椹木野衣 月評第86回 たたかいは誰のために? 東京国立近代美術館「MOMATコレクション 特集:誰がためにたたかう?」展
東京国立近代美術館が、戦後70年を迎える今年、いままでになく戦争画に焦点を当てた展覧会を開くという話は、ずいぶん前から聞いていた。ただし、結局今回も企画展での話ではなかった。「MOMATコレクション」と題する、常設展会場での特集展示だったのである。
これまで、折ごとに作戦記録画の集中的な企画展示を求めてきた私としては、いささか拍子抜けしなかったかといえば嘘になる。しかしながら、4階から2階にかけて「誰(た)がためにたたかう?」と謳い、なんらかのかたちで「たたかい」に焦点を当てる所蔵作品展は初めてのこと。作戦記録画にも、これまでにないスペースが割かれている。
より抽象的な「たたかい」に焦点が当てられている以上、作戦記録画だけでなく、「動物の争いから国と国の争い、男女の争いや世代間の争いなど、さまざまな角度から『戦うこと』について考えるための約200点をご紹介します」(HPより、下線筆者)というのは、それはそれで辻褄が合っている。にもかかわらず、どこかで喉に小骨が刺さったような違和感が残るのも事実だ。その原因はなんだろう。
先に示した主題「誰がためにたたかう?」は、原作がマンガ家の石ノ森章太郎によるテレビアニメ『サイボーグ009』の主題歌から取られている。
9人のサイボーグは、戦争のための兵器として改造され、その親もとである世界規模の死の商人「黒い幽霊団(ブラック・ゴースト)」と果てしない戦いを繰り広げる。この「平和のために戦い続ける、という矛盾した状況」を通じて「人間自身の戦いへの欲望」を浮かび上がらせるのが、石ノ森作品の核心にあるとも書かれている。たしかにそれはそうだろう。
しかし、もしそうであるなら、なぜサイボーグたちの「たたかい」が、個別の章をかたちづくる「あらそい」へと置き換えうるのかが、きちんと示されなければならないはずだ。「たたかい」と「あらそい」は、それぞれを「戦」「争」とすれば桁上げされて「戦争」となるが、個別では相当に異なるニュアンスを持つ。それなのに、主題は「たたかい」なのに、なぜ個別では「あらそい」なのだろう。
本展では、きっかけに「たたかい」を掲げながら、内容では「たたかい」よりも「あらそい」へと、いつのまにか重点を移動させることで、人間にとって(動物にとっても!)極めて重要であるはずの、両者の違いが見過ごされている。
もうひとつは、全体を統合するほど大きな主題として石ノ森作品を取り上げながら、『サイボーグ009』という作品への言及・分析が、展示を通じて皆無であることだ。そうでなくても、戦後のマンガ・アニメ作品は、視覚芸術として多くの新しい美術家たちに影響を与えてきた。
事実、12室に展示され、田宮模型による戦闘兵のプラモデルをモチーフにつくられた村上隆の作品などは、その申し子のひとつと言うことができる。
テレビアニメを通じて美術における「たたかい」を考えるという、美術館としてはいささか大きな冒険をしながら、内容において、依然として美術とマンガ・アニメを分断せざるをえない様は、奇しくも、本館の美術をめぐる収蔵方針の偏りを露呈しているように思う。
(『美術手帖』2015年10月号「REVIEWS 01」より)