも近いが、後者とは、デジタル造形の活用が大きく違う。とりわけ樹木のプロジェクトが興味深い。新宿で伐採される街路樹を譲り受け、輪切りにした形状を3Dスキャンし、そのデータをもとにスタイロフォームをカットして、コンクリートの型枠とする。そして制作されたコンクリート切株を、もうひとつの会場であるデカメロンの前に設置した。ただでさえ、路上で座るベンチがない。ましてやコロナ禍の時短や休業によってお店からも締め出され、新宿の若者は居場所を失っている。すなわち、街路樹の形態を部分的に維持しながら、素材を変換し、公共の場を生み出した。以前、「排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン」で公共空間をつぶすアートについて論じたが、それとは逆の作品だろう。
またオリンピックの期間中、秋山は歌舞伎町公園にささやかな操作を加えていたが、これはほとんどの人には知られないモニュメントとして残るだろう。
いっぽうで今年はコロナ禍の状況が悪化している最中で始まった「東京ビエンナーレ2020/2021」のほか、オリンピック・パラリンピックを多彩にもりあげる派手な文化プログラムとして「Tokyo Tokyo FESTIVAL スペシャル13」が催された。都市空間を活用したプロジェクトとしては、「東京大壁画」「パビリオン・トウキョウ2021」、《まさゆめ》が挙げられる。東京駅を背にして丸の内側にすぐ見える東京大壁画は、2つの超高層ビルをキャンバスに見立て、横尾忠則と横尾美美の作品が展開された。もっとも、巨大であることは確かに体感できるのだが、細かく分節されているため、そのスケール感が、遠くから見ても視認しやすいヴィジュアルになっていないのは惜しい。目 [mé]による《まさゆめ》は、ルドンの作品や伊藤潤二のマンガ「首吊り気球」を想起させるシュールな風景を出現させた。筆者は実際に巨大な顔が浮かんだ状況を目撃していないが、都市の噂のように、SNSで拡散され、話題を呼ぶことに成功している。おそらく、東京以外でも多くの人が興味を持ったはずだ。したがって、現代社会の情報環境と相性が良い、都市のプロジェクトである。
「パビリオン・トウキョウ2021」は、建築家やアーティストが都内に期間限定の空間をつくり出すものだ。オリンピックというイベントに対する批評性が高いのは、会田誠によるおんぼろの《東京城》と、使われなかったデータを活用した真鍋大度 + Rhizomatiksの作品だろう。とくに秀逸なパビリオンとしては、未来の遺跡のような構築物を重ねあわせ、庭の風景を異化させた石上純也の《木陰亭》、「からまりしろ」の思想を具現化した複雑な形状のお椀を設計した平田晃久が挙げられる。ほかにも妹島和世、藤森照信、藤本壮介、藤原徹平が参加していたが、本来ならば、こうしたすぐれた建築家がサブの企画ではなく、オリンピックの関連施設を手がけるべきだったと思う。だが、メディアが熱狂してザハ・ハディドを追い出した挙句、気がついたら、ほかの施設の担当は、ゼネコンや大手設計組織ばかりになっていた。前回のオリンピックでは、岸田日出刀が采配し、丹下のほか、当時は若手だった芦原義信、清家清、菊竹清訓らも関連の施設を手がけている。しかし、今回は次世代の建築家に活躍の場はなかった。最初に指摘した東京の保守化は、こうした側面でも確認できるだろう。ところで、だいぶ前に筆者はオリンピックの文化プログラムとして、どんなことをやったら良いか、ヒアリングを受けたことがある。そのとき、一時的に皇居を開放したら、特別感が増すのでは、と述べて、思い切り呆れられた。
最後にオリンピックと都市空間の関係についてふれておきたい。東京オリンピック2020の閉会における次回の開催地、パリへの引き継ぎ式が印象的だった。エッフェル塔のまわりを旋回する飛行機からトリコロールの煙が空中に描かれ、(CGとはいえ)超巨大な旗が塔の上部から風になびいた。また世界遺産や名所を徹底的に活用し、セーヌ川で開会式、コンコルド広場でスケートボード、グラン・パレでフェンシング、アンヴァリッドでアーチェリー、ヴェルサイユ宮殿で近代五種などの競技を実施するという。都市の資産を巧みに使いながら、パリの魅力をアピールすることに成功していた。しかも今度はクリスト没後の作品として、凱旋門を覆うプロジェクトを遂行した。北京オリンピック2008の開会式も、映画監督の張芸謀のほか、蔡國強、石岡瑛子らが演出に参加し、壮大なスペクタクルを繰り広げた。とくにクライマックスでは、紫禁城から、花火で表現された巨人の足跡が北上し、鳥の巣に到達する。CGの使用が批判されたが、これは北京において南北の中心軸が、紫禁城・天安門広場とスポーツ施設群を貫く都市デザインになっているからこそ可能な演出だった。東京オリンピック2020で残念なのは、本来はそのチャンスだったのに、都市を舞台とする発想がないことである。
東京2020パラリンピックの閉会式では、かろうじて横に倒れていた東京スカイツリーを模したオブジェを綱で引き上げ、垂直に立てるパフォーマンスが行われた。もっとも、アートに詳しい人は、ちょうど東京オペラシティ アートギャラリーで個展を開催中だった加藤翼を思い出したであろう。が、彼はこの演出に関わっていない。そもそも、似て非なるのが、閉会式ではあくまでも引っ張る真似をしていただけだったこと。言うまでもなく、無数の綱を大勢の人間が一緒に引くことで、力が結集され、1人では実現できない行為が可能となる。それが加藤のプロジェクトでは肝のひとつなのだから、やっているフリではダメなのだ。つまり、若手の建築家だけではない。現代アートも蚊帳の外だった。