REVIEW - 2020.5.25

詩と眠る体験。小金沢智評「最果タヒ 詩のホテル」

詩人として多彩な活動で注目を集める最果タヒとグラフィックデザイナーの佐々木俊が、京都にあるホテル「HOTEL SHE, KYOTO」内の3室で「詩のホテル」を展開している。部屋のそこここに最果の詩が散りばめられたこの一室に東北芸術工科大学専任講師・小金沢智が宿泊。その体験を通じてレビューする。

文=小金沢智

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子
前へ
次へ

 ルームキー。客室のドア。室内の壁。レコードプレーヤー。マグカップ。寝具。クッション。エアコン。姿見。浴室のドア。浴室の壁。シャンプー。トリートメント。ボディーソープ。

 およそホテルであれば一般的にほとんど備えているもの(レコードプレーヤーは特殊かもしれない)やその周辺、空間のそこここに、詩がある。「書かれている」というニュアンスではない。もちろんそれは、詩人によって「書かれた」ものにほかならないが、その空間での佇まいは、詩がその場その場に存在している、という意味で、客体ではなく主体に転じている印象を持つ。ならば、「ある」より「いる」の方が適切であるかもしれない。詩がいる。私やあなた、そして動物や自然物がそうであるように、詩がそこにいる。私たちとともに。

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子

 京都の東九条に建つ「HOTEL SHE, KYOTO」に、詩人・最果タヒとグラフィックデザイナー・佐々木俊の手による、「詩のホテル」をコンセプトとする部屋がある(*1)。ふたりは、最果の3冊目の詩集『死んでしまう系のぼくらに』(リトルモア、2014年)のデザインを(最果の希望によって)佐々木が初めて手掛けて以来、数多くのタッグを組んでおり、近年は詩集やエッセイ集をはじめとするブックデザインにかぎらず、筆者が企画した「ことばをながめる、ことばとあるく──詩と歌のある風景」(太田市美術館・図書館、2018)や、「最果タヒ 詩の展示」(横浜美術館、2019)など、空間を用いたグラフィックによる詩の展開でも活動がめざましい(*2)。2004年、インターネット上で詩作をはじめた最果が、その後いわゆる活字=書物も編みながら、インターネットとも書物とも違う空間へとその詩の場を広げてきたことは、将来、各領域での検証がなされてくるだろう。COVID-19による影響で開催延期がアナウンスされている「さいたま国際芸術祭2020」への参加も、注目すべき事例として心待ちにしたい。

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子

 さて、そのうち空間展開に数えられる「詩のホテル」は、しかし展覧会ではない。会場が、美術館やギャラリーをはじめとする作品展示が前提とされる場所ではなく、宿泊サービスが目的とされる場所であるからだ。そこに、ホテル側から最果へのオファー(*3)によって、室内に詩が展開された。このことは、作品に、ホワイトキューブ然とした空間で行われる展覧会で展示・制作されるのとは別の固有の意味を求められてしまうことを意味している。つまり、ホテルの既存の機能に対する関係性の構築であり、したがって詩は、まったく新たに誕生するというよりも、もともと設えられている空間の仕様や物品に対し、カッティングシート、印刷、刺繍等のマテリアルによって上書きするかのようにしてその居場所が見出されるということだ。

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子

 にもかかわらず重要なことは、例えばシャンプーのボトルに書かれた詩に「きみが大切にしているシャンプーボトルや、」、寝具に「わたしこそ、眠っているのではないかと、あなたの寝顔を見ると、考えてしまう。」、エアコンに「蜜が、ゆびさきからすべりだすようにして、体温が逃げていく。」などの一節があり、その少なからず個別の事象に対して具体的な解釈が見出されるものの、全体としてはむしろ、そういった具体性を飛び越えた抽象性にイメージを委ねているという点だろう。最果と佐々木は、(今回のその共同のあり方を筆者は知らないが)、具体的な事物と詩の組み合わせをフックのひとつにしながらも、あくまで「読者」の想像力を、もっと遠くへ運ぼうと試みているのではなかったか。それは最果の詩が元来持つ力であり、であるからこそ詩はこの場所で、主体的な振る舞いをしているかのような容貌をしている。​

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子
「詩のホテル」より 撮影=尾山直子

 すなわち、入室するとまず目に入ってくる室内のもっとも大きな壁面には、室内中もっとも大きなサイズによって「私たちが彗星だったころ、」と始まる詩があり、ベッドに寝転がり天井を見上げれば、「恋も愛も森林も、この部屋も、高速で離れていく星からすれば、小さな光にしか見えないんだ。」という一文が見つかる。

 最果の詩はそうして、私やあなたという存在を、その場所──「この部屋」を起点にしながら、いっぽうで遥か遠くから見つめてはどうかと心に働きかける。読書という行為と異なって、一編ではなく複数の詩が同時に目に入る空間性は、空間を伴う作品形態だからこそ可能であり、したがって出来上がったその詩の部屋は、人の日々の感情が、あちらからこちらへ、行きつ戻りつ、振幅があることのまっとうさを肯定するかのようだ。シングルベッドがふたつ置かれればほとんどいっぱいの小さな部屋で、最果の詩は読者の「生」に寄り添う。死の疑似体験にも似る、「眠ること」が目的とされるその場所で。

「詩のホテル」より 撮影=尾山直子

*1──ホテル内の全3室(ツインルーム2部屋 / ダブルルーム1部屋)で、すべての部屋ではない。筆者が宿泊したのはツインルームの104号室である。ルームキーには、「この町の全てがぼくのものではないということを、植物のように受け入れたかった。今日は、104号室で眠ります。」とある。
*2──それらに先立って、複数のクリエイターとのコラボレーションにより、「LUMINE CHRISTMAS〜ルミネ×最果タヒの詩の世界〜」(新宿ルミネ全館、2017)や、「LUMINE LYRICAL CHRISTMAS〜五感で読む、ルミネ×最果タヒの詩の世界〜」(ルミネ ゼロ、2017)なども開催されている。
*3──ホテルからのオファーは、デザイナーの佐々木俊が、Twitterで以下のようにツイートしていたことをきっかけにしている。「(横浜の展示をやって、最果さんと詩のホテルとか作れたら面白いなぁと思った。枕とか歯ブラシとかクローゼットとか掛けられた絵の裏とか、部屋のいろんなところに詩の一節が隠れてる。番号の代わりに部屋にはそれぞれ詩のタイトルがつけられてて、詩に泊まるっていう体験)」(@nuhsikasas、2019年3月24日午後10時42分)。