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「いま、ここ」に集えないなかで、演劇が持ちうる力とは? 田中綾乃評『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』

SPAC(静岡県舞台芸術センター)がゴールデンウィーク期間に開催を予定していた「ふじのくに⇄せかい演劇祭2020」が新型コロナウイルスの影響で中止となり、代わってオンラインを中心とした企画「くものうえ⇅せかい演劇祭2020」が立ち上がった。本演劇祭のなかからライブ配信された『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』を中心に取り上げ、人々が集まることができなくなった現在における演劇のあり方について、哲学研究・演劇批評の田中綾乃が論じる。

田中綾乃=文

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』の配信映像より

「なにもない空間」に見たもの 

 2020年の春、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界中の多くの劇場が閉ざされるという衝撃的な事態に見舞われた。近代以来の劇場システムの中でも、世界中の劇場が一斉閉鎖というのは特異な出来事であろう。我が国でも2月下旬から公演やイベントの延期、中止の発表が繰り返されながら、3月下旬にはほぼすべての劇場公演が中止となり、このレビューを書いている5月上旬現在、公演再開の見通しは立っていない。

 毎年、ゴールデンウィーク期間に開催されているSPAC(静岡県舞台芸術センター)の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」も中止。その代替として演劇祭期間中、オンライン上で「くものうえ⇅せかい演劇祭」が配信された。4月3日、SPACの芸術総監督の宮城聰は、その決断に至った経緯を説明し、演劇の根幹を担う「人々が集うこと」ができないいま、「演劇みたいななにか」を届けることを約束し、ネット配信を「カニカマボコ」と称した。

 4月25日から5月6日まで開催された「くものうえ」のプログラムは、舞台映像の配信、トーク企画、Zoomでつないだ俳優たちのトレーニング風景などに加え、SPAC俳優やスタッフが考えた企画も目白押しで、49のコンテンツが並び、計111本の動画配信というじつに盛りだくさんのプログラムとなった。短期間でこれだけの数のコンテンツを立ち上げ、発信し続けたSPACの底力を感じる。

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』イメージ © 行貝チヱ

 そのなかでも今回は『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』を取り上げる。これは『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』(作:唐十郎、演出:宮城聰、*1)の上演が予定されていた4月25日、26日、29日の3日間、開演時間から終演時間まで上演場所の野外劇場「有度」をYouTubeでライブ配信するというもの。筆者は4月29日の配信を視聴した。上演時間の18時にネットにつなぐと『おちょこ〜』の舞台があったはずの野外劇場が映し出されている。それはまさに「なにもない空間」。

 演劇のバイブルとも言われるピーター・ブルックの『なにもない空間』(*2)は、「ひとりの人間がなにもない空間を歩いて横切る。もうひとりの人間がそれを見つめる」だけで演劇行為が成立するというものだが、ここには暗黙の了解として、裸の舞台にいる人間とそれを見つめる人間(観客)は、同じ時空に存在することが含意されている。しかし、ネット上のライブ配信は、同時間ではあるが、同空間ではない。私たちがライブと呼ぶものは、「いま、ここ」の「ここ」性、つまり、場の共有が大前提なのだということを改めて痛感する。

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』のバーチャル稽古の様子
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』のバーチャル稽古の様子

 18時からスタートした配信だが、しばらくの間、筆者はこの「なにもない空間」を映しながらも、各々の家にいる俳優たちが台詞を朗読していくのかと思っていた。というのも、外出自粛になった後も各俳優の部屋や稽古場をZoomでつなぎ、稽古の様子を配信していたこともあり、違うかたちで表現がなされるものだと思い込んでいたのであった。

 しかし、いくら待ってもなにも始まらない。聞こえてくるのは、木々に囲まれた劇場からの鳥のさえずりや劇場の外を走る車のエンジン音ばかりだ。そこでようやくこのライブ配信は、なにもない「メリー・ポピンズのいない劇場」の姿をそのまま2時間、ただ映しているだけなのだと気づいた。

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』の配信映像より
『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』の配信映像より

 だが、なにもないと言っても、日が沈むにつれて、野外劇場の景色は徐々に変化していく。そして、ジョン・ケージの『4分33秒』さながら、風の音や鳥たちの独唱、合唱が大なり小なり聞こえてくる。長年訪れている劇場で、こんなにも様々な野鳥の美しいさえずりを意識したのも初めてであった。不在の劇場に見えるが、そこには多様な自然が確かに存在している。そのことに安堵するとともに、むしろ観客は、このような豊かな自然のなかにお邪魔させてもらっていたのだ、という感情が湧き出てくる。

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』の配信映像より

 19時になると、舞台背後に見えていた緑の木々は闇となり、外界の音もフェイドアウトし、サイドのライトが空っぽな舞台を照らし出している。時折、舞台上に飛ぶ虫が光に反射して、まるで人魂が無人の舞台を彷徨っているかのようだ。ライブ配信のコメントから演出家や俳優たちもともに野外劇場の様子を見ていることがわかる。本来だったら、この舞台に立っているはずだった彼らは、どのような気持ちでこの舞台を見ているのだろうかと思いを馳せる。「あるはずだったものがない」(*3)という事態は、まさにコロナ禍で誰もが経験していることだが、図らずもこの「なにもない空間」がそれを象徴していることに胸が締めつけられた。

『おちょこの傘持つメリー・ポピンズのいない劇場』の配信映像より

 終盤に向かう時間は、この配信を見ているだろう関係者や観客たちを想像しながら、画面を見つめていた。役者もスタッフも観客もネットの前では同レベルであり、一人ひとりが上演されるはずだった芝居を夢想しながらラストに向かっていく。ヴァーチャルとはいえ、それはなにか不思議な一体感をもたらすものであり、終演後、久しぶりに満たされた思いがした。「なにもない空間」ではあったが、それを見ている人たちは、それぞれ想像力を投げ入れて、そこに幻の物語を紡いでいたはずだ。この想像力の自由な戯れこそ演劇の最大の魅力である。

 通常、観客は目前の演劇作品を五感や身体全体で感じながら、想像力を駆使して作品と共犯関係を結ぶ。だが、しばしば舞台のネット配信の場合は、視覚と聴覚だけで情報を受容するため、受け身になりがちである。今回は「なにもない空間」だったからこそ、私たちの想像力が多分に掻き立てられたのであって、観客の能動的な要素を引き出したこのライブ配信は、ほかのネット配信(「カニカマボコ」)では味わえない醍醐味があった。

「くものうえで出会っちゃえ」の配信映像より

 本公演のほかに、トーク企画「くものうえで出会っちゃえ」では、演劇祭で上演されるはずだった海外招聘作品の演出家と宮城とのトークが配信された。コロナ禍で同じ状況にいる世界の演劇人たちの「いま」の考えが率直に語られたもので、「ここ」性を閉ざされた彼らのトークを通して、改めて舞台芸術の価値や本質を再考することができた。このトークは、今後アーカイブとしてSPACのウェブサイトでも公開予定とのこと。

 なお、SPACはネット配信以外にオフラインのコンテンツを8つ用意していた。そのなかのひとつ「でんわde名作劇場」は、予約日時にSPAC俳優が名作の一節を電話で朗読してくれるというもの。筆者は、たきいみきさんに『枕草子』を読んでもらった。電話口から聞こえるたきいさんの優しく力強い声に元気をもらいながら、なにより一対一という贅沢な時間を過ごすことができた。俳優と観客との直接的な交流という意味でも、非常時の演劇の代替として意義ある企画であったように思う。

 コロナ禍の生活で鬱々とする日々であったが、「くものうえ」では、予想以上に上質な「カニカマボコ」に触れることができた。いまだ渦中にいるが、2500年以上続く演劇の力を信じながら、舞台芸術の未来を模索する日々が続いている。

*1──この作品は1976年に状況劇場により初演された。物語のあらすじは、相愛橋の横丁で傘屋を営む若僧おちょこと傘屋に居候中の檜垣のもとに謎の女・石川カナが修理を頼んだ傘を取りにくる。カナに恋心を抱くおちょこは、カナにメリー・ポピンズの傘を持たせることを約束し、おちょこにならない傘づくりに励んでいる。カナの素性を知る檜垣とメリー・ポピンズの傘を持って旅に出るというカナを巡り、物語は縦横無尽に展開していく。参照:唐十郎『おちょこの傘持つメリー・ポピンズ』(角川書店、1976)。
*2──Peter Brook, The EMPTY SPACE, 1968.(ピーター・ブルック『なにもない空間』、高橋康也・喜志哲雄訳、晶文社、1971)。
*3──山内則史は唐による本作を「傘がひっくり返る=おちょこになる動きの中に、日常が別世界へ裏返っていくきっかけを見たのではなかったか」(山内則史「無用と情熱の路頭へ〜唐十郎と宮城聰」、『劇場文化』、2020年4月24日)と記しているが、現在のコロナ禍の世界で生きる私たちもまた、それまでの日常とは真逆の生活を送っている。その意味でも本配信は、唐の戯曲テーマとコロナ禍の世界が無人劇場でリンクしたものとなった。

編集部

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